LastUpdate 2014.8.18


J S M E 談 話 室

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No.127 「自然工学」

日本機械学会第92期庶務理事
佐藤 春樹(慶應義塾大学 教授)

佐藤 春樹

 高校1年のときに,エネルギーについて研究してみたいと思った.これからはエレクトロニクスの時代と世間は騒いでいたが,大学受験時は迷いもなく機械工学としてエネルギーに関わりたいと思った.

 日本のエネルギー消費の変遷をみればわかるが,私が産まれた1953年頃は人類が石油を大量に使い始める時代である.暗かった町が少しずつ明るくなり,自家用車が増えはじめ,テレビ放送が始まり,カラーテレビができ,東京オリンピックが開催され,新幹線が走り,そして,強烈な印象に残ったのは米国からの宇宙中継の試験放送でケネディ大統領暗殺のニュースが突込んで来たことだった.その6年後にアポロ11号が月面に着陸し,宇宙までを手中に収めた科学技術による人類の活気に満ちた時代であった.私は,このように科学技術が人類の暮らしを変えてゆくことを目撃しながら,将来の自分に憧れをもって育った.

 一方で,小学校高学年では,環状7号線を走るバスで学校に通った.当時,光化学スモッグで生徒が倒れるなど,環状7号線は最も空気が汚れた大気汚染の象徴のような道路であった.大気汚染物質が核となり水滴ができ,毎朝霧に覆われていたことを覚えている.この公害問題は毎日マスコミで騒がれ,科学技術と行政の力もあって克服できた.日本の技術が社会発展の原動力となり,公害が生じても技術が行政と組んで解決した.やがて,日本は常に「日米欧」で比較される程,経済と技術で世界を先導する実力のある国となる.

 関西に引っ越した中学1年の夏から,毎日山や海を愛犬と一緒に散歩しながら暮らした高校1年までの約4年間は,健康にも恵まれ,よく勉強した.そして,東京に戻って来た高校生活は,三島由紀夫の切腹があり,ロックアウトもあり,「社会の問題」を考えさせられた.バリケードの中で学生同士が真剣に語り合うという貴重な体験もした.私自身は,哲学よりも寧ろ日本および世界の文学作品を読みながら人生について考えることで精一杯であった.

 科学技術が長期的な社会福祉基盤としてではなく,その時の経済的必要性に応える短期的な視点で使われることが多いことにも考えさせられた.特に工学はそうである.難しいことではあるが,社会に普及したときに何が変わるかを前もって予測し判断する力とその責任を負う心構えが必要である.ものづくりは社会(環境あるいは時代)がどう変化するか,「システム」として捉える必要がある.

 「科学技術の恩恵でできたもので,自然を破壊しないもの」を挙げてみてほしい.性能が良く,便利で,しかも安い魅力的な製品を沢山つくることは自分たちを快適にするかもしれないけれども,売れればそれだけエネルギー消費が増え,環境が汚されるかもしれない.果たして,本当に今売るべき製品か,子供達など次世代以降にとっても良いものかを考え判断する必要がある.

 自然環境は継続的な循環の仕組みであるシステムをもっている.本来は,自然環境から,そのシステムを含めた科学を学びたい.自然環境と調和するためのルールを知ってものをつくり,そして,使うことが持続可能な工学のあり方である.

 私は,当時,日本機械学会環境工学部門長であった神奈川工科大学の亡き伊藤定祐先生の熱意によって準備されたレールの上を走り,多くの委員のご協力を得て環境工学部門に,環境工学サロンを設けた.このサロンは,振動・騒音,物質循環,空気・水,エネルギーの4つの分野の技術委員会に横串を通し,その相互関係を理解しシステム化する切掛けの懇親の場である.その数年後,先進サステイナブル都市ワーキンググループを部門に設置して戴いた.私にとっては,システム思考(実学)の工学への思いが環境工学部門で動き始めることに対する喜びがあった.是非,将来の都市インフラの実学として発展してもらいたい.

 話題を私の昔話に戻す.博士課程の研究テーマは水の熱物性値を調査することであった.過去の研究者が計測した水の物性に関する全ての実測値を集め,最も正しいと判断される値を決定する研究である.このような研究に誰が興味をもってくれるのだろうか.日本機械学会の研究発表会でも,座長と指導教授と研究室の仲間しかいないような寂しいものであった.当時は,私のやっていることは私自身に役立つのだろうか.科学の最先端を学ぶこともなく,まして新たな科学に役立つ成果が得られるとは思えないと不安を抱えていた.実は全く逆であったと今は思っている.

 集めるべき論文は,英語は当然ながら,ロシア語とドイツ語のものも多く,文献は数百にもなった.例えば20世紀初頭の実測値では,当時の温度・圧力・熱量の目盛,すなわち単位系がどうであったのかも知らなければならず,最新の実測値と比較できるように換算する必要があった.

 一方で,微かな喜びもあった.1900年に発表された英国のTaitの水の圧縮率計測に関する論文は,博物館で見るような本に掲載されていた.2枚の紙を袋状に綴じた仏蘭西綴じである.出版されて約80年たって私が初めて読むのである.国会図書館の事務室で,カッター(本来はペーパーナイフを使うべきだが)により一枚ずつ切りながら初めて読む光栄は忘れられない.

 このような研究をなぜ選んだのか.恩師にも深く感謝しているが,恩師の恩師である谷下市松先生の退職時の記念論文集に,第二次世界大戦終了時のことが書いてあった.私の勝手な文章で要約すると,「焼け野原となった東京を眺め,どのように日本を立て直すかを思案した.やはりエネルギーが基盤である.これからは電力である.発電所をつくることができる国になることがその基盤に他ならない.発電所をつくるためには水・水蒸気の熱物性を測らなくてはならない.そして,国際的な組織の仲間となることが必要である.そこで,現在の国際水・蒸気性質協会(IAPWS)にオブザーバーとして参加させてもらった.」という内容に感動した.時代を変える原動力は,この谷下先生の熱意である.

 電力は蒸気タービンを回してつくる.世界中で使う水の性質はひとつでなければならない.発電設備の特性がほんの僅かでも異なるとそれこそ商取引上の大問題である.そこで国際標準が必要となる.

 熱力学分野の偉人達が計測した実測値をまとめて,この値はこれだけ「ずれている」と博士課程の学生が判断することは容易ではない.国の威信を傷つけることにもなりかねない.尊敬すべき研究者が最大限努力して得た実測値に「けちをつける」研究となってしまう.しかしながら全ての実測値が一致することはあり得ない.必ず計測器と研究者の限界「不確かさ」がある.

 (余談だが「誤差」という用語は1980年頃から使われなくなった.その頃から国際的に「誤差(error)」の扱いについて議論していた.10年以上の議論の末に「不確かさ(uncertainty)」と言う用語とし,学術論文での記述方法に関しても詳細なルールがある.「真値」は誰も知らないので,真値からの差である「誤差」という表現は適切でないという考えである.)

 当時は大型コンピュータをやっと学生個人が自分で操作して使えるようになった時代であった.東大の大型計算機共同利用センター(情報基盤センター)に通い,今で言う数値流体力学や有限要素法で用いられるような無数の小さな空間(検査体積)で不確かさを評価し,不確かさを相対的且つ定量的に捉える方法を考えた.即ち,ある幅をもつ温度・圧力領域に存在する実測値の相対比較を統計的に行い,その領域を重ね合わせることで連続性を保ちながら,実測した研究者が記述している複数の「不確かさ」に最も矛盾しない値を導きだす方法を編み出した.今思うと理論解析的ではないこのような統計的な手法が理解されにくい時代だったかも知れない.

 果たして,16,000点の実測値から決定した値は,前述のIAPWSの国際標準値として認められ,Journal of Physical and Chemical Reference Dataの1冊として刊行できた.世界の研究者が提案する水の熱力学状態式を,私はIAPWSのメンバーとして,自分で決めた国際標準値を基準に評価した.最終的に世界共通の水の国際状態式がきまり,日本では1999日本機械学会蒸気表が出版された.私の果たした役割は一部に過ぎないが,谷下市松先生の思いを叶える一助にはなったと思う.

 最近の大学研究者は,業績に学術論文のインパクトファクターが求められる.研究論文が他の研究者に多く引用され,大きな影響を与えるような研究成果を出せという尤もな評価指標である.しかしながら,もしも若手の研究者がその指標の点数を稼ぐために先端科学技術ばかりを研究し,論文の数を増やすために時間がかかる研究をやらなくなるとすれば問題である.新しい発想を生むためには基礎がその礎となる.基本的な法則を学び,何を実際につくることができるのか技術を知ることが必要である.学術基盤の充実よりも応用研究が増え,実験のような時間がかかる研究が敬遠されるとすれば,学術基盤と技術基盤が萎えてしまう.そうなってしまっては,科学技術ひいては社会の未来が暗い.

 人の幸せのためには良い「人の絆」が生まれる暮らしの環境づくりの基盤,科学技術の発展のためには,しっかりした学術基盤と確実な技術基盤が必要である.このように,あらゆることにはその基盤があり,必要な基盤を維持し発展させる社会システムを築くことこそが,持続可能な幸せを追求するための基本であると思う.

 科学技術の発展により,人類の活動が自然環境に影響を与えはじめてしまった今,自然のシステムを知る研究者や技術者が必要である.厳しくも美しくもある自然環境のなかに,幸せな暮らしを求めて,弛みない努力を重ねてきた類い稀な美しい感性をもつ日本人が,再び世界から尊敬されるように,「自然科学」を基盤として,自然に学び自然と調和する社会を実現する「自然工学」を,私は今後も創造して行きたいと思う.

 以 上

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