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日本機械学会のリーダが気軽に話題を提供するコラム欄です。
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No.3『キカイ』

東京大学 生産技術研究所
西尾 茂文

コケシ(小芥子)は「子消し」(いわゆる"間引き")に由来すると思っているが、「葬る」は「ほうる」(遺体を捨てる)、「一生懸命」は「一所懸命」(決められた場所を懸命に利用する)、「戯け(たわけ)者」は「田分け者」(大切な田圃を分けてしまうような愚か者)から転じたのであろう。いずれも、昔の苦しい生活から生まれた言葉で、悲しい翳りがつきまとう言葉である。このように、言葉は歴史の記録であるとともに、単なる記録ではなく国民性フィルターを通った記録であろう。最近「言霊(ことだま)」という言葉を耳にする機会が多くなっているが、言語学を紐解くまでもなく、言葉には直裁な意味以外の"意味"や"機能"もある。それが、文化というものであろう。最近は含蓄のない省略語の洪水であり、「ことわざ」などは死語と化しているように思われる。言葉を大切にしない文化など有り得ようはずはなく、文化の香りすら消えつつあるのは残念である。

ところで、このHPのキーワードである「機械」という言葉については、残念ながらその由来をよく知らない。「機械」という言葉は、京都の先斗(ぽんと)町の町名と同じようにあまり古い歴史はないと思っていた。しかし、「機械」という言葉を荘子も使っていることからみると、言葉としての「機械」の成立はかなり古いと思われる。因みに、真偽の程は分からないが、「先斗町」はその地形からポルトガル語の岬Pontに由来すると聞いたことがある。「機械」の方は、「機」の音符の「幾」は「こまかい」こと、「戒」は文字通り「いましめ」であり「械」は「木製の手足の枷(かせ)」のことであろうから、"こまかな「からくり」を施してある器具"程度の意味であったのだろう。「からくり」は「絡繰り」であり、「ひもを絡めて繰る」巧みな仕掛けのことである。すなわち、「機械=からくり」であり、様々な知識を援用して「巧みに工夫された仕掛け」を創り出したいものである。これが機械の原点であり、最近は「巧みに工夫された仕掛け」を設計・創生するために生命科学の力も必用となっている。

さて、ことわざや故事では、損な役回りの動物がいる。現代の嫌われ者の烏は、「烏百度洗っても鷺にはならぬ」と言われるように昔から好かれてはいなかったようだ。家鴨(アヒル)もかなり損な役回りをしており、「家鴨の火事見舞い」(背の低い人が急ぐさま)、「家鴨の鴨の気位」(気位が高いさま)、「家鴨の脚絆」(短いさま)などという。「孔雀は雷(いかづち)を聞いて孕む(はらむ)」(神秘なさま)とは大違いである。しかし、他人事ではない。「機械あるものは必ず機事あり」は、からくりによって動かす道理を工夫するようなものは、仕事もからくりに富んでいて油断できないという意味である。

この故事は、荘子に由来するという。どうも、機械は「罠」の代表と見られているようだ。これは比喩なので気にしないこととしても、次の故事は気になる。つまり、駿馬が駄馬の仕事をすることを、「驥(き)塩車(えんしゃ)に服す」ともいう。ここでは、「機械」は「単能」を代表している。最近、意志を働かせないで物事を処理する場合に「機械的に処理しましょう」などという。ここでの「機械的」は、「物理的に考える」などの「物理的」の対極にある。因みに日本語大辞典(講談社)には、「機械的」の説明に、@同じ動作を正しく繰り返すさま、A意志を働かせないで動作をするさま、B型にはまったさま、などとある。これらは、機械の単能性を表現したものであるが、「機械的に考える」という表現が「巧みに工夫しながら考える」という意味として通じる時代の到来を望みたい。


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Last Update 2002.7.9

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