小特集「モノ作りの伝承」

「たたら製鉄と工業高校でのモノづくり」

 



天野武弘  
(愛知県立豊橋工業高等学校)

  1. はじめに
     たたら製鉄を工業高校の授業として行うには無理がある、当初はそんなふうに考えていた。 実際、近代たたら製鉄は3日3晩の連続操業という大がかりな作業であり、とても学校ごときで操業できる代物ではない。 ところがある時、このたたら製鉄をわずか半日余程度で実施する場面に出会うことになり、学校における鉄づくりを始めるきっかけとなった。 それは1978年の秋、岐阜県関市の刃物まつりの会場であった。 大野兼正刀匠による永年の研究に裏打ちされた小たたら製鉄の氏にとって初めての公開操業でもあった。 以来、刀匠のもとに何度も通い、操業法の伝授を受けることになり、最初に工業高校でたたら製鉄を実施したのはそれから2年後の1980年7月であった。 そして初めて授業として取り入れたのは1982年で、1988年からは今日までほぼ毎年にわたり工業高校でのたたら製鉄を実施している。
    昨今、日本のモノづくりに対する警鐘が鳴らされ、それへの提言などが様々にされているが、 モノづくりは実際に体を動かし挑戦することによってその楽しさや充実感が生まれるもので、 そのことを実践的に行う場面を多くすることがその一つの解決策になるとも考えている。 その観点から最近の事例をもとに若干の実践例を述べる。

  2. 豊橋工業高校でのたたら製鉄
     私は豊橋工業高校定時制機械科に転勤して6年目になる。最初の年は準備が整わずたたら製鉄は2年目からの操業になったが、 その後の5年間、課題研究の授業としてたたら製鉄を実施している。 今年度も9月と1月の2回、それぞれ3年生の9名(9月)と8名(1月)の生徒ともに実施した。
     課題研究は実施テーマを生徒と一緒に決めることができる柔軟性のある科目である。 この科目の新設によって1988年から試行的にたたら製鉄を導入でき、その後ずっと続けることになったが、 生徒には、最初にその趣旨を説明し、たたら製鉄もテーマの一つとして提案する。 ときには別テーマで実施することもあったが、いきおい私の熱の入れ方から大体は生徒もその気になりほぼ毎年たたら製鉄を実施することになった。

    たたら製鉄実施の様子(ここをクリック)

  3. 工業高校のモノづくり
     私のたたら製鉄は課題研究という授業ができたことで継続的な導入ができるようになったが、 この授業では多くの先生方もモノづくりを基本とした授業を展開している。 調査研究なども可能であり、私自身、技術史研究や産業遺産調査をテーマにしたこともあった。 このたたら製鉄も技術史研究の一つとして実施もしており、 時間をかけた割にわずかしかできないけらを前に、かつては鉄が貴重品であったこと、 先人が苦労しながらモノづくりに挑戦してきたことを実感してもらう場面ともしている。
     ところが、近年、情報化社会の進展によって、工業高校も以前とは様変わりしている面がある。 社会の情勢にあわせて新しいことを導入するのは必要なことで、それに意見することはしないが、 私が危惧することの一つに、工業高校機械科では、工業の基本作業である鋳造や鍛造といった実習が減らされ、 なかにはまったくカリキュラムから消えてしまった学校があるのを聞いていることである。 週休二日制により工業科目の実施時間数が減り、また情報関連実習など新たなテーマの導入によって、 何かを減らさなければならない状況に迫られたとき、その縮小、廃止の対象となったのはこれらの実習であった。 鋳鍛造がそのターゲットになったのは、これは私の体験や推測も交えてではあるが、 必要とは誰もが思いつつ鋳造や鍛造を手がける教員が少なくなっていたこと、 高温度を伴う作業から危険、きついといったことも背景にあったのではと思っている。
     私が教員になった1970年当時、鋳鍛造は機械科の一つの目玉科目でもあったように覚えている。 私自身、鋳鍛造はまったく経験がなかったが、実習担当のベテランの先生が丁寧に教えてくれたことを今も思い出す。 その先生方はかつて企業で鋳造や鍛造を仕事として経験されていた方たちでもあった。 しかし現在、このような現場経験を持つ教員が相対的に少なくなっており、いきおい技能を要する作業や、 手間のかかる作業はその経験者が少なくなるに連れ、発言力もなくなってきている。
     さいわい私の学校では実施時間数は減ったものの、全日制も定時制も、鋳造、鍛造ともに実施しており、 生徒の人気実習の一つになっているように私には思える。定時制では今年はいずれも私が担当しているが、 教室の座学では落ち着きのない生徒もこの実習では、結構意欲を持って取り組んでくれた。 面白かった、今までの中で一番楽し かった、鉄があんなに簡単に曲がるとは思わなかった、 ためになった実習だったと感想を書いた生徒も何人かいた。実際、アルミを溶かしての鋳造作業、 鉄を赤熱してエアハンマや大ハンマを振って変形できることの体験は彼らには新鮮であったのであろう。

  4. おわりに
     たたら製鉄を授業に取り入れて20数年が経ち、多くの生徒たちと操業を続けてきた。 技術史を工業の科目にと願いながらもそれがなかなか実現しない今日、たたら製鉄を私なりの技術史授業に位置づけて実施してきた。 私の思いがどこまで生徒に伝わったかはわからないが、近年は鉄づくりに一定の自信も出てきたことから、 いつのときも楽しみながら生徒と一緒に行うことが出来ている。 私のたたら製鉄も定年まであと1年を残すのみになり、次年度が最後の年になりそうである。
     学校でのたたら製鉄は最近は全国的にも各所で行われ、たたら製鉄も一定の位置を占めるようになったことを喜んでいる。 しかし、ひとたび学校現場に目を転じたとき、まだたたら製鉄を誰もが行う環境にはなく、 今後の広がりには若干の憂いもある。 しかしそれ以上にモノづくりの一つの原点ともなる鋳造や鍛造が、実習として実施される学校が少なくなっていることにより憂いを感じている。 鋳造や鍛造実習のとき、作業する生徒の生き生きした目や動きを見たとき、その思いがさらに加速されている今日である。
     モノづくりはもちろん鋳造や鍛造ばかりではないが、歴史的なモノづくりの原点ともなる製鉄や鋳造、 鍛造は工業高校機械科では本来欠かすことのできない実習では、との思いを強めているこの頃である。

     

目次へ
日本機械学会
技術と社会部門ニュースレターNo.16
(C)著作権:2006 社団法人 日本機械学会 技術と社会部門