LastUpdate 2010.5.13

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.86 「研究を始めたころの展開と戸惑い・失敗」

日本機械学会第88期副会長
久保司郎(大阪大学 教授)

久保司郎

 若い学生・研究者の参考までに、私がクリープの研究を始めた頃の戸惑いと失敗を述べたいと思います。当時は、高温破壊力学の黎明期であり、高温条件下のクリープき裂が研究され始めました。線形弾性破壊力学の応用が広まり、種々のき裂問題に応力拡大係数が適用されていました。クリープき裂の進展速度の整理にも応力拡大係数が適用され、Nature誌に掲載されていました。その後、クリープき裂進展速度の支配力学量として何が適当であるかについて議論が展開されました。実験材料としてよく用いられるステンレス鋼におけるクリープき裂進展の様子を見ると、クリープ変形が非常に大きいため、線形弾性に基礎をおく応力拡大係数が支配力学量であるはずはなく、高温クリープで顕著な非線形性を考慮しなければいけないと思っていました。当時、弾塑性条件下のき裂先端近傍の力学状態を表す破壊力学量としてJim RiceのJ積分が注目を集めていました。一方、高温クリープでは、非線形弾性問題とクリープ問題の間にはHoffの類似則があり、非線形弾性下における変形場ひずみ場をそれらの速度場に置き換えればクリープの解が得られることはよく知られていました。そこで、J積分にHoffの類似則を適用すると、クリープき裂先端近傍の応力やひずみ速度を表している破壊力学量が提案できると思い立ち、それを修正J積分、J*として名づけました。

 修正J積分、J*に論理的破綻はないかと色々と考えましたが、ほころびは見つかりませんでした。次の問題は、どのように発表するかでした。J*の提案は単純明快すぎて、これだけでは完結性を重んじる機械学会論文にはなじみませんでした。結局、き裂進展に関するシミュレーションに関する機械学会論文の中に盛り込みました。この論文は、論文賞をいただいた論文(1)の基礎になるものです。国際会議のプロシーディング原稿にもJ*の記載を入れました。しかし、査読が終わった後、ページ数の制約によりJ*の記述を削ることになってしまいました。

 J*の難点は名前です。J積分に類似則を適用するアイデアは単純ですので、遠慮して「修正」J積分と付けましたが、後で考えるとこれは最悪です。まず、何を「修正」したかがわかりません。クリープによる速度場を考慮している点でJ積分とは明らかに異なりますが、そのことは名前に表れていません。さらに、自己主張ができていません。ちなみに少し遅れて米国で提案された同様の力学量はC*積分と名付けられています。

 J*は、その評価が面倒であるという欠点をもっていました。ある機械学会講演会で東京大学におられた三好俊郎先生がRiceによるJ積分の簡便式に関する講演をされていました。Riceの論文はASTM STPという特殊な論文集に出されたもので、大阪大学にはまだ届いていませんでした。注文しても数カ月はかかるということでした。そこで、かけだしの分際で厚かましくも、三好先生に論文のコピーをいただけないかとお願いしました。三好先生は、すぐにコピーを送ってこられました。Riceの論文は、「深い」き裂のJ積分が荷重―変位曲線から簡単に求められるというものです。「深い」き裂のアイデアは、案の定、J*の評価に適用でき、J*を変位速度と荷重から求める簡便式が得られました。この簡便式により修正J積分の適用が大きく進みました。

 研究室で行っていたクリープき裂は、必ずしも「深い」き裂ではありませんでしたので、簡便式の適用を躊躇していました。そのうち他の研究グループが適用範囲外のデータにこの簡便式を適用しました。後で考えれば、適用範囲外でも、ばらつきの大きいクリープき裂の整理には大きな問題がなく、さらに補正をすれば問題はないのでした。慎重すぎたようです。

 日本国内でのクリープき裂進展に関する研究の議論は急速に進み、J*の有効性は国内では定着しつつありました。1980年にイギリスでクリープに関する国際会議で開かれ、その中にクリープき裂進展の支配力学量に関するワークショップがありました。日本研究グループがJ*の有効性を次々とたたみかけ諸外国の研究を圧倒したときには、「やった」と思いました。

 このJ*は、もともとクリープ変形が十分進行し、弾性変形の影響が小さい場合を想定しています。個人的な興味は、負荷初期の弾性変形が大きい状態にも進みました。これは弾塑性き裂でよく知られた小規模降伏とよく似ており、小規模クリープと称した状態です。色々と考えた結果、き裂先端近傍では修正J積分、J*が定義できるがわかり、さらに非線形弾性と対比させ近似を入れると、J*に関する積分方程式が得られました。これを解いたところ、き裂先端近傍のJ*は応力拡大係数の自乗に比例し、負荷時間に反比例するという式が得られました。この式は、負荷の瞬間にはJ*が無限大になると予想しています。この式が正しいかどうかは俄かにはわかりませんでしたので、回り道して有限要素解析を行いました。有限要素解析結果は、式の予想と見事に一致しましたので、成果を講演論文集にまとめました。このとき海外で同じような研究をしている人がいることを知り、つい嬉しくなって講演論文を英訳して送ってしまいました。その中には、J*の近似式や有限要素解析結果という核心部が含まれていました。手の内を見せてしまった以上、急いで論文にまとめる必要があります。投稿先は、掲載までにかかる日数の少ない材料学会にしました。投稿後の査読結果は、章の構成を入れ替えるようにというものでしたが、掲載が遅れるのを避けるため、査読結果に従い変更し、何とか、プライオリティを確保しました。この論文(2)の重要性は、自身ではあまりわかりませんでしたが、色々な局面で指針になっているようです。論文賞も受賞しています。

 思い返せば、高温破壊力学の黎明期には、新たな研究成果が次々と出て楽しい時期であった。研究を通して多くの方々と交流でき、お世話になったことも、大きな収穫でした。

文献
(1)大路,小倉,久保、機論,43(1977), 1577.
(2)大路,小倉,久保、材料,29(1980), 465.

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