LastUpdate 2008.12.19

J S M E 談 話 室

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No.72 「技術立国と縮小社会」

日本機械学会第86期副会長
松久 寛(京都大学 教授)


 子供のころには,日本は資源がないから加工貿易国であると教えられてきた.そして,この数十年の工業立国による日本の発展を可能にしたのは,理数ができる高校生の大半が技術系に進んだからである.昨今も,日本は技術立国を目指すといっている.その技術立国を可能にするには,優秀な技術者が大量に必要である.しかし,子どもの理科離れは久しく叫ばれている.大学の受験志望動向をみると,図1に示すように,この十数年で,医歯薬系は増加しており,農学と理学は横ばい,工学だけが減少しているのである.したがって,理科離れというよりは工学離れである.さらに,工学部を卒業しても技術系の職に就かない人が,この十数年で10%から25%へと増加している.これが続くと,技術立国は実現不可能となる.そうなると,日本は何で飯を食うのだろうか.外貨を稼ぎ,今の日本を支えているのは自動者などの工業製品である.すなわち,稼ぐ人は技術者である.一方,人気の高い医者,弁護士,銀行員は支える人である.支える人の地位や処遇が高く,みんなが支える人になると,国は滅びる.
 NHKのプロジェクトXが始まったころ,これで,技術者離れが緩和されるかと期待した.しかし,何千人に一人の成功者が,昼夜働き続け,最後に得たものは,やってみてよかったという感慨の涙である.しかし,彼らは質素な家にすみ,質素な生活をしている.これを見た外国人は労働法違反であるといい,妻は家庭を犠牲にしてという.また,小さい子どもは,技術者は創造的で夢があり,素晴らしい職業だと思うであろう.しかし,高校生になり,職業として技術者を志望するのは,数人に一人になる.日本が必要としているのは,二人に一人の技術者志望である.やはり,母親が子どもに医者か弁護士か技術者になれという環境が必要である.そのためには,技術者の地位と処遇の向上が不可欠である.
 多くの人は,技術者の給料を上げろというのは品性がないという.経営者は給料を上げると会社が倒産するという.しかし,このままでは,技術立国は絵に描いた餅となり,日本が倒産する.アメリカのように外国からの移住者が科学や技術を支えてくれればいいのだが,高度な専門性をもつ外国人は言葉や社会習慣などでなかなか日本にはきてくれない.もちろん,医者や弁護士や銀行員が外貨を稼いでくれればいいのだが,残念ながらそうはいかない.そこで,いま,技術者の人気を取り戻す方策について真剣に考える必要がある.それは,技術者の仕事のおもしろさややりがいだけでなく,技術者の地位と処遇の向上と資格の付与である.たとえば,技術士資格の価値強化(業務独占資格の付与),修士や博士の給料増(それに見合う大学での教育が必要であるが),企業における高級技術者の給料増(経営や管理に携わるものが職制上の地位が高く,給料も高いのが現状である.しかし,野球では選手の方が監督やコーチよりも給料が高い場合が多々ある)などである.日本の技術者は,地位,処遇,資格のどれもない状態に置かれているのであるが,そのことを自覚していないか,自覚していても言わないのである.たとえば,民間企業の社長で技術系出身者は,西欧主要国では50%を越えるのに対し日本では30%以下であり,技術者が80%を占める製造業でも40%で,文系に比べて社長になる確率は1/6程度である.官庁では,採用時には理系出身者の方が多いが,昇進とともに理系は減少して次官ほとんどいないという文官優先である.賃金は文系に比べ,生涯賃金で約5千万円(12%)すなわち家1軒分安い.特に,技術者が多い製造業の給与は,金融・保健業に比べて働き盛りの30歳代で7〜8割と低い.また,帝国データバンクの調査では,大手21銀行に比べると6〜7割とのことである(日本経済新聞96-1-27記事).
 これは,機械学会だけで解決できる問題ではない.全ての技術系の学協会,教育界,工業団体,行政がともに考え行動する必要がある.なお,この問題については,機械学会関西支部が平成19年2月から1年半に渡り各種討論会を持ち,工学離れや技術者の処遇の現状,たたき台的な対策など広範囲に検討してきた.その報告書は討論会有志によってまとめられ(http://vibration.jp/engineer/)に掲載しているので参照されたい.
 ところで,技術者の地位を高めることによって,当面の外国との競争に耐えることはできるであろう.しかし,20年先を考えると,もっと視野を広げなくてはならない.昨今,資源の高騰やCO2削減など,資源と環境の有限性が身近なものになってきた.さらに,アメリカのサブプライムローン問題を引き金に経済の縮小が巻き起こっている.それでも,企業は成長を目指し,多くの人は持続を唱える.しかし,長期的に考えると持続も不可能であり,縮小しかありえないのではないか.たとえば,2酸化炭素の半減といわれているが,これは,石油や石炭のエネルギーに依存した工業の半減と同義語ではないであろうか.いまから,スムースな縮小を求めるべきである.さもないと,カタストロフィーに陥るであろう.縮小社会というと,江戸時代に戻るのかと問われる.長期的にはイエスであろう.それが,長い先であることを望むが近い将来にやってくるかもしれない.この2,3カ月の自動車産業などを見ていると,もう縮小が始まっているのかもしれない.そうなると,縮小過程の技術を今から考える必要がある.太陽光発電,風力発電,水素エンジン,電気自動車などが着目されている.しかし,本稿では,ロングライフ,リペアラブル製品を取り上げてみたい.
 昨年,30年以上前の扇風機が火災を引き起こした.これは多くのことを提起している.企業に30年前の製品まで責任をとらすのか,それとも30年間使える製品を作ったのは褒められるべきなのか.10年で捨てるはもったいない.30年も使われると,企業は潰れる.古い電機製品や車は効率が悪いので,買い換えるほうがエネルギーおよびコストの面で経済的である.などなど.
 滋賀県の嘉田知事は「もったいない」というキャッチフレーズで当選した.人々はすでに社会縮小の答えを実感として知っているのである.しかし,大量生産による使い捨て製品の安価さとのトレードオフである.1年あたりの原価償却という視点で考えると,200万円の20年もつ自動車の方が,150万円の10年もつ自動車より安いのである.このような自動車を作ることは,技術的は簡単である.ゴムなどの劣化や消耗する部材を取り換えやすい構造にすればよい.修理や中古車売買システムも機能するであろう.現に,日本の中古車は海外で長く使用されている.その結果,企業は生産量が減り,雇用も減るであろう.しかし,これは,メインテナンス業務の拡大やドイツのようにワークシェアリングなどの社会構造の変換で解決するしかない.昔に比べて生産性が十倍ぐらいになっているのだから,給料は今より減るが,労働時間を短くしてもやっていけるはずである.
 日本人はヨーロッパの人々に比べて,所得は高いのに生活は貧しいといわれている.都市住民はマイホームのために働いているようなものである.土地代は別として,日本の都市での住宅は30年で建て替えられている.すなわち,30年で3000万円を使っているのである.毎年100万円である.これをヨーロッパの人々と同じようにバカンスに使いたいものである.ヨーロッパでは,300年ぐらいの前の家を改造しつつ使用している.日本では,解体された家は廃材となり,資源,環境の面においても問題となる.日本でも少なくとも100年ぐらいもつ家を作り,改造を重ねることは可能である.30年もつ車や電気製品,100年もつ家を普及させたいものである.
 以上,社会縮小の技術とは,丈夫で長持ちする製品,すなわち,ロングライフ&リペアラブル製品を作ることである.しかし,そこに行き着く過程が難しい.現在の工業は生産量の拡大を前提としている.また,経済学も拡大を前提としたものしかない.日本全体でスムースに移行するには,技術立国すなわち工業で外貨を稼ぎながら,10年,20年かけて構造を変革する必要がある.


図1 大学の理系志望者数

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