LastUpdate 2016.4.1


J S M E 談 話 室

ようこそ、JSME談話室 「き・か・い」 へ


JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.146 「IR - 大学での新しい取組み -」

日本機械学会第93期編修理事
井原 郁夫(長岡技術科学大学 教授)

井原郁夫

IRとは

 唐突ですが、IRという言葉をご存知でしょうか。理工系の方はこの略語から赤外線(Infrared)を連想されるかもしれませんが、ここではそれを指すものではありません。インターネットで「IR」を検索すると、この略語が様々な意味で用いられていることがわかります。ここで取り上げたいIRはInstitutional Researchの略称で、筆者の知る限り、和訳よりむしろ「IR(アイアール)」という表現で用いられているようです。このIRですが、ここ数年、大学ではホットトピックの一つとなっています(なりつつあります)。試しに、インターネットで「IR」&「大学」で検索すると、かなりの件数がヒットします。読者の皆様の関係する大学でも既にその組織の中にIRに関わる部署が設置されているかもしれません。

 さて、前置きが長くなりましたが、このIR(Institutional Research)、直訳すると「機関調査または機関研究」ということになりますが、現在のところ厳密な定義はなされていないようです。誤解を恐れずにざっくり言えば、IRとは大学に関わる様々な情報を収集・分析し、さらにそれを定量化・標準化する機能のことで、その目的は教育、研究、学生支援、経営などを戦略的にサポートすることです。換言すれば、これまで曖昧であった雑多な情報や必ずしも正しく把握・認識されていなかった実態を数値化・見える化し、それらを大学の運営や戦略に効果的に活用しようとするものです。米国では1960年代頃よりこのIRの有用性が認識され始め、現在では多くの諸外国のカレッジや大学での管理・運営においてIRが重要な役割を担っています。我が国においてもその認識は高まっています。国立大学法人化以降、日本の大学を取り巻く厳しい状況(少子化、学生資質の多様化、交付金の減少、エンドレスとも思える改革への取組み、等々)を踏まえると、欧米に倣ってIR的な機能を大学運営に取り込もうとするのは自然な流れかもしれません。実際、現在では国内のかなりの数の大学でIRを冠する組織や部署が置かれており、その数は今後も増えると思われます。大学におけるIRの役割、現状、課題、展望などについてはいくつかの文献にも記載されています[1]-[3]。

期待と不安と可能性

 幸か不幸か、大学が変革を迫られるという状況は今しばらく続くと思われます。そのような状況下では、IRは戦略的大学運営において重要な役割を果たすことが見込まれ、その定着と発展が大いに期待されます。特に、国立大学法人化を契機に急増した新たな業務への対応で疲弊している教職員の負担を軽減するための方策として、全学的IR組織の導入は効果的であろうと思われます。これまでは個人レベルで対応していたIR的な業務を、専門部署が体系的に一手に引き受け、情報の一元管理が実現することで、教員の裁量労働における教育研究業務(本来業務)の割合が増えることは望ましいことです。

 ところで、国内の大学を対象とした最近の調査では、IR担当部署が担う業務のうち最も高い割合を占めるのが、執行部への情報分析結果の提供となっています[2]。IRにより提供される定量的情報が戦略的な大学運営・経営のための意思決定に活用されることは所期の目的に合致しています。ただし、ここで注意すべきは、情報の数値化はしばしば事象の「見える化」だけでなく「見えない化」も同時にもたらすということです。コストをかけた正確なデータであっても、見る角度や切り口によっては見え方が異なります。あるデータが統計学的に有意であったとしても、それに基づく意思決定が必ずしも戦略的に正しい結果をもたらすとは限らないことは多くの歴史が物語っています。IRによって顕在化・定量化された情報も同様で、それが意思決定者の拙速な決断に対する説明責任を果たすための道具として用いられるのであれば、それは本末転倒です。ある意味でIR機能は「諸刃の剣」的な側面があるかもしれません。

 とは言え、IRによるエビデンスはそれなりのインパクトをもち、個々の教職員への影響力は少なくないようです。先般開催された文科省主催のシンポジウムで、ある大学の興味深い事例報告がありました。それは、IRデータを上手く活用することで、個々の教職員にインセンティブを与えなくとも、個人の問題意識や行動意欲を喚起させることができたという報告でした。すなわち、「アメとムチ」で人を動かすのではなく、本来の職務上の使命感をリマインドさせることで教職員を能動的にさせることができ、大学の機能向上・業務改善に繋がったという事例でした。その詳細は誌面の制限上割愛しますが、IRによる的確な情報提供は組織の円滑なコンセンサス形成にも役立つようです。また、IRには大学の活性化を促すカンフル剤のような効果も期待できそうです。

終わりに

 筆者は最近、自身が勤務する大学のIRの一端を担うこととなり、それがIRを知るきっかけとなりました。思い起こせば、アルファベットの略称が世間を賑わすことがしばしばあります。1980年代、バブル経済の影響もあり企業では「CIブーム」が起こりました。CIとはCorporate Identityの略称で、このCI活動の一環として多くの企業では社名やロゴマークが一新されました。当時、筆者が勤務していた電機メーカでも有名デザイナーによるロゴマークが新たに採用されたのを鮮明に覚えています。斬新なロゴマークに気分の高揚を実感した社員もいたようですが、実際、CI活動にどれほどの効果があったのかはわかりません。ただ、確かなことは、当時、その会社はそれなりの高い技術力とブランド力がありましたが、数年前、残念ながら別の大手企業の完全子会社となりブランド名も消え去りました。CI活動の末、同様の運命を辿った会社は少なくないと思います。翻ってIR、これが日本の大学に何をもたらすのか、不安でもあり楽しみでもあります。願わくは、IRに携わる方々の労力が良い形で報われるものであってほしいと思います。

参考文献
[1] 柳浦猛、「アメリカのInstitutional Research IR とはなにか?」、国立大学財務・経営センター研究報告、第11号、pp.220-253 (2009)
[2] 小林雅之ほか、先導的大学改革推進委託事業調査研究報告書「大学におけるIR(インスティテューショナル・リサーチ)の現状と在り方に関する調査研究」、(2014)
[3] IDE大学協会編、IDE現代の高等教育、No.528、2-3月号(2011)

JSME談話室
J S M E 談話室 バックナンバーへ

日本機械学会