社団法人日本機械学会

モンゴル通信
シニア・エンジニアから若手技術者へのメッセージ

JICA シニア海外ボランテイア
(ウランバートル第4火力発電所)

安元 昭寛 (ヤスモト アキヒロ)

機械技術者として長年培ったその技術を活かし、海外で活躍するシニアボランティアから若い技術者へのメッセージをいただいた。今回寄稿をいただいた安元さんは蒸気タービンの設計や火力発電技術の輸出などで活躍されてきた。その後「科学技術と経済の会」でメンテナンス研究会部長などを歴任し、現在、モンゴルの首都ウランバートル第4火力発電所で熱効率改善と熱工学指導を行っている。気骨ある九州男児のメッセージをお送りする。


専門は熱工学、メンテナンス技術、環境教育。1963年九州大学大学院修士課程修了。株式会社日立製作所に勤務し、発電関連の技術者として活躍。社団法人科学技術と経済の会、メンテナンス研究会部長・国際部長を歴任。70歳にして技術者としての海外での経験などを活かし、モンゴルの火力発電所で技術支援を行っている。学生の頃から本会に入会し、筋金入りの機械技術者。日本機械学会畠山賞(第1回:1961)受賞、永年会員。

技術者としての道のり

 2009年1月、 まだお正月気分のさめやらぬ東京から、マイナス38℃の極寒のこの地に来て、初めて発電所でご挨拶をしたとき「私の名字、「安元」は、漢字で、Энх тайван Чингисхааны Улс エンフタイファン チンギスハーヌイ ウルス :平和なチンギスハーンの国)という意味です。よろしく!」、 集まっていた180人ほどのエンジニアが一瞬どよめいたことを覚えている。あれから1年半、街路樹の白樺の列が淡い緑の葉っぱをつけて、さわやかに揺れている初夏を迎えた今、齢71にして異国の地で、この国のエネルギー供給に、いくらかでもお役に立っていることの喜びを、静かにかみしめている。

学生時代

 私が、九州大学工学部 機械工学科から(同)大学院機械工学専攻に進んだ頃は折しも、「もはや戦後ではない!」といわれて、高度経済成長期のど真ん中にあり、造るものは何でも売れるよき時代であった。エネルギー分野でも技術の革新、熱効率の向上を求めて、果敢な挑戦が続いていた。火力発電の世界では、カルノー・サイクルで言うTH (高温熱源・温度)の引き上げのために、超臨界圧ボイラーの開発に目を向けていた。米国で試作プラントが稼働しはじめ、我が国でもフィージビリティスタディが始まり、我が研究室では、「超臨界圧・強制対流熱伝達」の実験装置を組み立て、水や炭酸ガスをメデイアとした熱伝達係数の測定を重ねて、無次元化を行い、超臨界圧ボイラーを設計するための基礎データを蓄積していた。その後瞬く間に、世界の大容量火力プラントが、24.12MP, 538/566℃で運転を始めるようになり、今般の、コンバインド・サイクルが普及するまでの間の大きなマイル・ポストとなったが、この時代に生き、貴重な体験を積んだことは、男冥利に尽きると思っている。

企業時代

 1963年、縁あって日立製作所に入り、蒸気タービンの設計(構造、翼および制御装置設計)を皮切りに、プラント契約、据え付け・現地試運転など、主として海外プロジェクトとの関わりが多かったが、中でも、当時これも走りであった、電子油圧式制御装置の開発を独自で手がけたことであった。機械部分では、セルルーブという名の不燃性油を使って、高圧の油圧ユニットを組み立て、ステンレスパイプの溶接に手こずった。これも、やがてGE 社から技術トランスファーがあって、今ではすべての蒸気タービンに普及したが、その走りを独自で苦労したことは、その技術の核心となる箇所を前もって経験することで、図面からは読みとれない隠れたノウハウを知るという意味で貴重であった。


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