LastUpdate 2010.2.5

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.83 「機械技術者として心に残ること」

日本機械学会第87期庶務理事
谷藤克也(新潟大学 教授)


 古い話で恐縮ですが,昭和46年に大学の修士課程を修了してから16年間,旧国鉄に機械系の技術屋として勤めました.その間に感動的なこととして記憶に残ることをひとつ紹介したいと思います.それは,昭和54年12月7日に東北新幹線小山総合試験線で達成された961形試験電車による最高319 km/hの速度記録です.それまでの新幹線の記録は昭和47年に開業前の山陽新幹線相生−姫路間で達成した286 km/hでした.今でこそ,国内ではJR東海の試験車300Xが平成8年に446 km/h,海外ではフランスのTGVが2007年(平成19年)に574.8 km/hを達成していますが,当時の319 km/hは電車による世界記録としてマスコミにも大きく取り上げられ,話題となりました.試験車内では関係者の大きな歓声が湧き上がり,振動を測定していただけの私も何か誇らしい気持になったことを憶えています.
 平成3年に山海堂から出版されたRailway Gazette International誌副編集長マレー・ヒューズ著(菅健彦訳)「レール300世界の高速列車大競争」の「11章 新幹線も巻き返す」には,そのときのことが次のように記されています.

【・・・.11月28日,961系は時速292キロメートルを達成,二日後には時速304キロメートルに達した.12月7日,試験班は愛馬にムチ打って新幹線の新記録である時速319キロメートルを達成した.・・・】

高速試験では,安全性を確認しながら,一定の速度幅で徐々に速度を上げていきますが,速度向上の判定基準を満たさないデータが出ると,当該箇所の整備作業が入るため,試験計画は遅れがちになります.また,当時の国鉄では,このような試験計画の変更でさえも労働組合の了解を必要としており,さらに試験日程を窮屈なものにしていました.そうした状況の中,12月7日は試験の最終日であり,記録を達成した走行は最終の試験走行でした.下線を付したマレー・ヒューズの記述は,最後に可能なギリギリのところまで上げてほしいと願う,その場に居合わせた関係者の心情を正に言い当てた表現ではないでしょうか.
 昭和39年に開業した東海道新幹線の営業最高速度は15年にもわたって210 km/hのままでした.また,当時は名古屋新幹線騒音訴訟があったり,オイルショックによる石油価格の高騰もあり,「狭い日本,そんなに急いでどこへ行く」といった標語がはやり,「高速化は悪である」という風潮が強く感じられる中での高速試験でした.2年後にはフランスのTGVパリ南東線が最高速度260 km/hによる営業開始を予定しており,国内では航空機や自動車とのきびしい競争が続けられている中で,新幹線には高速化が必要でした.この319 km/hの記録達成は,高速化に否定的な当時の空気を変えることにもつながったと思います.マレー・ヒューズは,次のように続けています.

【1月20日,・・・・・,国鉄は東北・上越新幹線の運転速度を時速260キロメートルにすると発表した.・・・】

 このとき,私は車両振動を担当する主任研究員の補助として試験に参加していましたが,9月1日付で運転現場の客貨車区から鉄道技術研究所(以下,鉄研とも云う)に異動し,車両運動研究室に配属されたばかりでした.幸いにも新幹線電車の乗り心地を担当するグループに加わり,車両振動の測定法と乗り心地の判定法の勉強を始めたところで貴重な体験をすることができました.
 鉄道技術研究所への異動は,入社して二度目のことでした.最初の異動での配属先は電子計算センターで,私に期待されたのは研究ではなく,徹夜で大型計算機を動かすことでした.鉄研の大型計算機を使って,列車ダイヤの作成に必要な駅間毎の基準運転時分を計算する作業ですが,電子計算機には全くの素人であった私は,オペレータとして大型計算機のオペレーションを一から勉強しなければなりませんでした.そして3年後には,列車ダイヤの乱れを回復する方法を研究するための計算機シミュレータを開発するプロジェクト研究室に異動しました.こうした最初の鉄研での5年間は,機械屋としての仕事とは言えないものでしたが,ここで得たコンピュータの知識とプログラム作成の経験が,後々,機械屋としての車両運動の研究に役立ったことは幸いでした.
 1年半ほど運転現場を経験して戻った二度目の鉄研勤務で,やっと機械屋として仕事ができる研究室に配属になりました.この時点で年齢は既に34歳,新たに車両動力学を専門とするにはいささか遅いスタートでした.しかし,当時はちょうど東北,上越新幹線の建設中で,設備監査のための現車試験が続いていました.しかも,上述のように国鉄として最後の高速試験が小山総合試験線で行われており,鉄道車両の運動を実地で学ぶ好機でもありました.その後,職場を大学に変えた後も,鉄道の高速化や走行安定性,安全性を対象に,一貫して車両動力学の研究を続けてきたことには,319 km/hの速度記録達成を経験したことが関係しているのかも知れません.


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