LastUpdate 2015.3.16


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No.134 「航空少年 パソコンの中に小さな宇宙を見るの記」

日本機械学会第92期編修理事
福井 茂寿(鳥取大学 教授)

福井茂寿

 高校2年生の進路を考えている時期が、たまたま「明治百年」(1968年)であった。日本が明治初年から外国人技術者による技術指導により先進国の仲間入りとなった様子を伝えたNHKのドキュメンタリーを見て感激し、何か自分にも今後後進国に技術指導ができればと考えた。道路や建物を造る土木・建築技術もさることながら、これからは飛行機などもよいのではと考え、大学は航空工学科を選んだ。航空や宇宙ということばに、かっこよさを感じたのも手伝った。

 小中学生の頃は、工作少年であった。テレビ番組で鉄道模型(Oゲージ)を知り、ごく簡単なOゲージ鉄道模型組立キットから始まり、ゲルマニウムラジオ、雑誌「模型とラジオ」、「初歩のラジオ」を経てアマチュア無線に興味を持ち、中1で電話級の試験に合格し、真空管(MT管)式の受信機の製作のため大阪の日本橋の電気街(東京の秋葉原に相当)にも部品調達によく行っていた。高校では勉強が忙しくなり、やや休止していた時期の進路選択が上記の航空工学ということであるが、所詮工作少年の延長線上であった。

 京都大学に入学したのは1970年。学生紛争のためその前年には東大の入試がなく、入学した頃も学生運動で学内は騒然としていた。なぜか運動部に入部しようと思い、目新しかったカヌー部に入った。カヤックカヌーで500mや1,000mのタイムレースを競うもので、練習には京都市内から滋賀県琵琶湖南の瀬田川に足しげく通った。当時はまだカヌーの競技人口が少なく、インカレにも出場し主将も務めた。主将の約1年間は下宿を瀬田川近くに移し、1時間近くかけて大学に通った。そのお蔭で勉強は随分おろそかになり、講義に出るのがやっとの学生であった。現在大学教員となり、学生諸君を叱咤激励することもあるが、実はおこがましく申し訳ない気がしている。筆者の大学生活は、大学院入試と大学院の勉強で辛うじてつじつまを合わせた格好である。

 大学院までに、流体力学や熱統計力学を意識して勉強した。流体力学では、玉田教授の講義と今井功先生の「流体力学」を精読し、卒論では徳岡辰雄教授のもとランダウ・リフシッツの「流体力学」(ランダウの理論物理学教程の1冊)を輪講した。熱統計力学では、神元五郎教授の講義や久保亮五先生の「統計力学」に妙にひかれ、その後の曽根良夫先生(現京大名誉教授)の希薄気体力学や分子気体力学の勉強への導入となった。修士論文では、二つの緩和時間を持つ構成方程式における衝撃波の挙動という問題を勝手に組立て、なんとか形を作って修了した。

 修士課程を修了して入社したのは、電々公社(現NTT)の電気通信研究所で、航空や宇宙には関係なさそうであった。NTT研究所では、コンピュータ用ハードディスク(HDD)の研究実用化を進めていた磁気記録研究室に配属になり、故金子礼三(和歌山大名誉教授)、小野京右(現東工大名誉教授)、三矢保永(現名大名誉教授)の諸先輩の指導を受けた。配属直後に、研究室の大先輩木暮賢司博士(現日本工学会事務局長)からHDD用浮動ヘッドスライダの浮上特性解析に関する資料をもらい、理論式をトレースした。流体力学の基礎理論を勉強していた筆者には、薄いすきまでの圧力発生現象という理論展開が、何とも頼りなくも思えたが、その後現在に至るまで、その潤滑理論(レイノルズ方程式)の改良と精緻化を進めてきたことになる。航空のような高度1万m(104m)を飛行するのとは違い、HDDの記録密度を向上させるため、1ミクロン以下の超微小な浮上すきま(現在では数ナノメートル:10-9m)で磁気ヘッドを回転する記録円板上に浮上させるというものである。高度が1010以上も減少し、筆者の浮かない人生の始まりである。

 超微小すきまに対する気体潤滑理論は、当時はスリップ流れ近似を境界条件とした理論(修正レイノルズ方程式)しかなく、その妥当性については、種々の実験事実との検証が精力的に進められていた。更なる超微小すきまの浮上理論の構築には、気体の粒子性のパラメータであるクヌッセン数Kn(=分子平均自由行程λ/代表長h)が無視できない場合を扱う「希薄気体力学」が必要である。この希薄気体力学は、真空や宇宙空間の現象(λ:大)とともに、大気中の超微小すきまの現象(h:小)を等価的に扱い得る。すなわち、HDDの超微小すきまの現象は、小さな宇宙の現象とも言えるのであった。

 希薄気体力学に関しては、大学院当時に曽根良夫先生(現京大名誉教授)から、気体分子の運動を確率統計的に扱うボルツマン方程式の基礎について手ほどきを受けていた。超微小すきまの潤滑問題を理論面でサーベイしている際にも、京大に曽根先生を何度もお尋ねし、有益な指針を頂いていたが、筆者の理解度が及ばず模索を続けた。その後ようやく、超微小すきまを対象にした薄い気体膜での流れ問題は、ボルツマン方程式に対しても潤滑問題の仮定(薄膜の仮定)に基づいて基本的な流れ(ポアズイユ流れとクエット流れ)の重畳で表現でき、それぞれの流量を精緻に算出すればよいことが解り、ボルツマン方程式に基づく気体潤滑方程式が完成した。

 この理論は、基本部分と実験的検証を機械学会論文集(C編)3編に、拡張した理論をASME J. Tribologyにそれぞれ発表した。幸いいち早く機械学会論文賞を頂き(1988年度)、テーマの新鮮さと技術的要請の高さもあり、その後関連した磁気ヘッド・ディスク間の諸現象(HDI)のテーマで都合5回の論文賞を受けた。国外でも評価を受け、ASMEの主論文の引用回数は現在までに約500回になり、関連論文を含め1,000回を超えた(Google Scholar)。この理論(方程式)については、第一人者であるUCバークレー校のProf. Bogyなどは、当初論文著者の氏名(福井・金子)からFK方程式と呼び始めたが、筆者は「分子気体潤滑(MGL:Molecular Gas-film Lubrication)」と名付けその後の論文で使用し、現在ではMGL方程式として認知され、最近ではMEMS/NEMS分野の作動性解析の理論としても、引用・活用され続けている。

 パソコンの中の小さな宇宙に肉薄する、超低空飛行の浮かない話と人生は、辛うじて健在である。

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