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ミュンヘン工科大学留学記

石井佑樹(三菱重工業)

チュムメル博士と供に

 私は,2001年9月から2002年9月のちょうど一年間(大学院修士課程1年次),ドイツ・ミュンヘン工科大学に留学した.

 2000年の夏,自分の見識を広げる意味で若いうちに海外で生活してみたいという気持ちがあり,その思いを指導教官である堀江三喜男教授に相談したところ,労を惜しむことなく私の助けになってくださった.先生から推薦して頂いた幾つかの大学の中から,母校東京工業大学の提携校で毎年一人ずつ留学生を受け入れるミュンヘン工科大学を,私は最終的に第一希望とすることにした.

 東京工業大学での交換留学生審査も無事終了し,ミュンヘン工科大学の指導教官とは日本で行っていた研究をドイツでも継続して行うということで話が進み,着々と留学の準備が整っていった.そして,2001年9月28日,ニューヨークでのテロ直後の不安の中,日本を出発しドイツ・ミュンヘンへと旅立った.

 ミュンヘンは人口約130万人,ベルリン,ハンブルグに次ぐドイツ第3の都市で,地理的にはドイツ南方のアルプスの近くにあり,夏は最高気温が30度を超える日々も多いのに対し,冬はマイナス20度くらいになることもある非常に1年の気温差が大きい地形に位置する都市である.ドイツの大都市の中では他の都市より治安がよく,数多くの美術館・博物館がある芸術都市,また地ビールが数え切れないほど存在するビールの都,BMWやシーメンスドイツといった世界に名だたる企業が本拠を構える産業都市といった多くの顔を持つ非常に魅力的な都市である.ミュンヘン工科大学は,ミュンヘン市内に本キャンパス,そして北の郊外ガーヒンに広大なキャンパスをもつ,研究・勉学に適した環境を研究者,学生に与える世界有数の素晴らしい大学である.

 ミュンヘン工科大学の留学生課を通して紹介された学生寮は,留学生ばかりが住む建屋が10棟以上ある「学生のための町」といった場所であった.世界中からの留学生が同じ寮に住む環境であることから,今思い出してみるだけでも10カ国以上の友人ができ,例えば夏の天気のいい日は夕方から夜まで(夏は午後9時頃が日没),多くの留学生とサッカーを一緒に楽しんですごした.ちょうどワールドカップが日本と韓国で行われた夏であり,韓国がイタリアを破った次の日は,共にサッカーをしていた韓国人とイタリア人の仲が目に見えて悪くなったのを他の友人達とドキドキしながら眺めていた.日韓ワールドカップといえば,ドイツが順調に勝ち進んだのが記憶に新しいが(結果的には準優勝),ドイツの試合の度にキャンパスでは一番大きな教室で試合中継を大画面に映し出し,学生たちがビールを飲みながら大騒ぎして観戦していたのを今でも良く覚えている.

 留学中の研究の方は,指導教官であるチュムメル博士に数多くの助言をもらいながら進めていった.携帯電話を代表する小形電子部品の実装を,射出成形機により一体成形される手の平サイズのパンタグラフ機構(材料はポリプロピレン)を複数平行に並べて行うという新しい表面実装システムが堀江教授を始めとする研究グループによって提案されており,私の研究テーマは,そのシステムの基となる小形パンタグラフ機構を試作し,運転時の動特性を解析するものであった.パンタグラフ機構を製作するのに必要な射出成形機は日本の研究室で準備し,また射出成形用の金型も帰国後に製作することにして,ドイツでは主に機構の解析を行った.解析を行う上で一番日本の大学とドイツの大学が違うと感じたのは,解析ソフトを使うか使わないかである.日本では,主にプログラムを用いて自分で解析ツールを作るのであるが,チュムメル博士とは市販の解析ソフト(SIMPACKおよびANSYS)を使って解析を行っていくことで話しが纏まり研究を進めた.これは私見であるが,欧米の大学は日本と比べ産学協同で研究を進めている割合が非常に高く,研究予算が十分に与えられている分時間に対して非常にシビアで,解析ソフトがブラックボックス化している不安を差し引いても,より早く精度のよい結果を得られる手法,つまり市販の解析ソフトを用いることを選択する傾向があるように感じた.

 解析は供試体が無いために,簡単な現象でもその場で確認できないというもどかしさが多々在ったが,それまで日本で行っていた実験データを基にして解析モデルを製作していった.結果的に,ドイツを去る2002年9月にはミュンヘンでの研究成果を論文に纏める事ができ,旧東ドイツに位置するドレスデンにて開かれた学会(VDI)にて,日本・ドイツの両指導教官との共著で研究成果を発表することができた.

 帰国後の昨年(2003年)秋,ドイツでの指導教官であるチュムメル博士が来日され,今度は私が東京を案内する機会に恵まれた.今でもE-Mailを通じてチュムメル博士とは連絡を取り合っており,非常に良い指導教官に恵まれたと感謝している.日本にいるだけではできないような多くの貴重な経験が得られたドイツ・ミュンヘンでの一年の留学生活は,初の海外生活で不安やつらい部分もいくらかはあったものの,それを差し引いても非常に楽しく有意義な一年であった.現在,私は三菱重工業長崎研究所で一技術研究者としてスタートを切ったばかりであるが,これからも東京工業大学堀江三喜男教授およびミュンヘン工科大学チュムメル博士とは技術的な意見交換を含めた良い関係を築いて行きたいと思う.

 最後に,私のためにドイツ・ミュンヘン工科大学留学を通して,公私にわたり指導してくださった堀江三喜男教授,チュムメル博士をはじめとする多くの関係各位に深く感謝し,本寄稿を終わりたいと思う.

ミュンヘン工科大学 ガーヒン・キャンパス

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