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2023/3 Vol.126

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技術ロードマップから見る2030年の社会

第3回_1 計算力学

河合 浩志(東洋大学)・小石 正隆〔横浜ゴム(株)〕

計算力学分野

本稿では、「技術ロードマップから見る2030年の社会 3・計算力学」(1)を振り返る。

日本の国際的技術競争力を維持・発展させていくためには、新しいアイデアの創出、設計開発プロセスの効率化、製品の品質向上が不可欠である。これらに直接的に貢献できる分野として、計算力学に対する産業界からの期待は非常に大きい。これからの日本や世界が直面するさまざまな問題、例えば高齢化社会、医療、防災・減災、地球温暖化などの解決に向けても、計算力学は大きな期待を背負っている。本ロードマップでは、計算力学分野を先導するハイパフォーマンスコンピューティングおよび産業界における計算力学の利用についてのロードマップを示す。

ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)

ポスト「京」(富岳)重点課題アプリケーション開発

2014年度から「京」の後継機となる「富岳」の開発が始まっている。このプロジェクトでは、2020年頃にフラッグシップシステム「富岳」を頂点とした計算技術インフラを構築し、社会的・科学的課題を解決すること、および、国際競争力の強化を目指した。2014年12月には、国家的に解決を目指す社会的・科学的課題に対して世界を先導する成果を創出するためとして、9つの重点課題が選定されている。これらのうち、機械工学に特に関連する重点課題は、⑥「革新的クリーンエネルギーシステムの実用化」および⑧「近未来型ものづくりを先導する革新的設計・製造プロセスの開発」である。これらの重点課題は、それぞれ、以下のサブ課題で構成されている。

重点課題⑥:

A) 高圧燃焼・ガス化を伴うエネルギー変換システム

B) 気液二相流および電極の超大規模解析による燃料電池設計プロセスの高度化

C) 高効率風力発電システム構築のための大規模数値解析

D) 核融合炉の炉心設計

E) 膜・界面のナノレベルからの設計

重点課題⑧:

A) 上流設計プラットフォームの開発整備と産業利用実証によるものづくり革新

B) リアルタイム・リアルワールド自動車統合設計システムの研究開発

C) 準直接計算技術を活用したターボ機械設計システムの研究開発

D) 航空機の設計・運用革新を実現するコア技術の研究開発

E) 新材料に対応した高度成形・溶接シミュレータの研究開発

F) マルチスケール熱可塑CFRP成形シミュレータの研究開発

2020 年代には、「富岳」を利用したこれらの研究課題での大きな技術進展が期待されている。

そのほかの研究課題

これから10年程度の間に、学術界・産業界に「富岳」クラスのコンピュータが普及していくことが予想される。HPC の活用の方向性としては、①大規模シミュレーションの実施と②シミュレーションによるパラメトリックスタディの実施が考えられる。①については、現在低レイノルズ数条件での利用に限定されてきたLarge Eddy Simulation(LES)/直接数値計算(Direct Numerical Simulation:DNS)を用いた流体解析が普及していくことが予想される。これにより、輸送機器・流体機器が高効率化・低騒音化されることが期待される。また、反応流シミュレーション、マルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションなどのさらなる発展が期待される。構造分野では、プラントや車両、機器などの複雑構造物をまるごと解析しようとするこれまでの流れをさらに一歩進め、特に非線形解析(弾塑性、クリープ、超弾性、複合材料、接触など)およびマルチスケール解析、また流体や磁場との連成解析のためのカップリング機能などが、ワークステーションや小規模PC クラスタだけでなく、大規模HPC 環境上においても整備されていくものと思われる。②に関しては、設計最適化と不確定性定量評価が注目を集めている。設計最適化は、理想的な問題では最適な設計が得られるとともに、多目的設計最適化を行うことで設計空間を俯瞰することが可能となる。不確定性定量評価は、設計が不確定な上流段階での設計性能評価や製造工程での誤差などを考慮した設計評価が可能になる手法である。これらの技術が活用できることにより、より品質と信頼性が高い製品が効率的に設計開発できるようになると期待される。

産業界における計算力学

2016年に策定した産業界における計算力学のロードマップ(図1)では「今後は価値創造を目的とする新たなCAE(Computer Aided Engineering)の活用が増加していくと考えられる。」と予想していた。本章では2022年現在の産業界を取り巻く計算力学の応用分野(特に、2016年のロードマップに掲げた計算力学とデータサイエンスの視点)を簡単にレビューし、2050年に思いを馳せてみたい。

図1 産業界における計算力学の技術ロードマップ

まずは、産業界、とりわけ製造業の価値創造とCAEについて補足したい。企業が創造する価値とは製品やサービスである。工学分野に限定すると企業が創造すべき価値は製品や材料と捉えることができる。また、企業における研究・開発や生産に関わるさまざまなプロセス改革も価値創造と捉えることができる。CAEの活用分野の多くは製品開発や材料開発や製造プロセスに関わっているため、価値創造と無縁なCAEは存在しないともいえる。しかしながら、ここでは技術者の単なる支援ツールとしてのCAEではなく、技術イノベーションを目指した活用という意味合いを込め「価値創造を目的とする」と表現している。

さて、近年の計算力学の応用分野を振り返ると、機械学習との融合が精力的に進められている。例えば、計算力学講演会においても「新しい価値創出」をうたったフォーラムが企画され、計算力学と機械学習との融合が問題解決の方法論として掲げられている(2)(3)。計算力学と機械学習は演繹法と帰納法という対比で語られることが少なくないが、仮想データ(サイバー空間)と実データ(物理空間)という構図でとらえることもできる。サイバー空間と物理空間との融合ではデジタルツインやCPS(サイバー・フィジカル・システム)がキーワードであり、内閣府が提唱するSociety5.0(4)の中核を担っている。

一方、新材料開発のプロセス変革を目指したマテリアルズ・インフォマティクスにも多大な関心が寄せられている。一例として、高分子材料の物性データベースを分子動力学シミュレーションで構築しさらに機械学習を活用することで新材料を探索する試みがスタートした(5)。シミュレーションや機械学習による物性値の予測精度は不十分かもしれないが、かつて見たことのない広大な設計空間を俯瞰することで得られる情報は今後の高分子材料開発に大きなインパクトを与えるものと期待される。

さらに、2021年に新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が策定したAIアクションプラン(6)では「シミュレーション×AI技術の開発」と「AIによるシミュレーションが活用されていない分野の同定と、その分野への展開の重要性」が指摘されている。それに呼応するかのように2022年度の人工知能学会全国大会では「AI・シミュレーション融合研究の展望と戦略」の企画セッションと「シミュレーションとAI」のオーガナイズドセッションが企画された(7)。ここでのシミュレーションは必ずしも計算力学と合致するものではないが、シミュレーションとAI(機械学習)との融合技術が人工知能の分野においても重要課題として認識されている点が興味深い。

自動車レースのフォーミュラ・ワン(F1)で2年連続の総合優勝を果たしたチームでは「F1ではレースで想定される状況を事前に調べ、取るべき選択肢や結果をAIを使って判断する。1回の大会で実行されるシミュレーションの回数は40億回にのぼる。」とのこと(8)。AIやシミュレーションの詳細内容は不明であるが、機械学習とシミュレーションとの融合が従来のプロセスを変革した一例である。今後も産業界での応用や社会実装に向け、さまざまな分野で機械学習とシミュレーション(計算力学)の融合が加速するであろう。計算力学と機械学習との融合による新しいCAEが産業界の価値創造のために活用され、2050年には数多くの技術イノベーションとして結実していることを期待する。


参考文献

(1) 大山 聖, 河合 浩志, 小石 正隆, 技術ロードマップから見る2030年の社会, 日本機械学会誌, Vol.119, No.1170(2016), pp.293-294.

(2) 第34回計算力学講演会(CMD2021),フォーラム「機械学習・統計数理と計算力学の融合による新しい価値創造」,
https://www.jsme.or.jp/cmd/conference/cmdconf21/doc/forum.html(参照日2022年11月25日).

(3) 第35回計算力学講演会(CMD2022),フォーラム「機械学習・統計数理と計算力学の融合による新しい価値創造」,
https://confit.atlas.jp/guide/event/cmd2022/session/2G01-05/category(参照日2022年11月25日).

(4) 内閣府,Society5.0,
https://www8.cao.go.jp/cstp/ society5_0/(参照日2022年11月25日).

(5) 吉田亮,「富岳」成果創出加速プログラム:データ駆動型高分子材料研究を変革するデータ基盤創出, https://fugaku100kei.jp/fugaku/images/subpages/pdf/r3_08/01.pdf(参照日2022年11月25日).

(6) 新エネルギー·産業技術総合開発機構(NEDO),人工知能(AI)技術分野における大局的な研究開発のアクションプラン (AIアクションプラン),
https://www.nedo.go.jp/content/100933421.pdf(参照日2022年11月25日).

(7) 2022年度人工知能学会全国大会(第36回),
https://www.ai-gakkai.or.jp/jsai2022/(参照日2022年11月25日).

(8) 日本経済新聞, F1連覇レッドブル, 秘訣はOracleとAIとシミュレーション, https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC131QQ0T11C22A0000000/?n_cid=NMAIL007_20221125_Y(参照日2022年11月25日)


<正員>

河合 浩志

◎東洋大学 総合情報学部総合情報学科 教授

◎専門:計算力学、可視化、メッシュ生成

ハイパフォーマンスコンピューティング

<フェロー>

小石 正隆

◎横浜ゴム(株)AI研究室

エグゼクティブフェロー・研究室長

◎専門:計算力学、多目的最適化、データマイニング

キーワード: