LastUpdate 2008.6.17

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
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No.67 「システムデザイン工学科における人材育成が目指すもの」

日本機械学会第86期副会長
谷下一夫(慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 教授)


1.システムデザイン工学の構想
 1980年代の後半に私が所属していた機械工学科の将来検討が始まり、工学教育の理想像に関して、検討を行っていたが、1996年に、慶應義塾大学の理工学部の学科改組を実行する機会に遭遇し、類似の将来構想を持たれていた電気工学科の協力を得て、システムデザイン工学科(以下SD工学科と言う。)が誕生した。私がSD工学科の準備委員長を仰せつかったが、この学科の創設には、急逝された吉田和夫教授のご発案やご尽力による所が大であったことを強調したい。
 SD工学科は、工学系教員が長年抱いていた技術者教育の理想像を実現する形で、自然発生的に生まれた学科である事に大きな特徴がある。21世紀の社会で工学技術のあるべき姿、さらにそれを実現させる技術者を育成する工学教育のあるべき姿に関して熱心な議論を尽くした結果の新学科設立であった。即ち、ある特定な時代のニーズを満たす技術を生み出す工学から、時代の変遷を越えた普遍的な工学への飛躍を目指す学科という目標を掲げ、学科創設時には、以下のような理念を提案した。「高度技術社会において発生する様々な工学的あるいは社会的な弊害を解決するために、個々の学問領域の方法論のみではなく、環境を含む複合的な全システムが設計の対象となるような調和のとれた新しい工学分野の構築とその教育が必要と考えられる。即ち、これらの工学の発展には、複数領域に跨った要素を一般的に解析・設計するような学問領域を育成し、それを大学における教育に反映させ、扱う工学システムを背景や環境を含むより広い範囲とすることにより人間や社会に対して工学をより開放的にするために、高い親和性をもつ工学システムを志向することが必要となってくるのである。このような新しい横断的な工学分野を構築するためには、従来の工学がもっていた現象の本質を探る解析主体の次元と、法則や論理を基にした設計・合成主体の次元に加え、システムを取り囲むさまざまな環境に対する調和性をもう1軸とする3次元的な広がりを考える必要がある。このような立体的な広がりの中で、システムの解析と設計を考えることをシステムデザインと呼ぶ。」
 SD工学科の理念は、要素技術の工学から統合技術の工学への変革を実現しようというものである。統合を実行する理念を「デザイン」と表現し、狭義の設計工学ではなく、統合を実現するための概念としての「デザイン」を意図している。結果として、自然・人間・社会とシームレスに連結可能な工学技術の構築を目標としている。SD工学は、ある種の横断的な教育を基にしているが、単に横糸を並べた横断型ではない。力学と制御情報が楕円の焦点としての軸足となって、楕円的な拡がりのカリキュラムを構成している。さらに、SD工学はさまざまな領域に柔軟な適合性を示し、ロボット、制御、熱流体、エネルギ環境、生産加工、生命などに加えて建築領域までも巻き込んでいる。

2.SD工学教育の表と裏
 SD工学科での教育は、平成19年度で11年目になり、既に8期生までを輩出している。そこで、本学科の卒業生がSD工学のコンセプトをきちんと身につけ、社会においてそれを活用できているかが大きな関心事であるが、まだ社会においては中堅的に仕事を進める立場になっていないため、定量的に立証することは困難である。ただ、縦割り式の専門意識を持っていないため、未知の分野に対して極めて積極的な姿勢を持っている事は確かであり、卒業論文の内容は極めて多岐に渡っている。従って定性的には、SD工学教育の成果が十分に得られていると考えている。しかしながら、縦割り的な専門意識が薄いというのは、逆に、基盤的な部分の習熟度の深さが不足する事にもなる。
 これは幅広いカリキュラムによる教育の限界かもしれないが、注目すべきは、必要に応じて習熟度を自主的に深めている点である。さらに全体を見通す力を持っているが、反面生意気な学生も多い。面白いと思ったのは、自分はこれの専門という専門意識が希薄であるため、何でも自分が取り組む対象と誤解(?)し、未知のことに平気で取り組んでしまう。本学の附属高校からも学生が推薦によって入学してくるが、附属高校の生徒の間では「取り敢えずSD」という合言葉があると聞いている。これは一見、専門を決めたくないモラトリアム思考とも思えるかもしれないが、よくよく彼らの考えを聞いてみると、必ずしもモラトリアム思考ではなく、多面的で複合的な視野を身につけることの重要性を直感的に感じているらしい。若者の直感は必ずしも正しいとは限らないが、時代の変遷をよく捉えていることも事実であり、もしそうだとすれば、脱縦割り型教育を標榜しているSD工学科の理念が、若者によく理解されており、喜ばしいと考えている。SD工学科の学生は比較的多趣味で、ベンチャー企業への就職も目だっている点も興味深い。

 SD工学科がスタートしてから5年目に「5年間の歩み」という冊子をまとめたが、その中に学生からの興味深い視点が記されている。学生からの視点は、SD工学教育の理想目標としている点と問題点を的確に指摘している。SD工学科の教育には、問題点も抱えているが、SD工学の理念が比較的よく学生に伝わっており、SD工学における人材育成が目指すものが見えてくるような気もする。学生の視点としては、
・幅広い視野をもつことに、若者が共感している。
・若者は横断型科学技術に対する直感的な認識をもっている。
・SD工学科の学生は、前向きで、明るく、能動的である。
・物事を全体的に把握する能力が抜群。
・「SDでは浅く広く勉強する」という認識の是正?
 2学科分の勉強は無理? ダブルメジャーの意識?
 大学院との連携で、縦割り部分を強化する?
・SD工学の理念に燃えている教員の熱意が学生に伝わっている。
SD工学科では必ずしも浅く広く勉強する学科ではないのだが、学生にはそのように映っていることは問題である。楕円の焦点となる力学と制御情報を同等に身につけることが、カリキュラムとしては、十分に機能していないのかもしれない。横断型教育とは、単に横糸を並べればよいというものではない。楕円の二つの焦点が軸足になって、新しい拡がりを実現できるような人材育成にはさらなる工夫が必要であるが、SD工学の人材育成を通して、21世紀型の技術者像が見えてくるような気がしている。


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