LastUpdate 2015.6.1


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No.137 「デカルトへの挑戦~心的要因の学術的扱い~」

日本機械学会第93期編修理事
淺間 一(東京大学 教授)

淺間 一

 工学の使命は価値の創造である.ただし,これまでの工学では「ものづくり」を学問の対象とし,「もの」の機能を価値として考え,性能などによって評価してきた[1].しかし,その様相が変化しつつある.

 SIP(戦略的イノベーション創造プログラム)革新的設計生産技術の「革新的デライトデザインプラットフォーム技術の研究開発」では,デライトデザインと呼ばれる研究が行われている[2].ここで扱っているのは,機能価値ではなく感性価値である.確かに,価値を「対価を支払ってもよいと思うもの」と考えると,我々は商品を購入する際に,性能のみならず,かっこよさ,かわいさ,心地よさなどのデザイン性も評価している.ただ,ここで問題になるのは,この感性価値を学術的にどのように扱うのかという点である.

 現代の科学は,デカルトから発展したと言っても過言ではない.デカルトの二元論では,物質的なモノと精神的なココロを分離し,それらを本質的に異なる世界の実体とした.これまでの工学は,まさにココロを排除し,物質的なモノのみを対象とした客観的な学問体系を構築することで発展してきた[1].工学における機能価値の評価は,まさにその過程で得られた方法論なのである.心理学でさえ,「ココロ」を直接評価するのではなく,その表われとしてのアンケートやインタビューの結果のデータを統計的に扱うことで,客観性を担保しようとしてきた.しかし,感性価値の評価までも学問の対象にしようとする試みは,このデカルトへの新たな挑戦とも言えよう.

 心的なものを学術的に扱おうとする動きは他にもある.その一つがサービス工学[3]である.サービス工学では,顧客満足度をサービスの指標とするが,これはまさに主観的なもので,心的要因を評価しようとするものである.また,幸福学と呼ばれる学問も注目されるようになりつつある[4].ここでも「幸福」という心的要因をどう扱うかが議論されている.

 心的要因をアンケートなどによって評価することは,その結果が質問の仕方などによって大きく変わることからも信憑性・信頼性に欠けると考えられるので,心的要因をいかに客観的かつ定量的に評価するかが問題となる.それは,直接的に評価することは容易ではないと考えられる.ただ,心的要因による評価が脳活動の結果と考えれば,脳活動や,それによってもたらされる生理的な活動を評価することで,ココロの状態を間接的に推定できる可能性がある.これは「サービス生理学」とも呼ばれている[5].たとえば,脳の報酬系に関しては,脳の脳幹や辺縁系などが関与するために,その結果,情動的な変化が生じ,筋電位,発汗,眼球運動などの自律神経反応にその影響が現れると推測されるし,満足系,脳の大脳皮質による総合的な判断によって得られると考えられるので,その活動を脳波計やNIRS,f-MRIなどで計測すれば,「満足」を客観的かつ定量的に計測できる可能性がある.

 現在,科学技術振興機構社会技術研究開発センター問題解決型サービス科学研究開発プログラム「経験価値の見える化を用いた共創的技能eラーニングサービスの研究と実証」に[6]おいても,そのような考えに基づき生理指標の計測に基づく満足感などの評価の取り組みが行われている.これまでに,ストレスやイライラ感などの精神的負担を,生理指標などを計測することによって,推定する手法も報告されている[7].ただし,満足感などは,実時間的,感覚的で,微分的要素に表れるのに対し,幸福とは,総合的,長期的であり,積分的要素で効く.ストレスには両方のケースがある.ココロの作用も様々だ.今後,多様な心的要因の客観的,定量的な評価手法の開発や体系化が重要である.

 人のココロにどこまで迫れるかが新たな科学に期待されている.もしそれが可能になれば,新たな学問の扉が開かれるかもしれない.

参考文献
[1] 上田完次:研究開発とイノベーションのシステム論-価値創成のための統合的アプローチ,精密工学会誌,pp. 737-742, Vol. 76, No. 7, 2010.
[2] http://www.delight.t.u-tokyo.ac.jp/school-01/data/DDP_School_1.pdf
[3] 内藤 耕:サービス工学入門,東京大学出版会,2009.
[4] 前野隆司:幸せのメカニズム 実践・幸福学入門,講談社現代新書,2013.
[5] 藤田豊久,太田 順(編著):人工物工学入門-共創によるものづくり-,東京大学出版会,2015.
[6] http://www.ristex.jp/examin/service/pdf/H25_houkoku_ASAMA.pdf
[7] 友井大将,他:"因子分析を用いたドライバーのカーレース中におけるストレス推定",第20回ロボティクスシンポジア講演予稿集,pp.133-138, 2015.

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