特集 母国語で学術論文を書く意義
日本の学会発行和文誌の取り巻く状況と本会の取組み
日本機械学会論文集の近況
本会の和文論文誌である「日本機械学会論文集」は、1935年に創刊されて以来、いくつかの誌名変更を経て、現在では第90巻を超えるに至っている。本誌は、日本の機械工学分野における研究成果を広く共有する場として長年にわたり重要な役割を果たしてきた。創刊当初は掲載論文数も少なく、主に大学や研究機関に所属する限られた研究者による投稿が中心であった。しかし、1970年代頃から掲載数が徐々に増加し産業界における研究開発の活性化とも相まって、1990年代には年間約1,800編という非常に多くの論文が掲載されるまでに成長した。しかし、1990年代をピークとして掲載論文数は減少傾向に転じ、2025年現在に至るまでその減少傾向に歯止めをかけることができていない(図1)。
図1 日本機械学会論文集の掲載論文数の推移
この掲載数の減少には、いくつかの複合的な要因があると考えられる。具体的には、
- インパクトファクターなどの指標を用いた学術誌の評価が学術界で広く定着し、それらを用いた研究者の業績評価がより一般的になり、指標が高い英文誌への投稿が優先されるようになったこと
- 研究交流のグローバル化がより進み、研究者が日本語で論文を執筆・発表する機会が減少し、英語での論文執筆が主流となったこと
- 学位取得の要件として、大学によっては英語論文の公表が重視されるようになり、日本語論文の価値が相対的に低下したこと
といった背景が挙げられる。
一方で、企業に所属する研究者や技術者にとってはインパクトファクターなどの指標による評価を受ける機会は限られており、業務上英語による論文投稿が必須となる場面もそれほど多くない。また、知財管理上抑制されている一面も考えられる。一方、実務に近い応用研究や技術開発においては、日本語による情報共有が有効である場合が多いため日本語で論文を発表できる場は依然として必要とされていると考えられる。
こうした傾向をより詳細に分析すると、学術界におけるグローバル化の進展が掲載論文数の減少に大きな影響を与えていることが分かる。前述したように、2000年代以降、研究者評価の基準として国際的な知名度や被引用数がより重視されるようになり、自然と英語論文誌への投稿が研究者の間で主流となった。また、競争的研究資金の獲得においても国際的な業績が重視される傾向が強く、研究者は限られた時間と資源の中でインパクトの高い英文誌への投稿を戦略的に選択することが常態化している。
大学院教育においても、博士課程の学生が国際的に通用する研究者としての能力を身につけることが求められており、英語による論文執筆が標準となっている。実際、多くの大学では学位論文審査の条件として英語論文の公表を義務づけており、和文論文のみで学位を取得することが困難なケースも生じている。さらに、近年の留学生の増加により研究室内での共通語が英語となることも多く、日本語での論文執筆機会そのものが減少しているのが現状である。
国内学会の和文論文誌の取り巻く状況
本会の和文論文誌を取り巻く状況が厳しさを増す中、日本国内の他学会における和文論文誌の現状についても調査を実施した。調査にご協力いただいた電気学会、日本建築学会、電子情報通信学会、化学工学会の各位には深く感謝申し上げる。
図2に示すとおり、2015年から2024年の10年間における各学会の和文論文誌における掲載論文数の推移を見ると、学会によって論文掲載数に差はあるものの全体として減少傾向にあり、徐々に縮小している状況が明らかとなった。
今回調査を行った各学会は扱う分野こそ異なるものの、いずれもインパクトファクターや国際的評価指標の導入、そして分野における国際化の影響を強く受けている点で共通している。このような状況を鑑みると、学会単独で対応を図ることには限界があり、今後は「日本」という枠組みのもとで和文論文誌の意義や存在価値を再定義し、その役割を見直していく必要がある。具体的には、分野横断的な連携やJ-STAGEを中心としたデジタルプラットフォームの共同強化など、全国的な取組みが求められる局面に来ていると言えるだろう。
図2 各学会の和文論文誌の掲載論文数の推移
〔2015~2024年(2015年を1とした場合)〕
学術誌の国際化と和文論文誌
近年、電子ジャーナル化が急速に進展したことで、論文の影響力は国際的なデータベースにおける検索性や可視性に大きく依存するようになっている。特に英語で書かれた論文は、ScopusやWeb of Scienceといった国際的データベースにおいて容易に検索され、被引用の機会も多くなる傾向にある。これに対し、和文論文は言語の壁により、これらのデータベースでの可視性が低く、結果として被引用数が伸び悩む傾向が強い。このような構造的な問題により、和文論文誌は「発表しても評価につながりにくい」と認識されがちで投稿数の減少につながっている。
しかしながら、このような状況下においても和文論文誌の存在意義は決して失われているわけではない。とりわけ、日本の産業界においては応用研究や実務的な技術開発の成果を日本語で明確かつ詳細に記述・共有する場としての和文論文誌の役割は大きい。企業の研究者・技術者にとっては、母語である日本語で専門的な知識を整理し、自社の技術に応用することが可能な論文は実務的価値が非常に高い。また、機械工学分野においては日本独自の技術や知見が多く蓄積されており、それらを整理・体系化し次世代へ継承するためにも和文論文誌は欠かせない存在である。そのため、和文論文誌は単なる「過渡的な役割」を果たす媒体ではなく、日本の技術文化の基盤として位置付けるべきものである。
こうした認識のもと、本会では和文論文誌の再活性化に向けてさまざまな取組みを進めている。例えば、新たな論文カテゴリーとして「機械工学レター」を創設し、企業の研究者などが技術的に有益な知見を手軽に報告できるようにしている。これにより、原著論文としての要件を満たさないテーマであっても、価値ある技術情報を広く共有する場を確保している。さらに、学術講演会での発表内容をもとに原著論文への展開を促進する仕組みを導入し、講演会と和文論文誌との連携を強化している。また、J-STAGEなどの電子プラットフォームを活用し検索性や可視性の向上にも取り組んでおり、アブストラクトやキーワードの英語化といった対応も行っている。
今後もこうした施策を継続・強化することで、「日本機械学会論文集」の新たな価値を創出し、掲載論文数の安定的な増加と国内外における存在感の向上を目指していきたい。
学術誌編修部会
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