LastUpdate 2007.1.19

J S M E 談 話 室

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No.52 「トラックのフルモデルチェンジ」

日本機械学会第84期編修理事
高柳 格((株)いすゞ中央研究所 社長)



 製造業の技術者にとり一番うれしい時は、自分が研究開発した製品が発売された時と、お客さまの手に渡り、思った通りの評価が得られた時では無いでしょうか。途中の苦労は総て吹っ飛ぶといった感じです。
 私も自動車会社に約40年前に入社し、トラックの設計部に配属されて以来、振り返って見ると年を経るに従い役割はその都度変わりましたが、一貫してトラックのモデルチェンジの繰り返しだったような気がします。モデルチェンジの度に、市場でどんな評価を受けるのか、「ドキドキ」しながら待っていたものです。トラックのフルモデルチェンジのインターバルは、乗用車より長く8年〜10年で、その途中に2回程度マイナーチェンジが入ります。長い会社生活の間でも、同一車型のフルモデルチェンジは4〜5回しかありません。私の絡んだフルモデルチェンジ5回について、時期と担当を大雑把に時系列で書いて見ますと以下となります。

時期 モデルチェンジ車型 担当範囲 モデルチェンジの実務
第一回目 新入社員時代 中型トラック 変速機の歯車設計 歯車図面作成
第二回目 入社5年目の頃 大型トラック 制動装置設計 装置設計/図面作成、部下数名
第三回目 入社10年目の頃 中型トラック 車両部品全般設計 図面チェックが主、部下約20名
第四回目 入社20年目の頃 中/大型トラック プロジェクトリーダ 車全体の企画、プロジェクト推進
第五回目 入社30年目の頃 小/中型トラック 開発部門全体 プロジェクトリーダの指名

私にとってどのフルモデルチェンジも印象深いものがありますが、

 若い時の第一回〜第三回は、自分で設計していた時代で、街でのお客様の評価が本当に楽しみでした。当時は、発売後半年くらいに調査会社にアンケートを依頼し評価を出していましたが、第二回の制動装置設計を担当していた時、開発者自身が購入したお客様の所に訪問し自ら評価を聞いて来ることになりました。担当したのは東北のある県で、アンケート対象のユーザ数は30軒程度だったと思います。山奥のダンプカーユーザ、街中の運送会社のユーザ等を訪問し評価を聞いてくるわけです。アンケートの項目数は多いのですが、自分が設計した制動装置の項目を聞くときは緊張したものです。全く新規のブレーキシステムを採用した時で、「効き具合」や「フィーリング」で満足していると聞いた時は、自然に笑みがこぼれたものです。もちろん過去には不満足の評価の場合もあり、急いで直したことも多々ありました。
 第四回目のプロジェクトリーダの時は、プロジェクト全体の商品力・収益の責任者を務め、街に出た後「マズマズ」の評価で自分自身も印象深いプロジェクトだったのですが、生産開始時に関係者数百人とお祝い会をやった際、若い技術者が、自分が設計しまた実験した製品が市場に出る喜びを語っていたのが、大変印象に残っております。
いすゞトラック 第五回目は、この2006年12月に発表した10年ぶりの小型トラックのフルモデルチェンジで、立場上プロジェクトリーダを指名しただけのかかわりでした。実務に携わった以前のフルモデルチェンジに比べ感激は小さいのですが、若い技術者の喜んでいる顔を見ると、昔を思い出し豊かな気持ちになりました。成功を願わずにはいられません。
 最後に、私の密かな楽しみをお話します。フルモデルチェンジと言っても総ての部品が変わるわけではありません。キャビンとかエンジンのようにフルモデルチェンジの度に必ず変わる部品もありますが、機能部品で問題の無い部品には、何回かのモデルチェンジを経てもしぶとく生き残るものが「まれ」にあります。第二回目の制動装置設計を担当していた1970年代に自分で設計した部品が、約30年経った現在もある車型に生き残っております。トラックの外から見える所に装着しており、見かけるたびに我ながら名設計と一人悦に入っている次第。

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