LastUpdate 2015.1.13


J S M E 談 話 室

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No.132 「ブダペストの交通と街の変貌」

日本機械学会第92期庶務理事
須田 義大(東京大学 教授)

須田義大

 本原稿を依頼され、何について書こうかを思案していたが、ちょうど、9回目のブダペスト滞在中であることから、ハンガリーの首都ブダペストについて思うことを述べたいと思う。何故、この都市に、一般的な日本人にはそれほどなじみがある訳ではないところに頻繁に来ているかといえば、ブダペスト工科経済大学との交流を1996年以来行っているからである。車両工学を専門されるゾボリ先生(Prof. Zobory)とは、先生の助手が当方の研究室に長期滞在して以来、車両工学、マルチボディダイナミクス、車輪やタイヤの接触力学を中心に色々と交流をしている。国際会議も、Contact Mechanics for Rail and Wheel mini Conference(レールと車輪の接触に関する国際会議)、IAVSD(International Association for Vehicle System Dynamics:車両システムのダイナミクスに関する国際会議)、Bogie Conference(鉄道台車に関する国際会議)、VSDIA(Vehicle System Dynamics, Identification and Anomalies:車両ダイナミクスシステムに関する国際会議)と車両のダイナミクスに関係するいくつも会合が開催され、VSDIAについては、2年に一度の頻度で、定番の交流の場として、当方もISCメンバーを務めている。そういうわけで、1996年に初めて訪問して以来、2014年11月で9回目の訪問となった。

 この間のハンガリーの変貌は目を見張るものがある。当初はまだ旧共産圏の雰囲気が強く漂うところであり、英語もほとんど通じず、まさに異国の地に来たという感じであった。しかし、その後、EUへの加盟、シェンゲン条約への加入などが進み、今では、パスポートコントロールもなくなってしまった。丁度、2008年の滞在のときは、パスポートコントロールがシェンゲン条約発効で廃止されるタイミングであり、入国時には審査があったのに、出国時はフリーという貴重な体験もした。今や、かつてのハプスブルグ家の栄華を誇ったオーストリア・ハンガリー帝国を彷彿させる中央ヨーロッパの大都市としてその存在を誇示しているように思える。

 そもそも東西冷戦を終結させるうえで重要な役割を果たしたのが実は、ブダペストおよびハンガリーである。ベルリンの壁を崩壊させて、東西冷戦を終結に導くきっかけとなる、ヨーロッパピクニック計画が1989年に練られ、実行されたところである。当時は、東ドイツから西ドイツに移動することが困難であった。しかし、東ドイツの衰退とともに、西に移住を企てる東ドイツ国民に、ハンガリー経由で移住を認めたからこそ、大きな社会の流れをつくり、それがベルリンの壁を崩壊させ、その後東西ドイツの統一、ソ連の崩壊につながったのである。

 さて、国際会議の話にもどると、実は、ここは鉄道技術についても、歴史的な偉業を成し遂げた地であり、今なお、多くの交通システムが元気に活躍している。ヨーロッパ大陸初の電化方式地下鉄発祥の地であり、この地下鉄はもちろん現役であり、トラム、ケーブルカー、ラック式鉄道、子供鉄道など興味深い交通システムが実用に供されている。かつては、地中集電式の路面電車まで走っていたという。

 世界で初めての地下鉄がロンドンで開通したことはよく知られているが、ヨーロッパ大陸で最初の地下鉄はブダペストであることはあまり知られていない。ロンドンは蒸気鉄道として開通したが、ブダペストは最初から電化され、電車方式の地下鉄であった。非常に興味深いことに、初期の地下鉄によく見られるような第3軌条方式ではなく、架線とパンタグラフ方式であった。ただ、トンネルの断面を小さくするために、当初はパンタグラフを屋根につけるのではなく、車体の側面に着けるという驚くべき方式であったようである。今でも、デアーク広場にある地下鉄博物館にはその車両が展示されているし、その路線は、リニューアルされてすべて新車に置き換えられてはいるが、小型の連接方式の地下鉄となり、他のその後開通した路線とは全く異なる規格となっている。

 他の路線は、核シェルターのように巨大でかつ地下深い駅を持つ、ロシア製の地下鉄車両が走っているが、最近開通した4号線とともに、フランスのアルストム製の新車に置き換えられつつある。巨大な地下インフラは圧巻であり、そこまでつなぐ長大エスカレータのスピードは思わずたじろぐほどの速さであり、誰も歩く人はいない。ブダペストの町は、ご存じのとおり、ドナウ(ダニューブ)川を挟んで、王宮のあるブダと、商業の街であるペストが合併した都市である。この地下鉄はドナウ川の河底を通り抜ける。

 現在のトラムは、縦横無人にブダペストの街を走っている。このトラムは、旧共産圏共用のタトラカーが主流であったが、近年には、路面からステップレスで乗降できるドイツ・シーメンス製の超低床車両も導入され、街中を堂々と6両編成で走行するさまは圧巻であり、トラムが地元の足として定着していることがわかる。このトラムであるが、日本とは比べ物にならないほど便利なシステムが色々と導入されている。最高速度も路面上でも高く、日本の40km/h制限にくらべてかなり高速であるし、運賃収受も自己申告制のため、6両編成であっても、すべてのドアを利用して乗降可能なため、乗降時間は短い。さらに、運賃制度も、割安なチケットが用意されており、24時間や3日乗り放題チケットもある。この24時間チケットは、日本のようにその日だけ有効ではなく、最初の乗車時刻から24時間有効であり、翌日まで利用できる。

 さて、このトラムの歴史を見ると、かつては、架線ではなく、地中に埋められた第3軌条から集電していたという、信じられないような仕組みも存在していたようである。ブダペスト市内の交通博物館や、郊外のセンテンドレにある鉄道博物館を訪ねると、かつて活躍した車両が展示されているが、1本のレールを割いて、そのスリットから集電子を伸ばし、地中の集電レールから集電するという奇想天外なシステムの紹介を見つけることができる。

 公共交通としては、これ以外にもバスやトロリーバスもあり、さらには王宮の丘に登るケーブルカー、そして車輪に着いた歯車と地上のラックを利用して駆動するラック式鉄道などが現役で実用的に稼働しており、まさに生きた交通博物館といえるような状態である。そして、興味深いのが、子供鉄道である。山間部を走る小型の鉄道であるが、時にはSLも牽引する。ここでは、小学生と思わる子供が、駅での切符の販売や、車掌などを務めて、体験学習をしているのである。最近、日本でも子供に職業体験をさせる施設が人気を博しているようであるが、単に体験をさせるのではなく、実際の現場で実務につかせているのである。このような教育システムも注目すべき事柄と思う。

 約20年にわたって、ブダペストを何度も訪問し、様々な体験をしてきたが、伝統的に変わらないところと、ドラスティックに生まれ変わるシステムと2つに色分けされる。公共交通のよいシステムはハード、ソフトともに維持しつつあるように見える。一方で、新たな地下鉄が開業するなど、ゆっくりではあるが、着実にインフラ整備も進んでいる。もっとも大きく変わったのは、社会制度であろう。中央ヨーロッパとして君臨し、ヨーロッパ大陸で最初の地下鉄を開業させた都市は、第2次世界大戦やハンガリー動乱、東西冷戦などを経て、再びEUの仲間入りを果たした。ブダペスト工科経済大学はその歴史を生き延び、大きな成果もあげている。

 最後に、ハンガリーならでの事柄も紹介したい。実は9度も訪問しながらハンガリー語はさっぱり分からない。実に難しい言葉であり、近隣のドイツ語系、スラブ語系の言葉とは全く異なっている。いわば、アジアの騎馬民族をルーツとして持つというマジャール帝国としてのハンガリーである。実際に郊外に行くと、複数の馬を乗りこなす騎馬ショーも見ることができる。一方でドナウ川沿いの古城も圧巻である。ブダペストのもう一つの名物は、温泉である。日本式の温泉とは若干違うが、旅先で温泉に入れるというのも大きな魅力である。そして、飲食といえば、フォアグラとパプリカが名産であり、デザートワインとして名高いトカイワインも有名である。多様な文化にふれて、車両工学の黎明期をも体験できるブダペストは、十分に楽しめるところである。日本からは残念ながら直行便がないが、是非、訪ねてみることをお勧めしたい。


写真1 ブダペストのシンボル自由橋とトラム ブダペスト工科経済大学前のゲラート温泉より
    ドナウ川の下を新しい地下鉄が走る


写真2 ブダペストの最新トラム 超低床6両編成 セール・カールマーン広場 (旧モスクワ広場)


写真3 ヨーロッパ大陸初の地下鉄車両 パンタグラフが車体側面に デアーク地下鉄博物館


写真4 かつて存在した地中集電のトラムの模型写真 センテンドレ鉄道博物館

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