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機械工学年鑑2020
-機械工学の最新動向-

23. 法工学

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章内目次

23.1 法工学のこの一年
23.2 意匠法改正と機械工学
 23.2.1 特許法と意匠法/23.2.2 意匠法改正の概要/23.2.3 企業活動における意匠制度の活用/23.2.4 画像意匠公報検索支援ツール
23.3 業務上過失事件裁判例研究会
 23.3.1 業務上過失とは/23.3.2 業務上過失の主体/23.3.3 犯人捜しの視点/23.3.4 予想される成果
23.4 安全と法工学に関する話題について

 


23.1 法工学のこの一年

 「法律と工学の境界領域」という分野に於いては,2019年度は様々なトピックスが豊富であった年であると思われる.

 先ず最初に紹介する事案は「大川小学校事件」である.これは2011年3月11日に発生した東日本大震災による大津波により,避難途中の石巻市立大川小学校の教員10名と児童72名が死亡した痛ましい事故である.死亡した児童23名の父母が石巻市と宮城県に対して国家賠償法に基づく損害賠償を求めた事案だが,最高裁は2019年10月11日までに県と市の上告を退ける決定をした.本件では,地裁・高裁・最高裁とも,自治体側に同法による損害賠償を認めており,頷ける判決だと思う.詳細は省略するが,本件は国家賠償法に基づく損害賠償裁判であるため,公務員の「不法行為」があったため賠償を認めるという理論構成が必要であり,「不法行為」が同校の教員等にあったと云う論理で判決がなされたと思われる(1)

 機械工学関係の複雑なシステム事故(例えばプラント・航空機・鉄道事故等)の場合でも,事前に全てを網羅する明確な安全基準等の作成が困難であるケースが多いと思われる.既存の「マニュアル・ツール」では事故の対応をカバー出来ない状況で,努力を尽くしたが失敗した「現場管理者」に,どの様な考え方で責任の所在を求めるかは極めて難しい課題である.例えば,同じ東日本大震災の大津波では,避難誘導の失敗事例として上記大川小学校の事例が挙げられるが,成功事例として,JR東日本仙石線の高台で被災した車両から,指令の指示で近くの避難所に乗客を誘導しようとした乗務員が,ここにいる方が安全だという地元乗客のアドバイスにより車両に留まることを決断し,結果として被災を免れたという事例があり,「しなやかな現場力」の代表事例として知られている(2)

 しかし,万一,失敗した場合にはどの様な対応になるのであろうか.犯人探しよりも事故の再発防止が優先されるべきであり,想定を超えた事故に対し,最善の努力を尽くしても万一失敗した場合には,結果だけに基づく過度の事後批判は遠慮すべきではないかという,素朴な考えを持つのは筆者だけではないと思う.想定外の事故への対応として,安全工学におけるレジリデンス・エンジニアリング的な取扱いと共に,法的な側面での検討も今後は必要であると思われる.

 また,2019年9月19日には,福島原発事故を巡り検察審議会の議決によって強制的に起訴された東京電力の旧経営陣3人に対する東京地裁の判決があり,「巨大な津波の発生を予測できる可能性があったとは認められない」として,3人全員に無罪を言い渡した.本件は控訴中でもあり詳細は省略するが,「組織の責任」と「個人の責任」のあり方について,広く考えさせられる事案であり,今後の推移が気になるところである.

 次のトピックスとしては,2016年度の年次大会の市民フォーラムにおいて,法工学専門会議が近未来リスクとして自動車の「自動運転」についての「模擬裁判」を企画したが,2019年の道路交通法・道路運送車両法等の改正で,「レベル3(条件付き自動運転)」に関係する法令が整備され,いよいよ2020年4月1日から施行されることになった(3)

 道路交通法改正のポイントは「自動運行装置による走行も【運転】と定義」「自動運転装置を使う運転者の義務(警報作動等の場合に直ちに運転に復帰する等)」「作動状態記録装置による記録の義務」が挙げられている.一方では,「運転者の義務」に関しては,政府広報のイラストにあるように,自動運転中の飲酒・睡眠等の行為の禁止以外に,パブリックコメントでは直ちに運転に復帰出来ることを条件にスマホ・TV等の操作等を容認している.「直ちに復帰」に関する個人の解釈には差があるのも事実だと思います.

 現実に2018年3月18日にアリゾナ州で発生したウ―バー社の自動運転テスト中の車両が起こした事故(夜間自転車を押して車道を横断した女性と衝突して死亡させた)では,自動運転システムの完成度不足による認知の遅れという側面もありますが,運転者は終始スマホを見ており,運転状況やシステムの監視を怠ったのが事故の主原因と報告されている(4)

 自動運転システムの完成度は関係者の努力により逐次改良されていくが,「人間系」が機械を過信し「この位なら良いだろう・・」という注意疲れ(又は故意)による手抜きは簡単には無くならないのではないだろうか.2020年4月よりレベル3の市販車の導入が可能となりますが,法的な側面も含めて,人間・機械系の慎重な取扱いと,実績を踏まえた制度のブラシュアップが望まれる.

 知的財産分野においても,2019年5月17日に公布された「特許法等の一部を改正する法律」が,2020年4月1日から施行された.改訂のポイントは「査証制度の創設」と「損害賠償額算定方式の見直し」である.前者は従来から製法特許等の「方法の発明」に関しては,侵害の情報収集が困難であったことに鑑み,第三者の査証人による現地調査・証拠収集を可能にする「査証制度」を創設することにある.後者は従来からあった「事業者の生産・販売能力の範囲内での損害額」に加え,「ライセンス料相当額」を加算して請求出来るようになった.詳細は省略しますが,興味のある方は是非情報収集されることを推奨する(5)

〔中村 城治 中村技術士事務所〕

参考文献

(1)板垣勝彦, リスク社会と行為規範の設定――大川小学校の惨劇が遺したもの, ジュリスト2020年3月号 No.1542, PP.98~103.
(2)芳賀繁, しなやかな現場力を支える安全マネージメント, JR EAST Technical Review-49 2014年秋号
(3)政府広報オンライン ついに日本で走り出す! 自動運転“レベル3”の車が走行可能に 2020年3月31日
(4)事故は語る ウ―バーの自動運転車事故 ずさんな安全管理と「設計の欠陥」, 日経ものつくり, 日経BP, 2020年1月号, PP.76~81.
(5)特集 2019年知財法改正の論点, ジュリスト, 有斐閣, 2020年2月号, PP.12~44.

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23.2 意匠法改正と機械工学

23.2.1 特許法と意匠法

 機械技術者にとって,「特許制度(実用新案制度を含む.以下,同じ.)」は,開発・研究・生産等を進めていく上で当然知っておかなければならない制度であるし,また避けては通れない制度である.実務でも関与している方も多いと思う.これに対し,「意匠制度」については,知ってはいても意識して利用したことのある方は少ないかもしれない.機械技術者にとって,意匠制度は特許制度と共に,新しく生み出された工業製品について第三者による模倣を防止するという点で近似した制度であり,いずれも産業立国である我が国においては重要な制度である.

 意匠制度は,新しく創作した意匠(デザイン)を財産として保護することで,健全な産業の発展を目指すことを目的とし,1888年(明治21年)に制定された.意匠法上の意匠は「物品の美的外観」であり,「美的外観」には「造形美」を含むことはもちろんのこと,実務上においては,使い勝手のよい形態,すなわち「機能美」も含まれていることから,様々な工業製品の美的外観が意匠法によって模倣から保護されてきた.工業製品である「自動車」等は美しい外観と機能美を兼ね備えているという点で意匠の典型例かもしれない.

 意匠制度においては,保護対象が「物品の美的外観」であることから,「技術的思想」を保護する特許制度や,「業務上の信用」を保護する商標制度とは明らかに異なった制度であると捉えられてきた.しかしながら,近年になって,企業の活動が複雑化すると共に,技術が高度化していくと,意匠を創作することを通じて,新しい機能についてのアイデアが生まれたり,一貫したデザイン戦略をとることで,ブランドを構築したりする場面も出てきた.このように意匠についても企業戦略上重要な地位を占めるに至った.

23.2.2 企業活動における意匠制度の活用

 こうした近年の動向に十分に対応するため,令和元年5月に意匠法の抜本的な改正が行われ,令和2年4月から改正意匠法が施行された.なお,これに伴い意匠審査基準も改訂されている(1)

 意匠法改正の大きなポイントは,「保護対象の拡充」及び「関連意匠制度の拡充」の2つである.「保護対象の拡充」については,保護対象が従来の有体物である「物品」から,無体物である「画像」,不動産である「建築物・内装」まで拡がった.保護対象が拡大したのは,意匠法が明治時代に立法されてから初めてのことであり,大変革であるといえます.「関連意匠制度の拡充」については,シリーズ製品に関して,後出しして登録できるデザインの範囲とその出願時期が拡張された.

 改正のポイントのうち,機械技術者にとって注目すべきものは,「画像」が保護対象になった点である.実は,改正前にも「物品の操作の用に供される画像」は保護対象であった.例えば,DVDレコーダを操作する場合にテレビ画面上に表示され,リモコンでアイコンを選択することによって特定の操作が実行される場合のアイコンの画像は保護対象となっていた.今回の改正により,保護対象となる画像の範囲は「機器の操作の用に供されるもの又は機器がその機能を発揮した結果として表示されるものに限(る)」と規定された.その結果,自動車のウインカーを操作した結果としてプロジェクションマッピングの技術によって路面に矢印が表示されるようにした場合,その矢印に意匠的な装飾性があれば矢印の形が意匠として保護される場合もあり得ることになる.この改正は,産業界からの強い要望を受けてなされたもので,技術の進歩が法改正を促した事例として注目すべきものである.

23.2.3 法制化の断念

 対比される工業製品において機能に大きな差が無い場合,一般消費者は工業製品の外観を見て購入の判断を行うこともあり,意匠が市場において果たす役割は益々大きくなっています.一方,医療機器のように特定分野の専門家が使用する工業製品についても,その傾向が強くなっている.これは,デザインには,造形美や機能美に加え,製品やサービスを利用する人々の体験全体を心地よいもの,魅力的なものにする役割を持つと考えられるからである.言い換えれば,デザインは,人を起点とする価値創造・問題解決の手段としての機能をも有すると言える(2)(3)

 従来から工業製品を機能面から捉えて特許出願すると共に,外観面から捉えて意匠登録出願することで多面的な保護を図ることがありましたが,今回の改正により,「画像」や「建築物・内装」も保護対象となったことから,範囲が広がったことになる.例えば,携帯端末や測定装置の表示画面に表示される画像が機能と結びつくことで使い勝手が向上する場合や,建築物の補強構造について新しい機能と共に外観に統一感を有する場合においても,特許出願と意匠登録出願を行うことができることになる.

 このように企業の知財戦略の幅も広がってくることから,新しい開発や製品を出す際には,特許はもちろんのこと,意匠についても検討することが重要である.

24.2.4 画像意匠公報検索支援ツール

 意匠の検索方法は特許の検索方法とは全く異なるものであり,厳密な検索は専門家でなければ難しいものです.このため,簡易な検索を行うため,特許庁は2015年10月より独立行政法人・工業所有権情報・研修館によって画像意匠公報検索支援ツール「Graphic Image Park」の提供を開始した.この「Graphic Image Park」を使えば,専門知識がなくても,創作画像をアップロードするだけで,意匠公報に掲載された画像と機械的に照会することができ,簡易的な調査を行うことができる(4)(5)

〔伏見 靖 産業技術大学院大学〕

参考文献

(1)平成31年3月1日に「特許法等の一部を改正する法律案」として閣議決定され,令和元年5月10日に可決・成立し,5月17日に法律第3号として公布された.
(2)経済産業省クールジャパン政策課デザイン政策室『デザイン政策ハンドブック2018』2018年4月
(3)経済産業省クールジャパン政策課デザイン政策室『デザイン政策ハンドブック2020』2020年3月
(4)画像意匠公報検索支援ツールの提供(独立行政法人 工業所有権情報・研修館)
http://www.inpit.go.jp/info/graphic-image/index.html(参照日2020年3月31日)
(5)Graphic Image Park 画像意匠公報検索支援ツール
https://www.graphic-image.inpit.go.jp(参照日2020年3月31日)

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23.3 業務上過失事件裁判例研究会

23.3.1 業務上過失とは

 刑法211条は,「業務上必要な注意を怠り,よって人を死傷させた者は,5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する.重大な過失により人を死傷させた者も,同様とする.」と規定している.この規定が,一般に「業務上過失致死傷罪」及び「重過失致死傷罪」と呼ばれている犯罪の根拠となる規定である.
 広い意味でのミスによって人の死亡又は傷害という結果が発生した場合,そのミスが「業務上必要な注意を怠り」に該当するか否かが問われる.そこで,「業務上必要な注意」の内容が問われることになる.
 刑法は,故意による犯罪を処罰することを原則とする.過失犯の処罰は例外である(刑法38条).例えば,刑法199条は,「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する.」と規定している.犯人(刑事手続の間は被疑者又は被告人)の行為が「人を殺した」と評価できる場合にはこの規定により殺人罪になる.しかし,人を殺す故意がなく,単に,人を脅そうとしてナイフを振り回したと評価されれば,殺人罪にはならない.通常,ナイフを振り回した行為に人を傷つけることを認容する意思があったと評価され,傷害の限度で故意が認められ,刑法205条の「身体を傷害し,よって人を死亡させた者は,3年以上の有期懲役に処する.」という規定によって「傷害致死罪」として処罰される.
 刑法理論における過失犯の理論は,いかにして「故意」を「過失」に置き換えるかという観点で発展してきた.そして,「故意」が結果に向けた意思,少なくとも結果の認容を意味することに対応して,結果の予見可能性を「過失」ととらえる考え方が定着した.その結果,ある行為が「業務上必要な注意を怠り」と評価されるためには,業務者たる行為者の立場において,注意すれば結果を予見することができたにもかかわらず,結果の予見を怠って人の死傷の原因となる行為を継続したこと,あるいは,人の死傷という結果を避けるべき行為を怠ったことをもって「過失」を認める.このような論理で「過失」が認められると,結果を引き起こした行為が「業務上の注意を怠った行為」として評価される.
 以上が,業務上過失の意味である.

23.3.2 業務上過失の主体

 刑法犯としての業務上過失致死傷罪の主体は個人に限られる.法人や団体は処罰の対象とはならない.
 しかし,現実に起きる事故では,原因を特定の個人の行為に帰着することは困難な場合が多い.それでも,大きな事故や,世間の注目を受けた事故の場合には,警察は業務上過失致死傷事件として捜査をせざるを得ない.
 これに対して,民事事件の場合には,必ずしも原因を特定の個人の行為に帰責する必要はない.被害者と損害賠償義務を負う可能性のある法人又は団体とを比較して,不可抗力として被害者に損害を甘受させることが妥当でないと判断されれば,当該法人又は団体に損害賠償義務を負わせて被害者を救済することになる.したがって,民事事件では責任が認められ,刑事事件では責任が認められないという事態は法の想定していることである.もっとも,刑事事件で責任が認められたにもかかわらず,民事事件では責任が認められないということは異例の事態であって,いずれかの判断が誤っていることが疑われるのは当然である.
 以上のとおり,刑事事件では特定の個人の責任が問われる.その結果,複数の者が関与している事故の場合には,誰の責任を重視すべきか,誰に予見可能性があったか,という問題が生じる.

23.3.3 犯人捜しの視点

 業務上過失致死傷罪を処罰することについては,関係者の守秘義務や黙秘権の存在によって再発防止のための事故調査に支障をきたすことが指摘されている.しかし,被害者にとっては,「犯人」が突き止められ,起訴されることで慰藉される面も無視はできない.
 ところが,過去の裁判例を見ると,「犯人」を誤ったと思われる事件が散見される.これは,事故が起きた場合には,いわゆるスイスチーズモデルで説明されるとおり,複数の要因が重なって起きていることに理由がある.
 法律家が因果関係を論ずる場合,単なる条件関係と相当因果関係を区別する.例えば,「風が吹けば桶屋が儲かる」という因果関係は単なる条件関係である.しかし,仮に,ネズミが繁殖して家屋等に被害が及ぶ可能性を指摘されていたにもかかわらず,衛生当局が何もしなかった場合に,桶屋が儲かったのであれば,衛生当局の不作為と桶屋の儲けの間に因果関係があるという結論を一笑に付すわけにはいかないかもしれない.このような一種の価値判断を伴う因果関係が相当因果関係である.
 スイスチーズモデルで説明できるような事故の場合,スイスチーズのそれぞれの穴と結果の間には相当因果関係があると考えられる.さらに,それぞれの穴を放置することによって事故が起きることは予見可能であったと判断されることが多い.なぜなら,穴をふさぐことが安全対策として認められている以上,穴を放置すれば事故が起きる可能性を予見できるからである.
 しかし,相当因果関係と予見可能性で適切に「犯人」を絞り込むことができるであろうか.また,仮に,「犯人」を絞り込んだとしても,その「犯人」を処罰することが,再発防止のための一罰百戒の意味を持つだろうか.過去の裁判例を検討して,業務上過失致傷罪が再発防止に寄与しているか否かを探求することを目的として,法工学専門会議では業務上過失事件裁判例研究会を設置した.

23.3.4 予想される成果

 研究会で取り上げることを予定している22の事例から2つの事例を選んで略述することにより,研究会の方向性について述べておきたい.1つは,エキスポランドのジェットコースターの事故であり,もう1つはシンドラーエレベータの事故である.これらは,時間的変化によって不具合が生じたことが直接の原因である点,検査によって不具合を見過ごした可能性が問われた点の2点において共通する.
 エキスポランドの事件では,台車の疲労破壊が直接の原因であった.そして,安全検査に不備があり,営業を優先して安全検査を軽視したことが過失に問われ,相当因果関係も,予見可能性も認められ,取締役総括施設営業部長ほかが有罪になった(1)

 他方,シンドラーエレベータの事故では,ブレーキライニングの摩耗によってブレーキが効かなくなったことが直接の原因であった.当初,定期検査でブレーキライニングの摩耗を見落としたとして,メーカ系の検査会社と非メーカ系の検査会社の担当者が起訴されたが,一審では,メーカ系の検査会社の担当者は,検査時期と事故の間の期間が長く,予見可能性がないとして無罪になり,非メーカ系の検査会社の担当者は,検査時期と事故の間に9日間しかなかったことから,有罪になった(2).しかし,控訴審では,摩耗が非常に短期間で進むことを弁護側が示した結果,非メーカ系の検査会社の担当者も無罪になった(3).控訴審の無罪判決が下されたのは,2018年である.

 シンドラーエレベータの事故は2006年に東京都で起きたが,その6年後,2012年にも同型のエレベータでブレーキライニングの摩耗による事故が金沢市で発生した.石川県警は,最初の事故と同様に検査会社の過失を疑って捜査を進めた.しかし,2020年2月に至り,「処罰を求めない」という意見を付して事件を金沢地検に送致した.(4)東京の事件の無罪判決を受け,検査会社の担当者の過失を立証することは不可能であると判断したものと考えられる.
 エキスポランドの事故とシンドラーエレベータの事故の違いは,結論から見れば,疲労亀裂の進行する速さとブレーキライニングの摩耗の進行する速さの違いである.そのために,前者の場合には,検査によって亀裂が発見し得たとされ,亀裂を看過したことに過失があり,過失と事故の発生の間に相当因果関係があるという結論になったのに対して,後者の場合には,検査によって摩耗が発見できたとは限らず,摩耗を看過したことに過失があるとも,摩耗の不発見と事故の発生の間に因果関係があるとも言えないという結論になったのである.
 しかし,エキスポランドの台車の亀裂も,シンドラーエレベータのブレーキライニングの摩耗も,本来,起きないはずのものであった.法定点検の規定があるために,点検義務が容易に想定され,点検の不備と事故の因果関係が疑われて警察の捜査が行われたわけであるが,亀裂が発生するような設計,摩耗が発生するような設計の当否は問われていない.
 しかし,シンドラーエレベータの事故では,第1事故が2006年に起き,2009年には建築基準法施行令が改正され,停止中のエレベータを確実に停止するブレーキの設置が義務付けられている.もっとも,建築基準法の主たる規制対象は建築行為そのものにあり,既存の建築物の規制は例外的なものであるから,2009年以前に建築された建物には改正された施行令は適用にならず,金沢の事故を起こした建物にも適用されていない.しかし,2006年の事故の調査により,シンドラーでは,ブレーキライニングが摩耗するリスクがあり,それも,エレベータの法定の点検期間よりもはるかに短い期間で摩耗が進むリスクがあることが分かっていたはずである.それにもかかわらず,第2事故が発生したのはなぜなのか.
 第2事故の遺族は,「受け入れるしかない.原因がはっきりと分からなかったのが残念」とコメントしているとのことであるが,このような結果になった理由が関係者の守秘義務や黙秘権の存在にあるわけではないだろう.業務上過失致死傷罪を処罰するという制度を維持する以上,再発防止策と遺族を慰藉するという側面を両立させるために,機械技術者としてどのような貢献ができるかを明らかにすることは,研究会の究極の目標である.

〔近藤 惠嗣 福田・近藤法律事務所〕

参考文献

参考文献
(1) 平成21年 9月28日,大阪地裁判決,平20(わ)2167号
(2) 平成27年9月29日,東京地裁判決,平21(わ)2096号
(3) 平成30年3月14日,東京高裁判決,平27(う)2179号
(4) 時事ドットコムニュース https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022000623&g=soc

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23.4 安全と法工学に関する話題について

 2019年のトピックスとして,機械システムでの横浜の金沢シーサイドライン新杉田駅での逆走人身事故が起きたことと,労働災害における死亡者数について取り上げる.シーサイドライン新杉田駅での逆走人身事故では終着駅からの折り返し運転時に車両が逆走し,線路終端部の車止めに衝突して停止した.また,厚生労働省による2018年における労働災害死亡者数の確定値は909人となり,2017年には増加したものの再び減少となった.一方,この統計には含まれない農作業に伴う死亡事故があり,これについて述べる.

 金沢シーサイドライン新杉田駅での逆走人身事故では,まだ最終の事故調査報告書が公表されていないため憶測は控えたいが,これまでに運輸安全委員会から公表されたところでは,進行方向の指令を伝える配線の断線が見つかったことと,モーター制御装置の仕様で前進,後退とも無加圧の場合,直前の進行方向を維持する仕様であったことが分かっている.また,同じ信号線で後退検知機能の動作条件を作っており,指令信号の断線等で進行方向が不明な状態では動作しない仕様となっていた.断線の原因は,車両製造時の配線作業時より妻土台の金属部材と接触した状態となっており,運転中の振動により電線被覆が破れ短絡,断線に至っている(1)(2)
 システムの観点で見ると,信号線1本の断線という単一の障害発生で進行方向の反転を確認できず,後退検知機能も作動せずに逆走に至っている.レジリエンスの考え方では,環境の変化に対応し,要求された動作を継続するための能力を求められている.指令の伝達方法にて,エネルギーが高いことで情報を伝え,連続的に情報を受け取っていることを確認していれば,断線により信号を受け取れなくなった時点でそれ以上走行することはできず,停止に移行することができた.無加圧で信号を受け取っていない場合に,直前の進行方向を維持するのは内部記憶に頼っており,環境の変化に対応できなかった.安全系ではシステムを二重化しクロスモニタリングをする事が求められるが,本車両ATCでの後退検知機能の仕様はこれを満たしていない.異種冗長系を含めて線路終端部での後退検知による停止機能の整備推進が求められる.事故を起こした車両は2013年3月に新製されたものであったが,1989年の開業当初の車両において大きな不具合がなかったことから,ハザードに関する網羅的な検討,改良がなされなかった様である.運輸安全委員会の経過報告(2)では,「同社,車両メーカー,装置メーカーのいずれの関係者も今回のような『逆走』という事象の発生については想定していなかったと口述しており,車両に発生する可能性があるハザードの分析と対策に関し,網羅的な検討が行われていなかった.」と報告されている.システムは安全原則に従っておらず,調査報告書での更なる深耕により今後の事故防止に繋がることを望むが,断線,逆走という技術的な現象の原因調査にとどまることなく,ハザードを列挙し,網羅的に検討することについて,法律上,契約上,誰が責任を負うべきであったのか,その責任の所在があいまいになった理由は何かといった法工学的な検討も必要であると考える.

 さて,機械安全に関わる一員として,厚生労働省より毎年5月に公表される労働災害発生状況の数値に一喜一憂している.2015年に死亡者数が初めて1000人を切り972人となり減少傾向にあったが,2017年に再び増加したものの,2018年は909名と減少方向に転じた(表1)(3).しかし,実際にはここには含まれていない労働災害死亡者数がある.農作業に伴う死亡事故がそれである.2019年に農林水産省が発表している2017年度の農作業事故死亡者数(4)は304人であり,うち,農業機械作業に掛かる事故では211人となっている(図2). この集計は厚⽣労働省による「人口動態調査」に係る死亡個票等を用いて行われている.
 なぜこのようなことになっているのか,その理由は「農業(家族経営)は労働安全衛生法の適用外」という法の仕組みが原因である.農作業中に事故が発生しても届け出の義務がなく,死亡事故の集計も容易ではない.
 図1の2017年度の労働災害発生状況での死亡災害が978人であることから,農業機械作業に掛かる事故での死亡者数の211人はその2割に相当し,製造業による死亡者数160人を上回っている.また,図2に示した農作業中の死亡事故では65歳以上の高齢者が84.2%となっている.事故の発生原因を見ると,上位は乗用トラクターでの転落・転倒.歩行型トラクターでの挟まれ,同転落・転倒となっている.耕地やその経路の地形,天候による自然条件の影響を受けやすく,作業の中止等変動要因が大きい.そのため,天候悪化の前に作業を終えようとしたり,回復後のまだぬかるんだ状況での作業開始をしたりすることで被災している.

図1 労働災害死亡者数

図2 農作業死亡事故

 農林水産省の啓発資料「こうして起こった農作業事故」(5)によると,現在の日本における農業は個人経営体が約97%を占めている.小規模,家族経営のために,安全装備された農業機械が販売されても高価で費用の回収ができず,更新することは容易ではない.個人オークション等で中古機械の売買が容易になったこともあり,費用を抑えるために中古機械を購入することで安全対策の進んだ新規機械設備への更新が進まないことも考えられる.また耕地の6割が傾斜地で,施設は暗く,狭いままのものも多い.人的な面では,兼業化率が70%を超え,作業が休日に集中する.全体では,農業就業者は高齢者が主体で,65歳以上が70%を占める.前述の農林水産省の啓発資料を含めてWebサイトには事故防止に向けた有用な資料が公開されているが,被災されている高齢農業従事者の閲覧や活用は少ないと思われる.「人」「もの」「環境」のいずれもミスマッチの状態で状況が膠着している.
 この状況下での本質的な安全方策は困難であり,減災に向けての方策推進が望まれる.具体的施策の例として,中古乗用トラクターへの安全キャブ・フレームとシートベルトの装着推進,および片ブレーキ防止装置の装着推進ならびに事故報告の義務化が必要と考える.また,農業従事者への事故防止に向けた啓発資料の伝達も重要である.
 小規模家族経営の基幹的農業従事者が,営農の傍らで経営者としての義務を一手に引き受けるのは困難を極める.農業従事者は労働者としての認識で法令の枠組みに取り込こみ,支援を行わなければ統計の残る過去50年近くで毎年300~400人が農作業事故で亡くなっている状況は変わらないであろう.
 問題点は異なるものの,コンビニエンスストアの店長なども法の枠組みの中では労働時間など大きな課題を抱えている.

 以上全体を総括すると,いったん構築したシステムに対して少子高齢化を含めて社会環境が大きく変化している.このような状況を踏まえ,今後の生活基盤に則し変化に柔軟に対応できる社会システムの再構築を推進するよう法制度の早急な見直しが望まれる.

〔今枝 幸博 村田機械(株)〕

参考文献

(1)株式会社横浜シーサイドライン新杉田駅において発生した鉄道人身障害事故に関する情報提供, 運輸安全委員会,令和元年6月14日
https://www.mlit.go.jp/jtsb/iken-teikyo/seasideline20190614.pdf(参照日2020年2月9日)
(2)鉄道人身障害事故調査の経過報告について, 運輸安全委員会,令和2年2月27日
https://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/keika20200227.pdf(参照日2020年3月11日)
(3)職場の安全サイト, 厚生労働省
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/tok/anst00.htm(参照日2020年2月9日)
(4)平成29年に発生した農作業死亡事故の概要, 農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/attach/pdf/index-3.pdf(参照日2020年2月9日)
(5)こうして起こった農作業事故~農作業事故の対面調査から~(事故事例集)こうして起こった農作業事故4
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_kikaika/anzen/pdf/04-404.pdf(参照日2020年2月9日)

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