後輩へのメッセージ
研究と教育の半世紀
小野京右
東京工業大学名誉教授
日立製作所中央研究所技術顧問
1.まえがき私は2005年3月末,63歳で東京工業大学を退官し,現在日立製作所中央研究所の技術顧問をしております.大学では機械力学を主専門にしてきたので,日本機械学会では機械力学・計測制御部門が本来の活動の場です.博士課程を修了して間もなく機力・制御部門の前身である機械力学委員会に参加させていただき,当時東大の津田先生を委員長とする機械力学分野の先生方と懇親旅行したことを覚えております.1990年頃情報・知能・精密機器部門の発足に際して推進役を頼まれ機力・制御部門との係わりは2次的となりました.最初の技術分野は回転体力学でしたが,力学と振動理論以外に潤滑理論を勉強することとなり,その後電電公社研究所で情報機器の研究開発に従事して以来軽薄短小分野のダイナミクス,トライボロジー問題を,大学へ移動してからは更に位置決め機構,ロボット,生体のダイナミクスとコントロールの研究へと広げました.後輩へのメッセージとして,私の思い出深い研究の幾つかをその動機や背景に焦点をあてて紹介したいと思います.
2.研究テーマ
標題の「研究と教育の半世紀」は私の最終講義の題名です.私の研究と教育の原点は小学校3年から高校1年までの8年間にあり,高校2年から大学3年までの受験勉強と社会性に目覚めた4年間を除き,大学4年から博士課程修了までの6年間,電電公社時代の13年と大学の23年間を加えて丁度50年間になります(日立中研で既に1年を加えました).ここでは大学3年以前の話は除きますが,小さい頃の物作りと観察・実験から理数的な世界にあこがれていった私は本来理学的な研究に向いています.様々な制約条件により機械工学専攻となりましたが,技術的な物作りより,人工物に生じる自然現象を数理的に解析しそのメカニズムを解明する方が楽しく,その結果明らかになった問題解決策を新技術として提案するような研究スタイルをとってきました.理学的なセンスが強いために,機械力学という工学の一分野に縛られずに様々な物理現象問題に係わってきました.数件以上の論文を出した研究テーマを羅列すると,回転体・すべり軸受系の振動問題,転がり軸受支持回転体の振動解析,静圧空気軸受の不安定解析と高剛性・高減衰化,浮動ヘッドスライダの追従特性解析,フォイル軸受の数値解析,弾性接触と数値弾性流体潤滑解析,フレキシブルディスクの動的変形と自励振動解析,コンタクトスライダの完全接触走査条件,浮動ヘッドスライダの自励跳躍振動解析,位置決め機構の制振制御,位置決め制御における振動モードの不安定機構と同相安定化設計,柔軟媒体の搬送運動解析,多自由度ロボットアームの最適運動軌道計画,魚や蛇の屈曲推進機構,自励駆動形2足歩行機構,多体系の運動解析と制御などがあり,学術論文と解説論文の合計は270件を超えています.学術的分野としてはダイナミクス,トライボロジー,コントロールに関する様々な問題を半分は学術的な重要性から半分は実際的の重要性から選択し研究してきました.以下ではその中から,思い出深い幾つかを紹介します.
3.学生時代の回転体と軸受の研究
卒業研究から博士課程にかけては,チモシェンコの工業振動学から始まり,回転体力学,流体潤滑と空気膜潤滑の理論を学びました.当時回転体の高速化で流体軸受に起因する振動問題が重要な研究分野となっており,とかく流体潤滑屋さんが動的な問題の研究に着手していましたが,私は逆に振動学の観点から回転体の動的特性を支配している潤滑膜特性の理論へと降下して軸受理論を見直したために一つの立場を築くことができました.研究には従来にない新しい視点が重要です.ある専門分野の人が他の専門分野へ入っていくと新しい発見が期待できます.
まず卒業研究から修士研究まではすべり軸受でささえられた回転体の振動,特にオイルホイップと呼ばれる油膜に起因する不安定性の研究をしました.これは研究室の田村教授から与えられた卒業研究テーマです.当時東大の堀先生が出されたオイルホイップ理論というのがありましたが,振動学的には不安定となる自励振動数が最も重要な解析対象なのに,実用的な観点から安定限界回転速度しか議論されておりませんでした.そこですべり軸受で支持された回転体の固有値を調べてみると,いわゆる回転速度の1/2弱であるはずの値とはかけ離れておりました.そこで当時の潤滑理論の英文参考書を読んで見たのですが,当時の動的油膜圧力の解法は静的な油膜破断に基づく静的圧力解法の類推としてなされていたにすぎないようでした.そこで簡単な無限幅軸受理論でのスクイーズ効果に対する円周方向境界条件を変えることにより,当時川崎重工の多々良氏がより実際に近い安定限界速度を与えるとして提案していた無限小幅理論(円周方向の境界条件は用いない)と同様な動的圧力分布を得ることが出来,またオイルホイップの自励振動数も実際と一致し,安定限界も無限小幅理論とほぼ一致する結果を得ることが出来ました.最初に出した論文は却下されましたが,修士研究として動的油膜圧力の計測を行い,油膜圧力分布として正しいことを示す論文を通してから,再度無限長幅軸受理論によるオイルワール・オイルホイップ現象の論文を提出し,少なくとも近似軸受理論に基づくオイルワール・オイルホイップ論争に決着をつけました.それ以降は有限幅軸受の油膜圧力をコンピュータで数値的に求めることが一般化し,動的油膜圧力はより正しく把握できるようになったようですが,負圧による油膜破断を伴う動的圧力の厳密な解法は現在でも完全には解明されていない問題です.
すべり軸受で支えられた回転体の不安定問題は発電機の大形化に際して重要な課題であったため,日本でも数人の方が取り組んではいました.実用的な安定・不安定という立場からでなく,振動学的な立場からはシステムの固有値の解析が最も重要であるという理論的な立場から研究したこと,そしてその立場から既存軸受理論の欠陥を見出し,潤滑理論を見直したことが問題解決のリーダシップをとれた理由であったと思います.その後は更に弾性ロータの釣合せ問題にも関連して,固有値だけでなく,固有モードも解析されるようになりました.現在,浮動ヘッドスライダのニアコンタクト領域の自励跳躍振動が解析競争下にありますが,自励振動数は問わず安定限界点のみを議論する理論が絶えません.
博士課程では当時回転体力学分野で話題になっていた,静圧空気軸受で支えられた回転体の不安定性に関する研究を行いました.この問題も多くの方が着手されていたので,修士論文を早々にまとめ,修士時代から着手しました.まず実験により安定限界特性を軸受すきまや給気圧力を変化させて調べた実験結果を論文に出し,続いて気体軸受に対する圧縮性レイノルズ方程式を解いて定性的には勿論定量的にも実験結果にかなり合うような結果を得ました.この理論的研究は多々良氏と同時に機械学会の講演会で発表し,何とか淘汰されずに済みましたが,理論的には色々と不十分さがありました.特に問題なのは,圧縮性レイノルズ方程式における動的圧力はすきまの時間微分によるスクイーズ効果と共に圧力の時間微分項も存在します.当時の私の実力ではこの圧力履歴項を処理することができず,これを無視して非圧縮性のスクイーズ圧力しか求めていませんでした.幸い多々良氏も同様でしたが,その後圧力履歴項を厳密に考慮して解析すると,なぜか実験とは異なり自励振動発生限界は常に静圧軸受の空気膜剛性で決まる回転体の固有振動数の2倍で発生するという解しか得られませんでした.結局博士研究は理論としてはいい加減な理論のお陰で結構実験によく似た結果を得た訳ですが,謎と不安が残りました.動圧気体軸受の圧力履歴項の問題は,その後電電公社に移ってから,レイノルズ方程式をラプラス変換してから空間的に離散化して代数方程式とし,複素圧力を数値計算する手法を開発しました.その結果による動的空気膜の特性は潤滑学会会誌21巻10号の解説でのべ,静圧軸受の安定限界の矛盾についても言及しています.なお,静圧空気軸受の安定限界に関する厳密理論の矛盾は数年後,京大の森氏によって空気の慣性効果を考慮することによって解決できることが示されました.このように研究とは真理を追究する競争で,絶えず間違いや限界を含みながら逐次修正されていくしかないものであり,従って自分が決定的な間違いをしないように実験的にチェックし,また常に真実を開示して批判を乞う姿勢が重要です.
4.磁気テープの横変位伝達特性の基礎方程式の導出と磁気記録装置のヘッド媒体インタフェ−スの研究
博士課程を修了して電電公社の研究所に入所してから,大学時代とは異なる新しい分野を開拓しようと思っていました.最初に係わった研究は当時電算機室で用いられていた真空コラム付きテープ装置のテープの走行時の振動を計測し,その原因を究明し,テープ走行精度を上げることでした.ゴミの様な枝葉末節の研究だと不満をいいながらも,当時500万円もする光学的にテープエッジの運動を計測できる装置を2台も買ってもらい新たな現象発見を期待して計測しました.そのデータの一部はトライボロジー学会誌42巻5号(1997)に載っており,近年の磁気テープの高トラック記録テープで重要な課題となっています.この研究で得た自分なりに満足している成果は,走行するテープの横揺れの円筒案内面における伝達特性の基礎式を導出したことです.事の発端は記録ヘッド近傍のテープの横振動の中に左右のリールのフランジ揺れ成分が混在していたことです.磁気テープはリールから数個の円筒状案内に微小な巻き角をもって方向変換され,ヘッド位置に案内されています.普通円筒状案内は回転しない固定形でテープと案内面とは摩擦接触しています.もしテープが走行していなければ,リール位置のテープを横に揺らしても,円筒案内部の摩擦によって拘束され円筒案内の反対側へは伝わりません.しかしテープが走行すれば横変位は円筒案内の反対側に伝達し,その伝達特性はテープ速度が上がれば上がります.そこで円筒案内に巻き付けられたテープを弦にモデル化し,その横変位の伝達特性の基礎式を円筒面における円周方向と軸方向の摩擦係数の異方性を考慮して導きました.弦の横変位の円筒面での伝達特性は,基本的には拡散方程式の形をとることが分かりました.即ち横変位の時間微分は弦の長手方向座標の2回微分に拡散係数をかけたものに等しく,また拡散係数は円筒面半径と走行速度に比例し,軸方向の摩擦係数に逆比例するというものです.ただし単純な拡散方程式ではなくて弦の長手方向座標の一階微分項も存在しその係数は軸方向と円周方向の摩擦係数の差の軸方向の摩擦係数に対する比と走行速度の積で表されます.この項は上流から下流へ伝達される特性とその逆の特性が異なることに対応します.実際円柱案内を作成して実験してみると,一般に軸方向の摩擦係数の方が円周方向のそれより大きいので,上流側からの伝達特性の方が下流からの伝達特性より高くなります.また固定円筒でなく回転円筒の場合には等価的に円周方向の摩擦係数がゼロとなる場合に相当し,上流から下流へは最も効率よく変位が伝達しますが,下流から上流へは伝わりません.これはプーリ上のベルトをはずすには上流側のベルトを横ずれさせる必要があることに対応します.この論文はASME J. of the Applied Mechanics Vol.46, No.4(1979) に掲載されました.私の学術論文の中でこの論文だけは参考文献がありません.空間異方性項を含む拡散方程式はまだ見たことがありません.
摩擦が重要な役割をなす柔軟媒体の搬送や横ずれ現象の解析については,その後ロール搬送される紙の横ずれや回転の解析(最初の社会人博士のテーマでした),ゴムローラ送りにおける接触圧による紙の速度増大とバックテンションによるスリップの解析へと進みました.これが基礎となり,1998年から2002年にかけて精密工学会の下で約40社と大学研究者12人による「柔軟媒体搬送技術と学理研究」という産学連携研究を行いました.ベルトの横ずれがコンピュータ解析されていますが,上記の弦にモデル化した1次元の横ずれの基礎方程式を2次元平面に拡張できる問題がでてくることを期待しています.
電電公社の研究所では,1年間の磁気テープ装置の研究以後,磁気ドラム装置の浮動ヘッドの集中形ロード機構の開発やドラム回転体の振動低減,磁気ディスクの浮動ヘッドスライダの追従性解析と設計論の研究,回転ヘッド形超大容量記憶装置の研究開発などをしました.この分野は米国IBM社が圧倒的に世界をリードしており,日本勢は電電公社を中心とする協同研究によりアメリカに追いつけ追い越せの時代でした.米国勢に負けない理論解析的研究としては,浮動ヘッドスライダの周波数領域のおける追従性解析があります.3節で述べた空気膜の圧力の時間項をラプラス変換により解く方法を定式化すると共に,浮動ヘッドスライダの追従性に関する設計法を明確にし,スライダ支持系の振動特性の影響や不安定領域の存在などを明らかにしました.また回転ヘッド形超大容量記憶装置の研究では,磁気テープを高速で非接触走査する球面ヘッドのフォイル軸受の3次元解析を行いました.これらの研究は日本のヘリカルスキャン型VTRのヘッド媒体インタフェースの解析の先駆的研究となりました.
5.大学における産学協同研究
電電公社でファイル記憶研究室長となって1年経てから,敵前逃亡と非難されつつ大学に移りました.そもそも自分が反対した計画を自ら遂行する羽目になったのですが,太平洋戦争に似た大それた計画であり,自分がやめることが計画を変更する近道でもありました.大きなプロジェクト組織では自分の意見の範囲と責任の範囲が一致しておらず,これが非生産的なストレスになります.それが無い大学は企業に比べれば正に天国といえましょう.ただし移動した1982年から数年間は研究資金が乏しかったので,簡単な実験装置とコンピュータで研究できる柔軟媒体とヘッドの接触問題などをテーマにしました.接触要素のグリーン関数による接触問題解析(境界要素法に対応する)を行い,フロッピーディスクのヘッド媒体インタフェース解析,磁気テープと回転ヘッドの接触問題,3次元弾性接触問題の解法などを研究しました.フロッピーディスクのヘッド媒体インタフェース解析ではM社やH社との協同研究を行い経済的支援も得ました.またR社の空気軸受によるレーザスキャナの開発に協力し,溝付き動圧空気軸受スキャナーの解析と設計を行いました.
大学は1995年までは金,人,物が窮乏し続ける氷河期が続きました.幸い日本経済のバブルがはじけて産業界が大学の研究力に期待せざるを得なくなったために,科学技術基本法が制定され科学技術基本計画がスタートした1996年頃から大学は資金的に潤うようになりました.この頃日本のHDD産業界は米国のダウンサイジングの流れに追従できず青息吐息の状態でした.NTTとの協同開発の頃は情報交換の場としてNTTがあったのですが,NTTがHDD開発から撤退してからは各企業が知っているようなことが情報交換されずに隠匿されたためです.そこで日本のHDD産業界は,1980年代に米国が日本勢の脅威に対抗して組織したHDD産学協同コンソーシアムNSICにまねて,情報記憶研究機構(Storage Research Consortium: SRC)という産学協同研究体を作りました.それ以来退官の2004年3月までの10年間,このSRCの経済的支援を受けてヘッド・ディスクインタフェース(HDI)とメカ・サーボに関する研究をしてきました.SRCは7つの部会を持ち全国の大学研究者50人程度の研究を支援し,年間2度の全体報告会と部門別の個別の情報交換会を設けています.SRCは企業にとって企業同士の情報交換,即戦力のある修士・博士学生の獲得,大学の研究成果を期待しています.一方大学側は産業界の研究テーマの取得,自由な研究経費の獲得,大学院学生の研究活動の活性化などが期待できます.実際年2回の報告会では200人を超える企業の技術者と大学研究者が集まり議論を展開するので学生にとっては大変な刺激になります.特に企業ですぐ活躍できる博士課程学生を育成できる場となります.更に大学研究者にとって,科学研究費や競争的資金を獲得する手段になっています.科研費B以上の高額研究資金を得るには,やはり産業界に寄与でき且つ学術的にも意味のある基礎研究である必要がありますが,HDDは真のナノテクノロジーの代表例であるためその大義名分ネタとして大変役立っているようです.ただしSRC産学協同研究を生産的に継続するにはやはり企業に参考になる大学側の研究成果が必要で,大学側は出来れば1年ごと,少なくとも2年に一度は新たな提案や研究の新機軸を示さないと活気が失われます.そこでの研究成果を紹介する余裕はありませんが,メカ・サーボ分野では,転がり軸受の非再現性振動の解明,位置決め機構の同相安定化設計論,各種流体軸受の特性比較,スクイーズ軸受によるディスクフラッタ振動の抑圧,動吸振器付きサスペンション機構の開発などで企業側の関心を維持してきました.またHDI関係では,コンタクトスライダの完全接触走査条件と摩耗耐久性条件の解明,浮動ヘッドスライダのディスクうねりに対する最適追従性設計法,ニアコンタクト領域における跳躍自励振動の解析,球面スライダのディスク衝突時の吸着力の計測などで,企業の関心が高く学問的にも重要な研究成果を得てきました.これらの成果はASME J. of Tribologyだけでも10編以上になります.また特許も3件出し,一件20万円の報奨金を担当学生にも正当に分配して知的財産教育の糧にしました.さらにこれらの産学協同研究を通じて,10人の工学博士を作ることが出来ました.
6.自励駆動による2足歩行ロボットの研究
1997年に制御工学科の古田先生をリーダとする「スーパメカノシステムの開発-機構と制御の融合」と題するCOE基盤形成研究プロジェクトに入れていただき,毎年かなりの研究資金が得られることになりました.そこでそれ以前から行っていた多自由度ロボットアームの最適起動計画や屈曲形水中推進機構の研究を発展させることにし,ダイナミクスと制御を融合した高効率推進機構原理として,自励駆動による2足歩行機構および屈曲推進機構の研究を行いました.自励振動は私の卒業研究からのテーマであり,その後,フロッピーディスクの鳴き振動解析,コンタクトスライダの自励振動,ニアコンタクト領域における浮動ヘッドスライダの自励跳躍振動などを研究しました.機械では自励振動は抑圧すべき対象ですが,これを生体の自律的でエネルギー効率の良い推進運動発生原理として使用できないかという期待です.
自励振動には固有振動の減衰が負になる単純な発振と流体軸受の不安定化力のように剛性行列の非対称性によって生じる自励振動があります.例えばノンコロケイテッドなフィードバック制御系の速度フィードバックによる振動モードの発振は前者となりますが,変位フィードバックによる発振は後者となります.この原理を,多自由度リンク機構をもつ生体の推進運動の励起に使用できないかと考えました.そこでまず,2自由度振動系を対象に減衰が負になる自励発振と剛性行列の非対称性に基づく自励発振のアクチュエータ原理とその適用例について研究しました.その結果,前者は受動系の振動モードを直接発振励起しますが,後者は受動系の反共振モードを励起する性質があることが分かりました.また後者では2質量間に減衰があると位相がずれるので発振しやすいことも分かりました.この研究を基礎に,人間の2足歩行の遊脚の下腿と上腿の2自由度振子モデルに剛性行列形自励駆動を適用しました.自由な膝関節で結合された下腿の揺動角を上腿の根本にあるモータのトルクにノンコロケートフィードバックし剛性行列を非対称化すると,ある値以上のフィードバックゲインで2自由度振子は自励発振します.このときのモードは上腿リンクに対して下腿リンクが90度遅れる反共振モードとなり,上腿の揺動振幅に対して下腿の揺動振幅が大きくなるので,床に衝突しない遊脚の振り運動が自然に形成されます.そこで上腿リンク根本のモータを介してもう一つの支持脚を直列に結合すると平地を歩けることがシミュレーションと実験で分かりました.ただしこのとき支持脚の膝はロックすることが必要です.歩行幅は自励駆動による入力エネルギーと遊脚の膝衝突と床衝突時の損失エネルギーとがバランスするリミットサイクルとして決まります.制御できるパラメータはフィードバックゲインのみで,これを高めると周期は変化せず振り振幅が増大して歩行速度が速くなります.しかしエネルギーの増加が著しくなりますので効率的には小さなフィードバックゲインで平地を自然体で歩くのに適しています.また竹馬形だけではなく円弧足付き歩行も可能で,円弧足があると円弧足面が転がり支持脚自体が運ばれるので歩行速度が上がります.また脚長が大きいと歩幅は大きいが歩行周期が大きく,脚長が小さいとその逆なので,脚長差による自然歩行速度の差はほとんど無いことが分かりました.
最初の自励歩行は支持脚が真直ぐでしたが,膝曲げ歩行も可能で歩行速度が上がることが分かりました.自励駆動による走行もシミュレーションにより研究しました.円弧足にバネによる蹴りを加えると,真直支持脚でも蹴りバネの強さと上記のフィードバックゲインを上げていくと自然に歩行モードから走行モードに遷移し,それによって歩行効率が上がることも分かりました.本来人間は膝曲げ歩行の速度を上げていって走行モードに入るので,膝曲げ歩行に足の蹴りを入れると走行モードに遷移すると予想していますが,この研究は時間切れとなりました.自励駆動2足歩行では腰部にアクチュエータをもつ能動義足に自励駆動原理を適用する研究も行いました.健常者の歩行軌道に対するフィードバック制御と比較したところ,駆動周期のマッチング作業をせずに歩行運動が可能なこと,効率がよいことなどが分かりました.
自励駆動原理は蛇や魚などの推進のための屈曲運動を励起することもできると考え,3リンク蛇機構の動的推進に適用しました.3リンク蛇の2個の関節部に回転ばねを設けて振動系を構成し,一方の関節角変位を他の関節のモータのトルクにフィードバックすれば受動系がもつ振動モードを進行波モードに変えることができ,これにより蛇機構は高速に推進します.またフィードバックに一定のバイアス値を与えることにより方向を変えることも出来ます.これと同じ原理を,魚の尾ひれと本体との相対揺動運励起にも用い実験的にその有効性を示しました.
7.おわりに
上記の大学時代の様々な研究は優秀な学生や共同研究者に恵まれたからできたことを述べておかねばなりません.テーマと問題意識を与えるだけで,あとは自分でやってくれる学生が多く,学生達の論文紹介や研究成果を媒介に自分が新分野を勉強してきたといえましょう.学術的な興味による観点からの研究テーマでも6人の工学博士が生まれました.私のなすべきことは,学生が自己閉鎖的にならず他人との討論を通じて自己発展する姿勢を体得させ,また折角の研究成果を学術論文まで仕上げるために,論理の厳密性と完結性を促し,また解析や実験にミスの無いよう配慮することでした.
これまでの研究所と大学の機械工学的研究では,企業が抱えている技術課題を解決する産学連携研究と学術的な興味に基づく研究を半々にやってきました.前者の課題は現状技術の改良で企業の手伝いといえますが,企業にはできない高度な解析や現象の本質を見抜くモデル化の研究であり,時には基礎方程式の導出や通説を覆す新しい現象の発見などもありました.産学連携研究では対象が既存の人工物であるだけで,運動する人工物に中に潜むダイナミクス,トライボロジー,コントロールに関する新たな学理を発掘してきたということが出来ます.これらはほとんどが古典力学の範囲ですが,最近のHDDのヘッド媒体インタフェース技術では,固体や流体の分子間引力,表面張力などが大きな問題となってきました.現在企業におけるHDD研究の中で上記のHDD産学連携研究の延長としてこれらの領域をもうしばらく追求したいと思っております.なお,これまで様々な機会に書いてきた,研究・教育に関する意見を,一昨年「創造的主体性形成のための教育・研究論」としてまとめ,学生や身近の教員の方々に配布しました.御関心がありましたら御連絡いただければお送りします(email: ono_kyosuke@nifty.com).