LastUpdate 2012.8.6

J S M E 談 話 室

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No.107 「何も聞こえなくなった !!」

日本機械学会第90期庶務理事
北村 隆行(京都大学 教授)

北村 隆行

 今年6月末のある朝、突然、片耳が聞こえなくなった。完全に片耳の聴力機能を喪失してしまったのである。もちろん大慌てで医者に駆け込んだのだが、神経に起因するものであり原因不明で対処の方法も限定的であるとの説明を受けて、すごすごと帰ってきた。突発性難聴というらしい。ステロイドを用いた治療以外は、「静かに」「ストレスのないように」「無理しないように」といった注意事項と多少の飲み薬をもらっただけだった。これは、「現代医学では決定的な対策がない」と医者が婉曲に真実を伝えようとしているのだということが素人にもよくわかった。左右の音がアンバランスに入力されると脳が混乱するのか、片耳を中心として顔の半分が漏斗状に痺れたような感覚を持つことになる。また、車酔いを起こしたような眩暈が生じ、アンバランスは感覚器官全体に拡散され、立っているのも辛くなる。寝床に突っ伏したまま、人間は各器官の機能が関連しあう複雑系システムであると変な理解をしている自分がおかしくてならない。
 システムが正常に機能しているときには気に留めることもないが、複雑な機構は各部が他のあらゆるところと結びついている。足裏マッサージで体中の器官の調子がわかるようなものである。逆に、ある部分の具合が悪くなって、はじめて思いも寄らない部分との関連性を知覚するはめになる。都合が悪くなった部分を取り除く「手術」を施したり、慌ててテキトーな代替品に「取り替え」たりすると、身体の予想できない部分が口々勝手に異常を訴えだす思わぬ事態に陥ってしまうことがある。虫歯のようなものでもそうであって、自分の身体でも妙に自然の摂理を感じてしまう。

 さて、世間では原子力発電所の問題が大きく取り上げられているが、「電力エネルギー」は複雑系システムである社会の重要な部分をなしている。雇用問題までも含む社会の思わぬ部分と結びついているところが、議論を厄介にしている。もうひとつの気づきにくい難しさのひとつに時間感覚がある。眩暈がするほどめまぐるしく変転する社会の時間感覚の中で、危機感は瞬時に伝播する。すなわち、世間の切迫感の時間スケールは、秒刻み程ではないにしてもきわめて短い。一方、現代の「電力問題」は「30年が変革の一区切り」といった現代人の忙しさとは間尺に合わない時定数を持っている。例えば、大規模な火力発電所をたったひとつ造るにも軽く10年以上の時間を要する。新エネルギーを開発するとしても、成熟した大規模段階までは同オーダーの時間感覚が必要である。この長短ふたつ(左右)の知覚(聴力機能)のあまりに大きな相違が、系全体の姿勢を判断する感覚に麻痺(車酔いを起こしたような眩暈)をもたらしているように思える。
 学術は、この矛盾を超越して合理的に状況を説明し、将来を指し示す義務を負っている。そのためには、物事をふたつの時間スケールからの両睨みで捕らえる必要がある。日本機械学会においても、震災について困難な時間スケールである「長期的視点」に関連した委員会が設けられたことは、その意味からも評価したい。また、そのワーキンググループの中に「工学の原点」なる言葉が入っているものがあることも頼もしい。ただし、長期の時間スケールをよく認識して議論がなされないと、切迫感に押されて安易な短時間スケールに引きずられ、ふたつの時間スケールによる麻痺の海を溺れるばかりになってしまう。予知不可能であることは明らかでも、一区切り(30年)、二区切り(60年)を合理的に考えてゆこうとする姿勢(概念の形成)が大切であろう。むかし、ある先輩が無教養の著者にあきれて、「歴史の中で相対化して自らの位置づけを考えられることが教養」と教えてくださった。そのときの私には意味不明であった言葉が、耳に痛く響く。
 今年は、日本学術会議において「機械工学」の理念やミッションを作成する高等教育の質保証のための「参照基準」の検討が進められており、その責任者になってしまった。自分には無理だと何度も悲鳴をあげつつも、「機械とは?」「工学とは?」「教育とは?」と原点に向き合い、苦悶を続けている。意識もしなかった概念を一歩ずつ掘り下げるというのは、何とも苦しい道程だ。しかし、時間経過に対して歩みのないように思える議論こそが、学術に求められる「長期的」「原点回帰」なのだろう。学術界の落ちこぼれではあっても少しは足掻かねばならないと諦めて、とぼとぼと歩んでいるこの頃である。

 聴力を喪失したときから少し日が経過して、耳は少し回復したようではあるが、元には戻らない。とくに、同じ音を片耳ずつ別々に聞くと、片方ではある音域がまったく欠落しているのが明確にわかる。生涯このままかと思うと、悲しくもある。一方、「フィルターを通すのと一緒だ!」と、妙に感心している別の自分がいる。また、この音域に対しては左右の距離感が異なっているのが面白い。目ではある方向から来ているものが、音は反対から来たことを伝えている。その矛盾を脳がとっても不思議がっている。そのフィルターは取り外し自由ではないのが、本当に残念であるが。「戻った部分(機能)があってよかったですね」との(残酷な?)医者の言葉に慰められて、生活全体でカバーして末永く仲良く付き合うことにしてしまったが・・・・・・・。

 複雑系では、何が良い結果に結びつき、悪い結果に結びつくか分からない。
 瓢箪から駒 !!
 まだ正常に機能している片耳がある !!!

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