後輩へのメッセージ
機械力学の思い出
太田 博
愛知工科大学
1、まえがき1.1 機械力学をはじめるまで(1)
父が榊原商店(愛知県名古屋市中区古渡町)から独立し、太田栄蔵商店(機械工具伝動装置一式、テンプルローラー製造)を名古屋市熱田区新屋頭町に開店してまもない、1935(昭和10)年1月に私は生れました。近くの金山幼稚園に隣接する金山神社の境内でよく虫取りや砂場遊びをやったものです。この神社は、古渡町から熱田神宮にかけて集中している機械関連の商工業者や鍛冶屋が氏子となり、機械の神様・かな金やまびこの山彦みこと命を祭る神社でした。その元国幣大社は南宮神社(岐阜県垂井町)です。
その後、1941(昭和16)年12月8日の太平洋戦争の突発、3年後に予想される日本最大の軍需産業都市・名古屋への大空襲の対策として、まず児童の縁故疎開が勧誘され、転校を余儀なくされました。
金山幼稚園(名古屋市、在籍2年)入学→高蔵国民学校(同、3年)転校→養正国民学校(岐阜県多治見市、3年)入学→平野中学校(同、1年)統合→陶都中学校(同、1年)転校→山王中学(名古屋市、2/3年)転校→陶都中学校(多治見市、1/3年)入学→多治見高校・普通科(同、3年)入学・就職→名古屋大学・工学部機械学科(名古屋市、45年)定年退職・就職→愛知技術短期大学(愛知県蒲郡市、2年)改組→愛知工科大学(同、3年)。名古屋大学工学部機械系学科における在学と勤務の年数がなんと45年の長期間になります。現在の年齢に比べれば45/68=66.2%を占めています。
1.2 ノーベル賞の与える影響の大きさ
最近こそ日本人のノーベル賞の受賞が増えてきたようです。白川英樹氏(化学賞、2000年)、野依良治氏(化学賞、2001年)、小柴昌俊氏(物理学賞、2002年)、田中耕一氏(化学賞、2002年)と続いておりますが、日本人で最初のノーベル賞を受賞されたのは湯川秀樹氏(1907〜1981)(物理学賞、1949年)です。その「中間子理論」の発表は1934年(27歳)のときでした。この出来事はまったくの晴天の霹靂のようなショックを私は受けました。当時中学3年でしたが、敗戦国・日本のこれから進むべき道は、農林業でも漁業でもなく、科学技術をもって立国すべきことをはっきりと示されたものと感じました。しかも立派な実験装置が整っていない現状では、紙と鉛筆でもって導かれた「中間子理論」の発見であったからです。
次のノーベル賞は16年後に湯川氏とほぼ同年齢の朝永振一郎氏(1906−1979)(物理学賞、1965年)で、「超多時間理論」の発表は1940年(34歳)のときでした。朝永氏の「超多時間理論」も紙と鉛筆によって導かれた理論結果です。
御存知のように、化学と機械工学を学んだA・ノーベル氏(1833−1896)は、全遺産168万ポンドを基金とし彼の遺言により1901年から物理学・化学・医学生理学・文学・平和の賞(後に1969年にノルウエー国会が選ぶ経済学賞が加わりました。)の6賞が与えられていますが、その占める分野は学問の全分野をカバーするものでなく、これ以外にも大切な分野がいくつもあるのです。文部科学省が日本におけるノーベル賞の受賞数を意図的に増す方策を考えていますが、学問全体の健全な発達をそこなうものでないかと危惧しています。
1.3 ノーベル賞こぼれ話
さて、1957(昭和32)年、修士課程の1年のとき名大工学部機械学科の大久保肇教授がノーベル物理学賞の候補に選ばれたと、新聞・テレビ・ラジオで報道されたことがある。その日の朝、修士課程の同級生の川島君との最大の話題となったが、日本で唯一人のノーベル物理学賞の受賞者・湯川秀樹氏の「中間子理論」と大久保教授の「銅メッキ法による応力測定法」との間のあまりにも大きなギャップにとまどってしまった。二人とも狐につままれたままであった。その後は何の報道もなく、うやむやに時が過ぎ忘れられた。後日、母校に勤務するようになってから上司の山本敏男教授にお聞きしたら、ノーベル賞の候補者推薦の公募の英文手紙が大久保教授にも送られ、その内容の読み誤りが報道の発端であった。英米に滞在期間の長い生源寺順教授が念のため、もう一度英文を読み返して読み誤りに気付いたのが、報道された後のことであった。
20数年後、スエーデン科学アカデミーから私宛にノーベル賞候補者の推薦依頼の英文手紙が送られてきたことがある。前述の事例がなければ私も内容を読み誤ったかもしれない。3年前にノーベル化学賞を受賞された白川英樹氏は本当に謙虚なお人柄でノーベル賞を確認できるまで報道陣に応答されなかったのはまことに立派である。
1.4 大学院修士課程の2年間
修士課程では熱力学及び熱機関講座の小林明教授のご指導で「放射性同位元素による内燃機関の電気点火におよぼす影響」のテーマを選んだ。具体的な指導はなく、当座は全く手がつかなかった。暗中模索でいろいろ思いつくままに実験を試みては失敗を繰り返した。種々の文献を調べても点火線輪による放電と点火・燃焼との関係すら、まだ不明なことばかりだと知った。あるヒントから思いついて液体燃料(単体燃料デカリンC10H18と燈油)の沿面燃焼を利用し、点火率50%の液体燃料の温度を比較すれば点火性能を測定できることを見出してからは実験も進んだ。
1年が過ぎて卒業論文の締切日が迫り、小林教授に結果を見てもらう前日になり、やっとデータがそろった。卒業研究の学生2名と徹夜でデータ整理してグラフ上に放射線の影響がはっきりと現れたときの喜びは一生忘れられない。単体燃料デカリンで空燃比が21〜29の可燃低限界付近で点火率を測定した。
各種の点火条件での放射線の影響を測定し、放射線を火花間隙に照射すれば点火に著しい効果のあることを確かめてからは、その原因をいろいろと考えてみたのであるが納得できる筋道は立たなかった。実験結果を説明する仮説を何度も組み立て直して、結論を得たのはそれから1年後であった(2)。これらの点火実験中に3度の爆発事故を経験したが、まさかを考えたフェールセーフ設計のおかげで幸いにも誰も怪我をしなかったことは特記できる。放射性同位元素の影響で私の白血球が半減したときは苦しかったが2、3年で元の健康に回復した。
同じ所を深く掘ればいつか泉を発見するように、きわめて狭い対象でもそれを深く掘り下げて研究している内に、興味もわき次第に力もついて自信が持てるようになり、それ以外のことも臆せずやれるようになるものである。また、自信のないまま手をこまねいて悩むよりは、進んで行う「実践」が大切であると思った。
「おくびょうで、ためらいがちな人間にとっては、いっさいは不可能である。なぜなら、いっさいが不可能なようにみえるからだ。」(ウォルター・スコット)
2、機械力学とともに39年(3)
1958(昭和33)年3月にアメリカ・ウイスコンシン大学から帰国された志水昭史先輩(後に岐阜大学教授)のご紹介で、同大学の機械工学科O・A・ウエハラ、T・F・マイヤー両教授のもとで「内燃機関のエンドガスの温度測定」の研究を行うことが決まっていたが渡航直前に先方から奨学金がでなくなり、この計画は急に頓座した。
1年後輩で親しくしていた機械力学講座の後藤・島本両君の卒業研究「リザクゼーション・オシレーションの研究」については、研究の内容や振動計測法について時々相談を受けたこともあり、機械力学には大いに興味をもっていた。山本敏男教授から助手の話があり、翌朝にOKと即答した。これには山本敏男教授も驚かれたようだ。
2.1 非対称回転体をもつ軸系の不安定なふれまわり振動の発生機構
1959(昭和34)年4月から機械力学講座の助手になった。山本教授は、「放射性同位元素とか、回転軸の危険速度とか、太田君はどちらも危険な実験ばかり縁があるのだな」と冷やかしながらも、回転軸のふれまわり振動の光学的計測のためのレンズ系の調節の仕方や、オシログラフ記録用の印画紙の現像・定着・水洗・乾燥など手を取るように教えていただいたことを昨日の出来事のように思い出します。まず、機械力学のイロハから勉強し直し、山本教授のご指導のもとで、二枚羽根プロペラや二極モータの回転子のような軸と直角方向の二つの主慣性モーメントがI1≠I2と相異なる「非対称回転体」をもつ軸系の振動問題を研究し始めた。
静止した2方向の回転体の変位と傾きに関する四つの運動方程式に、ふれまわり振動解(回転体の非対称性のために二つの振動数p と2ω−p の振動が共存する解)を代入して得られる振動数方程式はp に関する8次方程式となる。当時は、卒業研究の2名といっしょに、手回しのタイガー計算機を使って実根 を数値計算し、回転速度ω=0〜4の間でωを変えながらp−ω曲線と振幅比-ω曲線をプロットしてみた。主危険速度付近でωの変化に対するpの変化はわずかであるが、振幅比の変化が微妙であった。(静的不安定振動)(4)。回転体の非対称性のために一定の回転速度の範囲内で実根pが存在しない。これが回転軸の不安定振動の発生の原因である。
さらに上記とは異なる回転速度付近でも実根pが存在しないωの範囲が見出された(動的不安定振動)(5)。これが白川英樹氏のおっしゃるセレンディピティ(偶然からうまく見つけ出す能力)の幸運なのであろうか。
大型計算機NEAC2203がようやく名大に設置されたので、n次代数方程式の実根pを求めるプログラムを独力で完成させ、その結果として計算時間のスピードアップと計算精度の向上につながった。このことを工業数学の二宮市三教授に自慢したら、その解法はレグラ・ファルシ法だと教えていただいた。
それから5年後に、学位論文「非対称回転体をもつ軸系の振動学的研究」にまとめることができたが、審査委員(副査)の土井静雄教授は工作機械のびびり振動の発生機構に関する世界でも指折りの権威者であり、さすがに核心をついたご質問をいただいた。「非対称回転体の不安定振動のエネルギーはどこから入ってくるのか」というご質問で、特性方程式の複素根の正実部の存在範囲を数値計算で求めるアプローチしか考え付かなかった私にとっては、当時は何の回答もできず、ご質問には全く歯が立たなかった。主査の山本教授は「ブランコの原理と同じだ」と助け舟を出してくださったが正解とはいえない気がした。軸と同じ角速度で回る座標系から見た軸のふれまわりが、だ円軌跡を描くことがヒントとなった(6)。最終的に非対称回転体の不安定振動の発生機構を軸端のトルクと結びつけて完全な説明が出来るまでには18年の年月を要した(7)(8)(9)。
回転軸の不安定振動の発生と軸端トルクを結びつけるのにラグランジュ方程式を用いることを思いつき、それが成功につながった。「非対称回転体」を目標にしながら同時平行で力学的にわかりやすい「偏平軸」(7)をまず取り扱いつつ、後者の力学的意味を踏まえて前者を取り扱ったことが良かったと思う(9)(10)。
2.2 重ね板ばねの摩擦と動特性
大変形では重ね板ばねの目玉間のスパンが短くなるため漸硬型の非線形ばね特性があらわれるから、重ね板ばねの振動系には、非線形振動が発生するだろうとの予想から始めた研究であった。しかし板間の摩擦力の役割が決定的で、ばね下の強制変位による共振以外の非線形振動はまったく発生しなかった。実験で得られた共振曲線(振幅―強制変位の振動数)は、共振振幅が大きいほど共振振動数が低くなる漸軟型の非線形ばね特性を示す。これは重ね板ばねに特有な板間摩擦力のために振動1サイクルごとにばね上の動荷重が描く右まわりの履歴曲線が重ね板ばねのばね特性に大きな影響を与えている。(11)。板間の摩擦状態、板端のすべり速度、ばねの形状・寸法・枚数の異なる重ね板ばねの履歴曲線を比較するために、履歴曲線の移り部分を無次元表示したところ、ばね上重量、振幅、板端のすべり速度により差異は生じないが、板間の摩擦状態により多少の差を生じることがわかった(12)。
2.3 自在継手により駆動されるプロペラ軸の横振動
自在継手(いわゆるフック氏の継手)を介して駆動されるプロペラ軸の横振動の固有振動数 が駆動軸の角速度ωの整数倍Nωと一致すると、駆動軸の奇数倍の角速度Nω(N=2k+1,k:整数)の激しい横振動が発生することはすでに明らかにされているが、これまで偶数倍の角速度Nω(N=2 )の横振動は自在継手の+字ピンとヨークとの摩擦力がその原因とされてきたが(13)、駆動軸が一定角速度ωで回転するとき、自在継手の折れ角が存在すればプロペラ軸の回転運動に対する抵抗モーメント(一次モーメント)がプロペラ軸を横方向にたわませようとする成分(二次モーメント)を生じ、この二次モーメントがプロペラ軸の偶数倍振動の主原因であることを示した(14)。この結論は+字ピンとヨークの間の摩擦の有無にまったく無関係に得られる。剛性駆動軸の代わりに撓性駆動軸を用いると偶数倍振動はきわめて小さくなる実験結果からも二次モーメント説の正しいことは実証された(15)。さらに、+字ピンとヨークの間の摩擦は、粘性摩擦・クーロン摩擦のどちらでも+字ピンの2軸まわりの摩擦力が等しければ、偶数倍振動を発生しないことも確かめた(16)。
2.4 その他の研究
ワイヤロープ式シリコン単結晶引き上げ装置の自励振動(17)、被削材の再生びびり振動の発生(18)(19)、非対称回転体を持つ軸の危険速度通過時のふれまわり振動(20)、液体をもつ中空回転体の振動に関する実験(21)などを行った。
3、啓蒙活動
機械力学に関する講習会等 約20回、著者12冊、
「回転体の動力学入門」(機械学会東海支部40周年総会、1991),
「振動と雑音」(自動車技術会中部支部1994、機械学会創立100周年東海支部記念式典講演会1997、FM岡崎1999)
「身近に見られるふしぎ運動の解明」(トヨタ技術会1993,マルヤス技術会1994,愛知技術短大公開講座1998,豊田市科学技術教育研究協議会1998,名大遠州会1999),
「楽しい渓流釣り2002」「楽しいおもちゃの科学2003」を三河ネットワークCATVのためにビデオ制作をした。
参考文献
(1)太田 博、人生を振り返って、自動車技術会中部支部報、49(2000−2)、10−11.
(2)小林 明・太田 博、放射線の電気点火におよぼす影響、機論、27−174(1961−2)、231−239.
(3)太田 博、機械力学とともに39年、機論、65−636、C(1999-8)、3059-3060
(4)山本 敏男・太田 博、非対称回転体の振動について、機論、28−188(1962−4)、475−485.
(5)山本 敏男・太田 博、非対称回転体の動的不安定振動、機論、30−209(1964)、149−160.
(6)太田 博・河野 和豊、軸とともに回転する方向性による不安定振動の発生、機論、36−285(1970−5)、739−749,
(7)太田 博・水谷 一樹、剛性に方向性のある軸受台で支えられた偏平軸の不安定振動(第3報、2種類の不安定振動の発生機構)、機論、46−408、C(1980-8),873-882.
(8)太田 博、回転軸の不安定なふれまわりの発生原因、機誌、83−744(1980−11)1357−1363.
(9)太田 博・水谷 一樹、剛性に方向差のある軸受台で支えられた非対称回転体の不安定振動、機論、47−416、C(1981-4),415-423.
(10)太田 博・水谷 一樹、非対称回転体をもつ偏平軸の軸端トルクと不安定振動の発生、機論、48−426、C(1982−2)、155−165.
(11)山本 敏男・太田 博、重ね板ばねの摩擦と動特性、機誌、70−582(1967−7)、1013−1022,
(12)太田 博、ほか3名、重ね板ばねの摩擦と動特性(第2・3報)、ばね論文集18(1973−4)、39−48、49−57.
(13)藤井澄二・柴田 碧・重田 達也、自動車プロペラ軸の低い速度で起るふれまわり(第2報)、機論、22−119(1956−7)、489-491.
(14)太田 博・加藤 正義、自在継手により駆動される回転軸の横振動(第1報、二次モーメントによる偶数倍振動の発生)、機論、50−449、C(1984-1)、101-105.
(15)太田 博・加藤 正義・杉田 洋、自在継手により駆動される回転軸の横振動(第2報、二次モーメントによる偶数倍振動の解析および実験)、機論、50-460、C(1984-12)、2309-2318.
(16)太田 博・加藤 正義、自在継手により駆動される回転軸の横振動(第3報、+字ピンとヨークとの間の摩擦による振動)、機論、52-479、C(1986-7)、1908-1913.
(17)太田 博・水谷 一樹・藤田 敬、ワイヤロープ式シリコン単結晶引上げ装置の自励振動(第1報)、機論、54-507、C(1988-11)、2544-2549.
(18)太田 博・水谷 一樹・川合 忠雄、再生びびり振動の発生について、機論、52-480、C(1986-8)、2278-2286.
(19)太田 博・近藤 英二・山田 壽勝、被削材の再生びびり振動の発生、機論、54-504、C(1988−8)、1953−1960.
(20)加藤 正義・太田 博、非対称回転体をもつ軸の危険速度通過時のふれまわり振動、機論、57-543,C(1991−11)、3417−3422.
(21)太田 博、石田幸男・佐藤 彰・山田 知広、液体をもつ中空回転体の振動に関する実験、機論、52-474、C(1986-2)、474-482.