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2025/6 Vol.128

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特集 母国語で学術論文を書く意義

特集にあたって

渋谷 陽二(信州大学、長崎大学)

なぜ特集号に

図1の左は、日本機械学会誌の2025年3月号、右は米国機械学会(ASME)Mechanical EngineeringのNo. 07/146(December, 2024)号である。機械学会誌は60ページ、ASME誌は64ページで、ほぼ同じボリュームの薄っぺらい雑誌である。かなり以前、日本語で書かれた学術論文などが掲載されていた時代から考えると、携帯しやすいサイズになり、“スキマ時間に学会誌”といった利便性が向上したとも言える。さらに、電子媒体としての閲覧も可能になり(https://www.jsme.or.jp/publication/kaisi/)、学会誌を持ち歩く必要もなくなった。本誌にも編集会議という寄り合いがあり、毎月特集号の企画について極めて熱いが余談の多い議論がなされている。その中で、たまたま母国語で書くことの話題が何かの話の流れで出てきた。経緯はほとんど覚えていないが、そのときにふと、かなり以前に筆者が作成した「母国語で書く学術論文」というA編編修委員会の編修委員会ニュースを思い出した。その当時(2010年)の機械学会は、Elsevierの電子投稿審査システムEditorial Managerが稼働し始め、操作ミスやシステムのバグなどで、当時の学会事務局、編修委員会は混乱の中で編修業務をこなしていたことを思い出す。このシステムを用いれば、半年から長いときには1年近くかかっていた論文掲載期間が短縮される大きなメリットを感じていた一方で、世界中のどこからでも見られる環境になったことは、日本語での論文と海外雑誌の英語論文に掲載した図表の重複といった大きな問題の可能性も生じていた。また、大学教員の評価も厳しくなり、日本語で書かれた論文への風当たりも大変きつくなった時代とも言える。すなわち、日本語という母国語で書かれた論文は、世界標準からすると研究者の研究業績にならないことになる。一世代前の人からは、日本語で機械学会に論文を出して一人前、英語での論文はその後、暇があれば英訳したものを出せばよいとの風潮があり、その皺寄せが後々の研究者としての業績評価に大きく関わってくることになる。Impact FactorからScience Citation Index Expanded、Citation No.など、今から言われてもという時代から、Indexで研究者個人の主張する時代へと変革の波にのり、あるいは先取りすることをこれからの研究者には期待したい。

図1 日本機械学会誌と米国機械学会誌

 

では、日本語という母国語で書く学術論文や技術誌に意味はないのかというと、そうではない。多くの国は英語を母国語とせず、産業に携わる大半の技術者は必ずしも英語に堪能な人ばかりではない。機械学会誌を通じて、この命題を会員に考えてもらってはどうかということになった。技術の先取り的な従来の特集号の中で、ごくたまにこういう話題を取り上げても良いのではという結論に至った次第である。この命題の結論は、会員一人一人の中で導く必要があるとしても、この問題は日本のみならず、英語を母国語としない大多数の国々においても同様の課題になっていることは、容易に想像できる。今から15年前のA編編修委員会の編修委員会ニュースのメッセージとして、毎月そのような事情を持つ国の状況を調べ、母国語で書く学術論文についての記事を発信していた。11回のメッセージの中で、今回新たな調査で掲載される、韓国、中国、ドイツの状況について記載した分と、それでは日本についてはどうなのかという私見を記載した分を再記したい。翻訳サイトが充実し、その翻訳精度もAIによって著しく高くなり、母国語の英語変換が自在にこなせるようになった昨今であるからこそ、ここでもう一度「母国語で書く学術論文、技術誌」について考えたい。

なお、メッセージ中に記載されたホームページのURLや数値などは当時のもので、現在では使用されていない、あるいは変わっていることに注意されたい。

論文編修委員会A編編修委員会ニュースから


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2010/6月号
母国語で書く学術論文

今月号から,このニュースの「編集委員会からのメッセージ」を書かせていただくことになりました.どうぞよろしくお願いします.

皆さんはSPARC Japanという言葉をご存知でしょうか.当時大阪大学に在籍され,機械学会の副会長をされていたと思います北川 浩 先生(大阪大学名誉教授)が,外国の商業雑誌に日本の優秀な学術成果が奪われていいのか,と非常に力説されていたことをいまだに憶えています.当時,その詳細はよく知りませんでしたが,ホームページ(http://www.nii.ac.jp/sparc/)にアクセスすると,「国際学術情報流通基盤整備事業」と称されて,日本の学協会等が刊行する学術雑誌の電子ジャーナルを支援・強化して,海外に流出する我が国の優れた成果を取り戻し,海外への成果発信を一層普及させることが,この事業の目的となっています.そして,公募により選定されたパートナー雑誌の中に機械学会の英文ジャーナル11雑誌が登録されています.電子化支援を行い,大学図書館でのサイトライセンス契約を進めることで,海外商業出版社の電子ジャーナルに関わる価格高騰の問題を解決する目的もあると思います.その主旨は同意できる一方で,法人化以降評価・査定の波にさらされている大学教員の置かれている立場も考えると,理想と現実のギャップが大きいことは事実です.今年の9月から,日本機械学会論文集も電子化されます.日本語で書く学術論文について,一度じっくり考える機会にしてはいかがでしょうか.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2010/7月号
母国語で書く学術論文 —韓国編—

母国語で書く学術論文の世界事情はどのようになっているのか,大変興味深いところです.今回は,お隣の国,韓国について調べてみます.韓国の機械学会(KSME; The Korean Society of Mechanical Engineers)は,日本の機械学会の事情にほぼ対応していることはよくご存知のことと思います.韓国語で書かれた韓国の国内学術雑誌Transaction of the KSMEがあり,これはA編,B編といった分類になっています.両編ともに,年間掲載論文数は200件程度と聞いています.英文誌にはJournal of Mechanical Science and Technologyというのがあります.韓国と日本の人口比は,韓国約4700万人,日本約1億2700万人ですので,日本の方が約2.7倍多いことになります.日本の機械学会A編の2009年の掲載論文数が233件ですので,単純な人口比では考えられませんが,韓国の国内学術雑誌への投稿は比較的多いように思えます.Transaction of the KSME A & Bは,ともにSCOPUSに登録されています.これらの国内学術誌以外にも,200以上の機械工学に関連する学術雑誌が韓国語で書かれて出版されているとのことです.一方,韓国の教員採用の厳しさはよく耳にします.英語で書かれた論文はもちろんのこと,インパクトファクターの値,筆頭著者かそうでないか,連名者が何名いるか,といった非常に細かい論文査定のもとで評価がなされます.今年の3月ソウル大学で開催されましたKSME-JSME Joint Symposium 2010 on Computational Mechanics and Computer-Aided Engineering に参加された方はおわかりのように,その成果によるのか研究レベル,教員レベルともに目を見張るものがあります.国内学術雑誌への投稿とどのように両立されているのか一度聞いてみたいものです.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2010/8月号
母国語で書く学術論文 —中国編—

先月に引き続き,母国語で書く学術論文の世界事情を報告いたします.お隣の国,大国中国ですが,現在固体力学関係の中国語で書かれる雑誌の代表格は Chinese Journal of Solid Mechanics(CJSM)(固體(体)力学学報; gùtǐ lìxué xuébào)で,英語版Acta Mechanica Solida Sinica(AMSS)と両方出版されています.中国語版CJSMは1980年から刊行され (http://amss.hust.edu.cn/),一方英語版AMSSは1987年から刊行され,現在はエルゼビアのホームページ上にあります(http://ees.elsevier.com/camss/default.asp).そう言えば,北川 浩先生(大阪大学名誉教授)が分子動力学シミュレーションの研究活動を広くされている時に,一度だけこの雑誌に投稿されたことがあります(Vol.8, S. Issue(特集号だったのでしょう), 1995, pp.53-57).皆さんも,中国の研究者から投稿を進められたことがあるかもしれません.シュプリンガーからのActa Mechanicaや, エルゼビアからActa Materialiaといったように,似た名前の雑誌が多々ありますので,当時は欧米の雑誌かなぁと思っていました.現在,清華大学のQuanshui ZHENG教授が編集委員長をお努めになっています.彼によると,現在中国で力学関係の雑誌は16冊,半数以上が固体力学関係,3冊が英語で書かれた国際雑誌です.そのうちの一つがAMSSとなります.CJSMとAMSSが最もプライオリティーの高い雑誌で,不採択率が70%に及ぶそうですが投稿数は年々増加しているとのことです.日本の機論に関わる議論(母国語で書く論文の意義)と同様のことが中国でもあるそうですが,2つの理由で今なお根強く必要だと判断されています.一つは,国内のすべての技術者が英語に達者なわけではなく,基礎研究の応用化・実用化の過程では彼らの理解と展開が不可欠であること.もう一つは,若い学生や研究者が彼らの最初の論文を出すための場として支援している.すなわち,中国語で書くCJSMは,実用的な工学の問題を取り上げて,若い世代の論文執筆支援に位置づけているということです.明確な主旨です.さて機論は・・・.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2010/9月号
母国語で書く学術論文 —ドイツ編—

母国語で書く学術論文のシリーズも3回目になりましたが,そろそろネタが尽き始めました.というよりも,この問題はそもそもアジア地区のみに限定されており,ヨーロッパではほとんどないであろうと思っています.ヨーロッパの研究者は,米国との交流がさかんで,必然的に英語での研究活動を日常的に展開しています.そのため,論文も英語で執筆することになるでしょう.でも,一応ドイツの現状について調べた結果を今回報告いたします.問い合わせをしたのは,現在Computational Materials ScienceのEditor in Chiefであり,Journal of Physical MesomechanicsのEditorial Board MemberでもあるStuttgart大学のSchmauder教授です.かなり以前に東京工業大学にもおられたことがありますので,ご存知の方もおられると思います.現在,ドイツ語で書かれた固体力学系の雑誌はないそうですが,その方面の雑誌として,歴史的にも価値があり非常に有名なGAMM(German Society for Applied Mathematics and Mechanics)の出版しているものがあります.GAMM(http://gamm-ev.de/)の歴史をたどると,多くの教科書でおなじみの人たちが登場します.1922年9月21日にライプチッヒにて,プラントル(Ludwig Prandtl),ミーゼス(Richard von Mises),そしてライスナー(Hans Reissner)の3名が,工学の基礎となる力学,数学,そして物理に関わるすべての分野の科学的な深化を促進させるために,GAMMという学会を設立しました.初代の会長にはプラントル,幹事としてミーゼス,評議員の一員としてライスナーが着任し,ナチス時代の苦難を経て今でも活動しています.会議録的な出版が主なようですが,数年前に,ドイツ語と英語で出版されるようになったそうです.若いドイツの研究者は予想通り英語での雑誌投稿がほとんどのようですが,企業を対象にしたドイツ語で書かれた工業的な雑誌があるそうです.それらは,英語化される予定は今のところないとのことです.ロシアもほぼ同様な傾向で,国内雑誌はロシア語と英語の両方が出版されており,先月報告しました中国と同じ状況です.ヨーロッパの各国と日本では,とりまく国際的環境が異なりますので同じ基準での比較は困難ですし,言語の出自の違いも考えなくてはなりません.ただ,どこの国でも,国内の工業化・産業化への貢献には母国語で書く論文は欠かせないと考えているようです.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2011/3月号
母国語で書く学術論文
—総集編としてのニッポン(パート1)—

まず,先日の東日本大震災により亡くなられました方々に,衷心よりお悔やみ申し上げますとともに,被災された皆様に,謹んでお見舞い申し上げます.阪神淡路大震災のときも未曾有という言葉をよく耳にしましたが,今回はさらなる未曾有の事態となり,機械工学に携わるものとしてどのようなことが貢献できるか,考える日々です.

さて,今回と次回で,シリーズとして書かせていただきました「母国語で書く学術論文」の総集編として日本を取り上げます.この1年,私なりに日本語という母国語で書く学術論文の意義について考えてきました.英語を母国語としない,韓国,中国,ドイツ,そしてチェコの状況を調べ,関係者のご意見を聞かせていただきました.それを踏まえて,日本語で書く学術論文のあり方を,これから議論する必要があります.重要な観点は,二つあるように思います.今回は,最初のキーワード,「国内産業への寄与」です.日本の工業分野の進歩には,機論のような日本語の学術論文は不可欠であり,これまでも,そして今後も,大きな貢献をすることは言うまでもありません.それは,中小企業を含めた日本全体の産業を支えている技術者全員が,英語を理解するわけではないからです.加えて,取り扱うあらゆる技術文書も日本語であり,日本語での技術コミュニケーションが基本になります.でも,その技術に応用されていく,学術的な基本論文の投稿が日本語ではなく英語になる傾向は避けられないし,学術分野のグローバル化では至極当然のことと言えます.となると,必ずしも原著論文にこだわることなく,レビュー的な観点からの論文投稿を積極的に促していくことが,一つ重要になると思います.断片的な原著論文よりも,総括的に記述されたレビューの方が,場合によっては応用化・産業化される近道かもしれません.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


日本機械学会 論文編修委員会 A編
編修委員会ニュース 2011/4月号
母国語で書く学術論文
—総集編としてのニッポン(パート2)—

今月がいよいよ最後になりますが,先月から引き続き,「母国語で書く学術論文」の総集編として日本を取り上げます.二つ目のキーワードは,「人材育成」です.これまでの母国語を英語としない国々の調査で指摘されていました,若手研究者,特に博士後期課程学生に対する論文執筆を通じた育成です.従来では,研究室の指導教員が,彼らの原稿を真っ赤にするぐらいに訂正し,その過程で論文の書き方を習得させていったと思います.英文もしかりです.ところが,最近では,推敲不十分の論文が散見され,その都度校閲委員の方々から指摘を受けています.初等教育の国語教育との関連,研究室内での育成システムとの関連,加えて准教授や助教の導入により若手研究者の早期独立を促す現在の動向,といった要因が複合的に絡んでいるように思います.日本語による機械学会論文集において,その伝達手段としての言語の使い方とともに,日本語としての論理の組み立てなど根幹をなす部分が崩れてしまうと,論文集としての研究情報伝達が十分機能しなくなります.編集する側としても,何らかの対応をしなければならなくなったのが実情だと思います.機械学会として,若手研究者や次世代を担う博士後期課程学生の論文執筆を通じた育成を行うことを陽に出し,共通の認識とする時期が来たのかもしれません.校閲の方々の負担を考えますと,まずは共著者の責任として,学会が発行している執筆要項を参考に,日本語の推敲を十分に実施してもらうことはもちろんですが,それができない場合には,英文と同様に,日本語校閲を有料で受けてもらう情報を学会から提供することも考えられます.”日本語が書けて当たり前”の前提を考え直す時期かもしれません.

一年間,考える良い機会を与えていただき,ありがとうございました.引き続き,機論A編にご協力を賜りますようお願い申し上げます.

日本機械学会 論文編修委員会 2010年度

A編編修委員会委員長 大阪大学 渋谷 陽二


<名誉員>

渋谷 陽二

◎信州大学 特任教授、長崎大学 客員研究員

◎専門:固体力学、計算力学、材料欠陥非破壊観察

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