一般社団法人 The Japan Society of Mechanical Engineers

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No.154 Engineeringは工学,Engineerは工学者?

2016年度(第94期)会長
岸本 喜久雄(東京工業大学 環境・社会理工学院長)


日本の工学教育は,明治政府の官庁であった工部省が1871年(明治4年)に設置した工学寮にはじまるとされています。英文名はImperial College of Engineeringです。初代都検(実質的な校長)を務めたHenry Dyerら9名の外国人教員の来朝を待って1873年に開校しています。当時,工部省の職務として「百工勧奨ノ事ヺ掌リ」とあるように,engineeringに当たる用語としては「百工」などが用いられていたようですが,engineeringに「工学」という造語を付して,学問としての権威付けが行われたのはこの頃からのようです。「工学字彙」(1886年)に英語 engineering の訳語として「工学」が掲載されています。ちなみに,energyは「勢」と訳されています。続いて「勢いの保存」,「活勢」,「伏勢」などの訳が並んでいます。全ての用語に日本語を付けるという先人達の努力に敬服します。

さて,現在では,「工学」は,例えば,国立八大学の工学部を中心とした「工学における教育プログラムに関する検討委員会」の文書(1998年)では,「工学とは数学と自然科学を基礎とし,ときには人文社会科学の知見を用いて,公共の安全,健康,福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。」として,学問としての定義がなされています。一方,英語のengineeringの方はengineerから派生したと言われており,”The action, work, or profession of an engineer”や”The activity of applying scientific knowledge to the design, building and control of machines, roads, bridges, electrical equipment, etc.”がその説明として辞書に載っています。学問というよりも,専門職業人あるいは,ものづくりを成し遂げるための能動的な行為としての意味合いになっています。英語と日本語とで違いがあるように思えます。

ところでHenry Dyerは25歳の若さで来日しています。彼は,来日の船中でカリキュラムを模索し,教養教育,専門学理の教育,実践教育を組み合わせた6年制の当時世界に類を見ない独自の工学教育プログラムを作り上げました。その教育方法は大きな成果をもたらし,卒業生達は日本の近代化に大きな貢献を果たしています。Henry Dyerは我が国の工学教育の基礎を築いた恩人といえます。帰国後,彼は日本滞在の体験と膨大な資料をもとに,”Dai Nippon, the Britain of the East, a Study in National Evolution”と題する著書を1904年に出版しています。この本は約一世紀を経て,『大日本 技術立国日本の恩人が描いた明治日本の実像』(平野勇夫訳)として日本語に翻訳されています。明治日本の発展を日本への深い理解を基に詳細に記述しています。以下に,いくつかの箇所を訳書より引用します。

日本人の発明の才については,例えば,機械工学のさまざまな分野でも,かなりの進歩を遂げているとして,「機械工学の場合,世界を見渡してみても主要な機械の設計はすべて本質的には同じなのであって,特殊な状況に合わせて細部の設計にさまざまな違いがあるにすぎない。そういう細部の設計の独創性という点で,日本の技術者は何ら欠けるところはない。欧米の工学技術が生んだ機械の設計を日本の状況に合うように手直ししただけでなく,多くの点でそこに明確な独創性を加味している。」と評価しています。

さらに,日本の将来については,「いまや日本人は,世界の工業国が例外なく直面する多くの問題に直面している。望むらくは,日本人が教育全般の組織をさらに整備し,いくつかの点で欧米の諸国に手本を示すとともに,さらに一歩進めて,社会のすべての階層の福祉と工業を結びつけることが可能だいということを実証してもらいたいものである。」と期待をこめて注文しています。そして,「願わくは,日本が西欧を代表するイギリスのことをそっくりまねしようとしたりしないでほしいものだ。とりわけ,<国内製品の品質の向上に熱心なあまり,ついにはまったく金儲け本位の製品を作り出すようなことにならないかどうか>について,よくよく思いをめぐらしてほしい。それが結局,日本のためになるはずである。」と指摘し,「日本が抱える将来の課題とは-欧米の文明の長所をいかにして余すところなく利用するかに全力を傾注する一方で,日本固有の特質はあくまでも保ち続け,それを他国の特質と有機的に調和させるようにすることである。日本のこれからの繁栄は,この課題を解決できるかどうかにかかっている。」と述べています。明治以降の我が国の歴史を振り返ったとき,我々日本人は残念ながらHenry Dyerが提示した課題を解決できていないように思われます。この課題は,グローバル化が叫ばれる現代において解決すべきことのように思えます。

さて,engineeringを「工学」と訳出したことで,我が国では学術としての位置付けが明確になって,工学部は他国に先駆けて大学のなかで主要な地位を占めることができたと言えます。一方では,実践的活動としての意味が希薄になり,大学教育においては欧米とはやや異なった方向に進んでいった要因になったのかも知れません。2005年の日本技術者教育認定機構(JABEE)のワシントン協定への加盟時に,審査チームから日本の工学教育の弱点として,「理論に重きを置き過ぎていて,エンジニアを育てる教育をしていない。エンジニアリング・デザイン教育が弱い。」との指摘を受けました。2012年の継続審査では,この点に関してのJABEEの取り組みやJABEE認定プログラムの先生方の努力が評価されましたが,さらに,チームワーク力の教育については,Multi-disciplinaryなチーム構成になっていない,国際化が十分でないと指摘を受けています。これは,日本の工学教育のこられからの課題です。現在の大学教育への期待は「何を教えるか」よりも「何ができるようになるか」に力点が置かれるようになってきています。「何ができるように」なれば良いのか,学修到達目標をどのように設定するのか議論が大切になっています。Engineeringは工学なのか。もう一度原点に戻って考えると良いのかも知れません。

あらためて,日本機械学会の英文名はThe Japan Society of Mechanical Engineersです。英文名は「機械工学の学会」ではなく,機械エンジニアの団体です。本会創立の提唱である眞野文二は,英国を訪問した際にInstitution of Mechanical Engineers (IMechE)の権威と会員であることが学位以上の尊敬を与えられていることに驚嘆したとされています。本会の設立に当たってIMechEにならって英文名はMechanical Engineersとし,日本名は,当時の状況を反映して機械学会としたものと推察されます。会員資格については,IMechEにならって学識と実施経験の両方を具備するものを目標にしたようですが,それが困難であったことから「機械学芸に関し学識または経験のある者」を正会員資格としたとされています。これを「または」でなく「と」にしていたら本会はどのような姿になっていたでしょうか。Engineerに当たる日本語は工学者でしょうか。「工学字彙」(1886年)では工師となっています。技術者,技師などの言い方もあります。明治期にengineeringが我が国に入って来て,これまで,「工学」として発展してきていますが,このことは,「日本固有の特質はあくまでも保ち続け」る,ということなのでしょうか。みなさんはどのように考えますでしょうか。