LastUpdate 2008.11.14

J S M E 談 話 室

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No.71 「フラット化する世界と(機械)工学の未来」

日本機械学会第86期編修理事
北村隆行(京都大学 教授)


 この話の骨格を考えた後に、世界経済の大変動となりつつあるアメリカでのサブプライム問題を震源とする信用収縮が発生した。これを書いている時点では、新聞紙上は大変なことになっている。「世界恐慌の二の舞か?」「閉鎖社会の再来か?」などと書かれているときに、フラット化などという「筋がよい時代?」を背景とした考え方について議論することに若干の躊躇はあるが、学術に関する世界の大きな流れは変わらないと思う著者は、初心を貫いてみることにした。
1.フラット化する世界
 トーマス・フリードマンは、現代社会の潮流を「フラット化する世界(増補改訂版、日本経済新聞社刊、2008年、伏見威蕃翻訳)」と表している。この著述は主に経済的・社会的現象に対するものであり、学会が関係する技術に関連する「研究」や「教育」に対する指摘ではない。もちろん、技術、開発、研究、教育等のキィワードは、現代の世界のあり方に大きな影響を与えるため、同書の中でも少なくないページが割かれているが、それを中心課題として議論するために取り上げてはいない。したがって、必ずしも工学(機械工学)の現状と未来を考える上で妥当な指摘とは思われない部分も多い。しかし、時の潮流を見ながら機械工学のあり様を考え直す題材として、多くの示唆に富んでいる。その概略は、以下のように理解できる。
 情報を伝達するためやそれを利用して仕事をするためのインフラ(ハード、ソフトとも)が充実し、各個(個人、グループ)のコミュニケーションがきわめて容易になり、個人・グループが多次元的に複雑に結びつくようになった。今まである個人・グループにとって直接結びつくことのできる個人・グループの数は限定的であったが、インターネット(メール等)によって簡単に他国の個人・グループと情報交換をすることができるようになっている。もちろん、これはビジネス界にとっては死活問題で、移動手段(航空、鉄道、車など)や宿泊のインターネット予約やインターネット広告を考えてみればよかろう。また、音楽の例でもわかるように、それを聞くためのツール(利用のためのハードとソフト)が容易・安価に世界中に配布されることから、特別な技術・知識・資金等をもたないものでも、生産物(知恵)を共有することができるだけではなく、編修等の加工まで容易にできる。したがって、有機的で高速な情報流通が可能になって、流れの中でよい(便利な)ものが選択される。ここで、良い製品・業務が消費者から選択されるのは今までと同様であるが、その拡散速度と拡散のルートが大きく異なる。速度は驚異的に速くなり、思わぬところへ飛び火する(例えば、アメリカの税務処理はアメリカに限られていたが、インターネットと税務処理ソフトの共有化でインドの会社が有力な競争相手となってきている:フリードマン)。今まで他社を引き離していた仕事でも、ツールの取得によって他国・他社でもまねできるものは急速に標準化(陳腐化)して、競争力を失ってしまう。国際的に、業種を超えた企業が直接結びつく情報流通手段が発達してきたため、技術の拡散・伝播速度が速いのみならず、新規参入もそのインフラによって容易になっている(壁が低くなっている:フラット化)。
 著者が勤務する日本の大学の危機の源泉のひとつが、このあたりにある。すなわち、国に隔てられていた壁が低くなり、世界の全大学が競争に参加しはじめているのである。科学・技術に関わる研究はまさにその渦中に放り込まれており、社会の潮流から当然のことと思われる。技術開発に関して以前から国際競争に晒されている企業では、このような状況は当然のことであろう。一方、教育には各国の「文化」という人類の知恵としてきわめて大切な多様性の本質に関わる部分があり、社会の危機に対する柔軟性「社会的靭性」を確保するために、安易な単一(少数)パラメータによる評価と相容れないことがある。短周期で振り回されることのない深い考察が必要であり、ここでいうフラット化とは異なる判断も求められる場合が多いことは留意しておかねばならない。すなわち、教育においては、現代の潮流の良いところと悪いところや効率性と冗長性の功罪を認識する「最高学術の府」としての見識が求められているのである。
 このような状況の中で、どうして機械学会のみがフラット化の潮流から離れて孤高を保っていることができようか。これが、少し偏った見方ではあるのは承知の上で、拙文を書こうと考えた動機である。
 フリードマンは、フラット化する世界で強く生き抜くためには、個性的な知識・技能(長所)を持ち続ける努力をすることであると指摘する。ただし、それらは高速情報伝達によってすぐに追いつかれることは覚悟しなければならない。すなわち、個性化をキィに、自らを変革し続けることが必要である(サーフィンのように押し寄せる波頭に立つことが大切である)と主張する。
2.(機械)工学をめぐるフラット化
 「世界のフラット化」の潮流を機械工学に当てはめてみるとき、我々が考えなければならない方向は2つある。ひとつは、機械工学に関する国際的状況を勘案して、関連学協会(大学や企業等の機械技術・学術に関するインターフェース)を含めた日本の工学系学会の現状と未来を考えることである。すなわち、機械工学に関する国際的連携・競争の視点である。もうひとつは、バイオ、環境、デバイス(光・電子デバイス、MEMS/NEMS)等の発展によって関連分野が広がり、「工学・機械の概念」を変えねばならないほどに機械工学自身が大きな変革を遂げつつあることである。すなわち、前者は「世界の中の私達」の視点であり、後者は「科学の中の私達」の視点である。(本稿では、工学は技術と密接に結びついた科学・学術のひとつであるとしておく。科学と技術の関係については、別途、大きな議論が必要であると考えている。)どちらも、経済・社会分野で囁かれている競争世界のフラット化と類似した潮流が見られる重要な課題であるが、ここでは後者(学際的連携・競争)について考えてみよう。
 以前は、いわゆる「土機電化」「土機電化金」なる工学分野の分類を聞くことがあった。分類の正当性や妥当性には問題があろうが、これは各分野間でそのディシプリンの相違が比較的明確であったことを示している。この状態は図1のように表すことができ、分野間に明確なポテンシャル障壁が存在したと考えることができる。以前は、大学や企業において「機械工学」の専門知識をいったん吸収すれば、その道で長く活躍することができた。他分野からの侵入者は稀であり、技量・知識の独立した王国が確固として個人・技術者・会社等の生活(活躍領域)を守ってくれた。また、機械工学の中においても、「三力・制御」のように各分野間に明確な障壁があった。しかし、バイオ、ナノ電子機器、MEMS、環境、エネルギー、高齢化社会などといったキィワードに代表されるように、機械工学に要求される基礎は従来の「四力・制御」を越えている。また、いったん「四力・制御」を習得したとしても、実際に役に立つのは複数の分野にまたがった知識であり、技術者には次々と新しい知識が要求されて、王国は個人・技術者を守ってくれないように感じられる。基礎分野の知識に基づいて長くひとつの領域の専門家として活躍することが難しくなってきている。すなわち、図2に示すように、ポテンシャル障壁が低くなりつつあること(フラット化)を示している。
 この結果、機械工学を専攻する者にも、生物学や量子力学といった従来はそれと隔絶された世界と考えられていた学術知識を習得する必要性が出てきている。すなわち、機械工学技術者に必要とされる素養は、生物学、有機化学、無機化学、量子力学、電磁気学、心理学、経営学・・・・と爆発的に増加している。さらに、図では2次元中のポテンシャル曲面を示しているが、実際は分野が多次元的に連携しているため、それらの分野を有機的連携した形での理解が求められ始めている。多次元的フラット化が進行しているのである。また、工学自体が他の科学分野との障壁が低くなるフラット化に直面している。すなわち、本節の「機械工学」を「工学」に読み替えても、潮流を同様に理解することができる。大学では、大学(院)生に、このようなフラット化しつつある中で(機械)工学世界を教えねばならないが、このような状況の中でたくましく生き残るための教育に対する方策は何であろうか。若手技術者への指針は、いかにあるべきなのだろうか。
3.フラット化への対処法は?
 フリードマンは、生き残るための要素として、学ぶ方法、ナビ能力、意欲(熱意と好奇心)、教養(基礎)、水平思考(合成能力)を挙げている。以下では、そのいくつかについて考えてみよう。
 フラット化によって領域の垣根がなくなる(低くなる)と、それに必要な基盤学術(基礎)は格段に広がってしまう。以前は、力学、数学、システム論によって基盤がほぼ形成されていた機械工学においても、新しい機械の概念に関連して入門程度は知っていてほしい裾野が伸びてきている。しかし、いかに近年の学生が勤勉であろうと、従来の基礎科目をこなしつつ、これらの広域学術を勉強することは、不可能であろう。フリードマンは、フラット化する世界における高級技術者は、一生変革を遂げ続けなければならないことを指摘している(多くの実例が示されている)。すなわち、何度も羽化をするサナギでなければならない。換言すれば、羽化のために必要な新たな分野の知識を一度に勉強するのではなく(一度勉強したことで、10年以上にわたって高級技術者を勤められることはない!)、勉強し続けることが肝心なのである。これだけでも、高級技術者の育成体系(大学や企業による教育・研修体系)は大きく変化しなければならないことを指している。とくに、大学で教える基礎科目(四力、制御)の性格が明らかとなり、その学術は技術者が時間をかけて発展的に成長する基盤である。また、その土台を基に、教養・学部・修士・博士・企業技術者(若手、中堅、シニア:現場、開発、研究)に対して、育成のために目的意識が異なる明確な科目設定を行うことが求められる。例えば、生物学や量子力学のカリキュラムへの取り込みの要否やその時期は、各大学(学科・専攻)のミッションによって特色が発揮されるべきである。ここで大切なことは、一歩ごとの基礎知識を確実に身につけるようにすることである。分野が広がるとともに入門的知識(!)で充分であることも多くなるが、「入門」は浅い知識の習得を意味するのではなく、本質(基盤)をわかりやすく表現した知識の吸収である(「技術的教養教育」の範疇に入ると考える)ことを肝に銘じておく必要がある。ともすれば、点在する記憶程度の浅薄な情報を「広い領域の専門」「入門的知識」と勘違いしている先進的・学際的シニア技術者にお目にかかることがあるが、これは羽化につながらない。
 羽化を続ける技術者は、卒業(修了)後も他分野基礎の習得が必須であるが、誤解を恐れずに言うと、現在の企業技術者は必要に迫られて我流で特定分野を身につけていることが多いため、視野が立体的ではなく、既習得分野は広い領域上に離散的に点在しているだけのように思えるときが多い。これでは、連続した羽化に繋がらず、眼前の業務が多忙となるとともに羽化できなくなってしまう。とくに、30歳代技術者の立体的基盤拡張方法が重要な鍵である。
 一方、フリードマンの指摘の中で教育・人材育成として重要なもうひとつの要素は意欲である。意欲は、向上(変化、個性化)を産み出す源泉である。大学では、これを涵養するために、問題発見・解決型学習、実体験学習等の工夫がなされている。ただし、基礎を伴わない総合型・実習型学習は表層的な経験主義に陥りがちであるのは、よく知られている(現在の工学系学習への取り入れに、このような問題はないだろうか?)。基礎とのバランスやそれらの学習時期との調整が重要な課題である。とくに、大学院では、基礎科目に対してカリキュラムの目的を明確化すること、卒業論文と修士論文は「おためしを主体とする」拡張型問題発見プロジェクトとの明確な認識が必要である。なお、このことは、大学における研究の位置づけに強く関係した根本的な問題を含んでいることを指摘しておく。企業では、在籍する技術者の繰り返し羽化を助けるための「意欲」向上策は充分なのであろうか?企業の技術者と議論してみたい点である。
 大学として(a)基礎と(b)意欲の涵養が人材育成に大切な部分であるが、その割合は大学によって異なる(個性輝く大学であるか?と自問する)はずであり、その目的意識によって各大学において特徴あるカリキュラムが編成されるべきである。(a)に偏重であったり、(b)に偏重であったりする大学があることも良いことである。また、基礎においてもどの段階まで翼を広げるか、または、どの方向(例えば、バイオ重視)へ翼を広げるかに大きな個性が期待できる。すべての専門について教員を機械工学に配置することは現実的ではなくなっているとともに、折衷的なミッションを設定した学科が確実な学術基盤を有する教育・研究の母体となりうるかは疑問である。大学も難しい時代を迎えたものである。また、技術者の勉強との関わりも大学にとって重要な点となっている。これには「研究」との関わりが深くなって、「学生への教育」における考え方とは違う視点が導入されるべきであるが、この点については大学内においても混乱が見られる。工学における「生涯教育」は「文化講座」ではなく、羽化を続ける高級技術者の勉学のための知識供給でなければならない。「入門」分野と「高度専門」分野にも配慮する必要がある。その点から、「社会人博士課程」を議論すべきと思う。
 なお、本稿は、2008年度日本機械学会年次大会でのブレーン・バトルの原稿を基に、内容を再構成したものである。工学・機械工学・機械学会・大学・人材育成等々に関する議論の発端になれば幸いである。また、機会を捉えて、もうひとつのフラット化として指摘した「機械工学分野における国際的連携と競争」についても議論したい。

まっしろな陶磁器を眺めては 飽きもせず   かといって触れもせず  ・・・・
                           小椋 佳「白い一日」より


図1 以前の機械工学。各学術分野間が大きく離れており、それらの間の障壁も高い。
学問分野の差は明確であり、各々独立した技術者が育成され、活躍できる。

図2 フラット化する学術分野。各学術分野は近接し、それらの障壁は低い。
また、多次元的に見ると有機的な意外な学術間の連携が形成される。

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