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No.41 「物作りでの対極視点」

日本機械学会第83期監事
宮本 登(北海道大学名誉教授)


 ふと、若い頃観た映画の一つを思い起こしている。数人の乗客を乗せた双発の飛行機が故障で砂漠に不時着する。乗り合わせていた若い模型飛行機の設計技師や老齢のベテランパイロット達が苦悩と議論の中で壊れた機体の部材を利用して単発の飛行機をやっと組み上げ、皆がそれに乗って砂漠からの脱出に見事成功すると言う筋書きであった。タイトルは確か「飛べ、フェニックス」。映画の宣伝をする積りはない。
 今も記憶に残っている内容は二つ。一つは、小さな模型飛行機しか設計したことがない若い技術者が、「実際の飛行機でもその飛行理論は模型と同じであり、また操縦士がいるので飛行は模型より容易だ」と主張して、初めて実際の飛行機の立案と製作に挑戦したこと。もう一つは、いざ脱出に向けてエンジンを始動する際、老齢のパイロットが長年の経験から「二つしか残っていない始動用火薬の一つをまず空始動用として無駄に使わなければ最後の一つでの始動は間違いなく失敗する」と主張し、無駄使いに対する猛反対を押し切って始動を成功させたこと。
 これらのことを現実の場合とも絡めて、機械技術等などの物作りの観点から見てみると、幾つかの対極的な視点が浮かび上がってくる。
 若い技術者は理論を基に新しい飛行機の立案と製作に挑戦し、また老齢のパイロットは長年の経験を基にエンジンの始動に挑み、両者相まって目的を達成した。理論と経験、少なくともこの二つの関与がなければ目的達成はなかっただろう。物作りで理論は重要である。しかし、現実の世界は全てが理論で記述される訳ではないので、まだ十分に記述されていない実際の現象や問題に対する対応経験あるいは知見も重要である。
また切り口を変えて見ると、それまで模型飛行機で活用していた飛行理論を実際の新しい飛行機へと拡大適用させた演繹的な思考と、理論がまだ確立されていない始動現象に対する法則性や経験則を長年の経験の中から見出していた帰納的な思考、この二つの対極的な思考も嗅ぎ取れる。両者共に、物作りに限らず多くの事象に対する解明や評価には大切な要件であろう。
 技術面とは別に、主張と妥協、前向きで挑戦的な志向と慎重で守備的な志向など、共同作業や意思決定に関わる対極視点における葛藤も見て取れる。
 実際の飛行機が製作可能だと主張する若い技術者は、その製作に慎重かつ懐疑的な周りの仲間達から、模型飛行機しか作ったことがない者にどうして実際の飛行機が造れるのかと強い疑念を持たれた。仲間の妥協と協力が得られなければ、彼の主張は実現に結び付かなかっただろう。しかし、彼は反対する者に自分の考えをよく説明し妥協と協力を引き出していった。一方、彼自身も始動法については強い反対の立場に立ち、絶対に無駄はすべきでないと主張したが、結果的に、無駄を一度しなければ成功は得られないと言う老パイロットの強い信念と主張に妥協しなければなれなかった。
 映画の世界とは言え現実の社会との共通面も多いのだが、その場合の物作りから容易に汲み取れる対極視点としては、理論と実際、理論と経験、挑戦志向と慎重志向、主張と妥協、演繹思考と帰納思考とでも言うことになろう。現実では更に多くの視点が挙げられようが、幾つかの重要な対極視点は、物事を多様な観点から積極的かつルーチン的に評価・思考する上で、時に極めて有用であって優れた物作りにおける必須要件の一つになるのではなかろうか。
特に、物作りに直接関わる対極はその両極共に重要な場合が多く、両者のバランスは、状況によって多少変わるにしても非常に大切な様に思う。

 それにしても昨今、物作りだけに限らないが、幾つかの対極において大きなバランスの崩れを感ずることがある。その崩れは、従前のバランスが新しいものへと遷移する際のオーバーシュートにも似た過渡応答なのかも知れないが、新鮮味や陶酔感を伴う場合すらある。
 気になる対極を思いつくままに挙げれば、知識と思考、主張と妥協、進歩と伝統、自由と義務、個人と集団、論理と情緒、理性と感性、規則とモラル、物と心、挑戦と守備、先端技術と基盤技術、シミュレーションと実験、経済活動と環境保全など、範疇や崩れの程度を気にしなければ枚挙に暇がない。
 その対極の一つである例えば、知識と思考。それに関連して昨今の学校教育では、知識の詰め込みを良しとしないゆとり教育が叫ばれてきた。その真意の曲解もあってか、知恵や見識等の思考力さえ身に付けば知識に多少弱くとも良いと言う極端なバランスの崩れを特に若い人の間に感ずることがある。知識のみの詰め込みを是とする積りは毛頭ない。しかし、ある程度の知識がなければ思考力や知恵が育つとは思えない。当然ながら思考や知恵には然るべき知識が必要だからである。やはり対極の両極あるいはそのバランスが大切な場合が多いと言いたい。
 蛇足だが、知識や物は程度に差があるにせよ知恵の産物である。例えばスパナ、極めてポピュラーな工具であって、通常その首は腕に対して15゚傾いている。それを用いれば狭い箇所のナットも容易に締めることが出来る優れ物である。その恩恵に与った向きも多いに違いない。あえて言うほどの例えではないが、首が傾いているスパナの知識があれば、それを便利に使う思考や知恵も生まれるであろうし、またその背後にある知恵や理由を知れば、改めて知恵の素晴らしさを知ると同時に自ずと思考が促されるのではなかろうか。
 先端技術と基盤技術、この対極もバランスが気になる例である。近年、国内外で先端的な技術や新しいシステムに対する関心が非常に高く、それに関わる開発等を重視する向きも強い。この向きそれ自体、社会と技術の発展の点から望ましいことである。しかし、先端的技術に対する高い関心とは別に、その対極に当たる基礎技術が軽く扱われている様に感じることが多い。
例えば、先端技術の象徴でもあるロケットや原子力、事故発生は確率の問題とは言え関係者の苦労にも関わらず時たま事故が発生する。印象に強く残っている例として、国外で起きたものだが、確か固体ロケットブースタの燃料漏れに起因する大惨事があった。国内においても原子力発電所で配管がその内部流による侵食で亀裂発生に至った事故、また温度計が設置されたさや管が振動で折れて内部のナトリウムが漏れた事故等があったと思う。
 この様な燃料漏れやパイプの侵食亀裂・振動破壊等は、先端技術それ自身に関わると言うよりは、基本的に従来の基盤技術における問題である。一口に最新の機器とか先端技術システムと言われるものも、その大半が幾つかの先端技術と基盤技術から構成されており、紛れもなく両者によって支えられている。従って、先端技術のみならず従来からの基盤技術も劣らず重要であるにも拘らず、先端技術への高い関心とは裏腹に、基盤技術の不徹底あるいはレベル低下を感じることが多いのは残念である。
 今後も、先端技術の利用拡大と並行して基盤技術の伝承・維持が継続的に進むであろうし、また進められねばならないが、その際、両技術の重要性とバランスへの配慮を忘れてはならないと思う。申すまでもなく、特に基盤技術は長年に亘って培われた貴重な財産なのだから。

 随分以前に観た映画の一つを思い起こしたのを切掛けにして、若干独断と偏見に過ぎた部分もあるが、機械等の物作りにおける対極的な視点に思い及んだ。
端的に言えば、物作りでは格別に特徴・目的を特定する場合は別としても通常、その評価と対応において幾つかの主要な対極視点とそのバランスが必須かつ重要である場合が多く、それが優れた物作りにも繋がる様に思う。
 その映画は、物作りが主題ではなかったし、また観た時はその様な見方もしなかった。しかし、長い時間が経過してふとその内容を思い起こした時、物作りの切り口で見ると何とも示唆に富んだ内容だったことに改めて驚き、苦笑している。映画を観た当時の私は、物作りの視点を強く意識しておらず、少なくともその分だけ狭い見方をしていたと言うことでもあろう。
 機械技術や物作りに関わる、特に若い方々の参考に供すれば幸いである。

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Last Update 2006.2.22

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