LastUpdate 2010.11.15

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.92 「趣味と道楽に浸って、豊かな思考へ」

日本機械学会第88期副会長
藤江正克(早稲田大学 教授)

藤江正克

 この頃海外に出掛けて強く感じることは、日本の社会全体が他国と比べて何かギスギスしていることである。朝夕の駅や電車の中でも、食事の店を探す時も、道を歩いていても、キャンパスでの行動でも。一億二千万に、みな心にゆとりが無くなっている。

 そんなことをはっきり認識したのは、2007年の春に緋腹筋断裂の二ヶ月の治療中に足に荷重が懸けられず松葉杖を突いて歩いた時である。国内の公共の場所では携帯電話で通話あるいはメール中の人に次々ぶつかられ、しかもそこで睨まれさらに舌打ちまでされる始末である。そんな最中にロボットの最も大きな学会がローマで開かれて参加した。出発前は置き引きなどを大層心配したが、ローマの空港に着いたとたん、若者が次々走ってきてスーツケースを運んでくれ置き引きどころではなかった。運び終わるとお礼の言葉も待たずに戻っていく、その後行ったドイツでも同様であった。

 父親がまるで無趣味で(スポーツに飛び切りの能力を持っていたが)あったにもかかわらず、大きくなって趣味でピアノを爪弾けるのは、心にゆとりと潤いを持った人間でないとろくな仕事も出来ないという家族の心遣い?でピアノを幼稚園から高校3年まで習ったからである。その後学部の時にN響の定期演奏会会員になって今まで50年近く続いている。当時の会費は月に400円だったと思うが、大学近くのラーメンが50円で学食の定食が100円の時代としてべらぼうな値段ではなかったと思う(今は8000円で結構高いですが)。余談だが、日本の音楽会は世界的にもベラボーな高さで、海外の音楽家は日本で演奏会をするのが大好きだと聞いたことがある。初めての海外出張がイタリアのウディネであったが、ウイーンで歌劇を見たくて、昼食代を浮かして最前列で見たことを思い出すが、この例からも彼我の差が歴然としている。当時私の師匠の加藤先生から「折角学会発表に行くのだから、心の栄養を付けることを心掛けなさい」と言われて、その後も海外に出掛ける時はいつも計画を練っている。しかしながら、学部時代は学園闘争・70年安保の時代で、昨日は羽田・今日は新宿・明日は58号館(当時は大久保の8号館と言いました)のバリケード作りと大忙しで、夜に7号館の大教室で材力の口頭試問を受けるという毎日であったが、これを文化的趣味と言うのだと思う。

 さて、私は生まれは京都府だが直ぐに神奈川の逗子町(その後市に)という漁村に引っ越してきたことの所以で、子供の頃から伝馬船を漕いだり、ボートを出して釣りをしたり、潜ってサザエやアワビをとったりが子供にとって当たり前という毎日を送っており、しかも、歩いて5分のところに日本のヨット発祥の港(葉山町鐙摺港)があり、さらに小さい頃から模型飛行機を造るのが大好きで(非常に上手だったと思う)、というような背景から自分の船が欲しくなった。ヨット工作法という本を買って読んだら直ぐに作れそうだという自信が沸き、耐水合板、スプルース材とブロンズの釘を用意して大学1年の夏休みに4mのヨットを自作した。ここまではガキの趣味の世界であった。このヨットを抽選に当たった江ノ島のヨットハーバーに置いて一年中楽しんでいた。レースに出て表彰盾をもらったことや江ノ島・葉山間で沖合までいって鎌倉の花火を楽しんだこともあった。

 そのうちそれだけではモノ足りなくなり、クルーザも自分で造れそうだと思いついて、横浜のヨット設計家に頼んで造りやすく乗りやすい23フィートのクルーザを設計して貰い、近所の空き地を貸して貰って作り始めた。骨組みの欅材もこれまた近くの造船所につてで安い出物を捜して貰い、船殻のハル材は長持ちする木曽檜の赤味柾目を集散地の豊橋の材木屋をこれまた紹介して貰って調達することが出来た。修士の二年間の夜なべ仕事で本体・マスト・ブームがほぼ出来上がり、入社後の1年で艤装も完了し、その後の30年間大島や伊豆半島など相模湾海域で大いに楽しんだ。クルーザというのはキャビンがありベッド・トイレ・ガスコンロもあることから、一人で物思いに耽ることに非常に適している。昔の貴族が船の上で定理や公式を考え出せたのは最なことだと合点がいく。港の出入りには漁業者との申し合わせによりエンジンで走らねばならないが、湾から出て帆を張り風を孕んで走り始めてエンジンを止めたときの静寂は何とも言えない快感である。道のない草原をはしるハイブリッドのドライブを40年も味わっている。10年前に大学に移って、自由な時間がなかなか取れなくなり手入れが行き届かなくなり、木造船の老朽による出費が嵩み、最近FRP製の25フィートに変えざるを得なくなったのは若干の痛手である。良くお金が掛かるでしょうといわれるが、ペンキ塗りからフジツボ落とし、さらにはこまめな手入れを自分ですれば(乗るよりもはるかに時間がかかる)漁業保証金と県税、それにクラブ会費で全てである。たぶんゴルフやアルコール代と良いとこ勝負であり、「決して趣味とは言え無いが、道楽としては安いものですよ」とも良くいわれる。海外に行くと港に出物の船を見かけることがあるが、自分で乗って帰らねばならないことから断念せざるを得ない。ここ数年殆ど乗る時間が取れないが、自分には愛船が有るのだと思うだけでも、心に安らぎがもたらされる。

 早く、ギリシャやローマの賢人のような定理や公式までいかなくても、ロボットの研究開発のアイディア位はボーっと過ごしている船上で着想したいし、研究室の若手とこの様な自然のなかで議論したいと思う。そうすればゆとりを持った日本人の輪を広げられるような気がする。


(愛船の停泊地油壺口から出発に際して風を読んでいる)

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