LastUpdate 2008.2.18

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
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No.64 「黎明期のドイツにおけるジェットエンジン開発」

日本機械学会第85期副会長
川田 裕(大阪工業大学 工学部長・教授)


 たまたま2005年に会社出張で、上司と共にMITのガスタービン研究室を訪問する機会があった。会議の後、ラボツアーで先生に実験室を案内してもらった。このとき実験室の片隅に古びた黒っぽい円筒形の金属の塊があった。聞いてみると第2次世界大戦のドイツのジェットエンジンであり、学生がそれを独力で修復したとのことだった。名称は聞き慣れないJumo-004との説明であったが、なぜMITの実験室にそれがあったのか気になった。
 一昨年から学生を教える立場になり、流体機械の講義用にガスタービンの歴史について調べていたら、このエンジンの話に出会った。このJumo-004はJunkers Motoren(ユンカース社のエンジン)004号の意味で、世界最初のジェット戦闘機Me-262に使われていたものであった。このMe-262は中学生の頃(今から約50年前)、プラモデルで作った第2次大戦中の戦闘機シリーズの中で、形状がひときわ洗練されていて印象に残っていたものであった。Me-262は当時としては最高の時速800km/hを出し、レシプロ機よりも150km/hも高速であり、大戦中では最先端技術を装備した戦闘機であった。
 余談だが、2003年より、アメリカ・テキサス州のTexas Airplane FactoryがGE社製のJ85エンジンを搭載したMe-262のレプリカを作成しており、現時点で2機が飛行可能の状態となっている。またインターネットではその飛行状況を見ることが出来る(You TUBE:Me 262 Flys Again!)
 その後、Hans von Ohainの書いた教科書(Elements of Gas Turbine Propulsion)を読んで、Jumo開発以前からドイツではかなり広範で集中的なジェットエンジンの開発が行われていたことを知った。英国ではCambridge大学のWhittle研究所に名前を冠せられたFrank Whittleが1929年にジェットエンジンの特許を取ったものの、空軍の評価は低く実用化のための開発は進んでいなかった。ちなみに英国のジェット機初飛行は1941年5月である。
 OhainはGottingen大学で、流体力学で著名なLudwig Prantl教授及びR.Pohl教授のもとで学び、ジェットエンジンの研究で1935年に博士号を取った。この間、彼は自動車修理工場と組んで自費で低速の原理検証エンジンを製作し運転した。
Me-262 Jumo-004
 卒業後、彼はR.Pohl教授の紹介でHeinkel社に就職した。Ernest Heinkel社長はジェットエンジンの将来性を確信し、開発組織を作り、そのリーダとしてOhainを充てた。Heinkel社長は燃焼器の開発が最大の課題であることを見抜き、2ヶ月でこれを解決し、その後ガスタービンの開発を開始するように指示した。これに対してOhainが取った方法は、確実に作動する水素ガス燃焼器を使ったガスタービンの実証運転と、液体燃料焚き燃焼器の並行開発で、実証機の開発までの期間を6ヶ月とすることであった。1937年にこれに成功して、Ohainはジェットエンジン部門の開発責任者となり、エンジンHe.S3の開発を行う。並行して機体He-178の開発も行われた。1938年に液体燃料焚きの燃焼器が完成し、1939年にHe-178は世界初のジェット機として初飛行に成功する。
 並行開発で開発期間を最小にし、リスクの高い要素開発に時間を確保する開発手法は、現代の各種製品の開発手法と何ら変わらないもので、当時の取り組みには驚かされる。
 当時のドイツにはWagner教授の率いるもう一つの研究チームがあり、1938年には50%反動度の軸流ターボ機械を用いたエンジンを考案していた。これは現代のジェットエンジンと全く同一の設計コンセプトであり、この技術が空軍、Junkers社に受け継がれJumo-004が生まれた。Jumo-004は1942年にMesserschmitt社のMe-262に積まれ、世界最初のジェット戦闘機として飛行に成功した。当時は資材不足で、タービン翼に耐熱合金が利用できない状況にあったため、唯一の手段として普通鋼の空冷方式を用いて製作された。このためエンジン寿命は15時間から70時間、平均25時間という現代からは信じられない短時間であった。Me-262の投入は遅すぎて少なすぎたために戦局を変えるには至らなかったが、当時の最新技術であり、戦後の東西両陣営の戦闘機開発に大きい影響を与えた。
 以上の歴史の中で、当時既に洗練された開発のプロセスが考え出されていたこと、また与えられた厳しい制約の中で、徹底的に検討を行い最適な設計を行うという点に、ドイツの機械技術者魂が感じられた。時代を経ても機械技術者が制約の中で困難な課題を担当する点には変わりが無く、我々が与えられた課題を解決する上で歴史から学ぶところは多いと感じた。


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