TED Plaza
熱工学におけるバイオ研究
人体の冷凍保存

高松 洋
九州大学 大学院工学研究院
機械工学部門

 1997年10月より施行された臓器移植法に基づいて,日本で行われた脳死患者からの心臓移植は,2007年末の時点で49例だそうです.ところが,アメリカでは1980年から2007年までに何と4万8千例があり,ヨーロッパでも3万人以上の人が心臓移植を受けています.さらに,腎臓,肝臓,肺,膵臓の移植を受けた人の数は,生体移植を含めると,欧米と日本でこの28年間に70万人以上に上ります.他人の臓器のおかげで生きている人たちがいかに多いかあらためて思い知らされます.なお,1999年からの3年間に世界で心臓移植を受けた人の72%が5年以上生存し,これまでの最長生存例は27年11ヶ月だそうです.

 脳死患者からの臓器移植が日本で初めて行われたのは1999年2月ですから,その時の様子がテレビで流れていたのを記憶されている方も多いでしょう.印象的だったのは,医者が,魚釣りやバーベキューに行くのと同じアイスボックスを肩からぶら下げて足早に自分の病院へと向かう姿でした.心臓の場合は,ドナーから心臓を取り出してレシピエントに移植するまでの全ての作業を4時間以内に終わらせなければなりません.ですから,脳死の判定,摘出手術,運搬,移植手術をうまく連携して行えるかどうかが成否の鍵を握っています.いつ,そのような事態が発生するかは予め予測できないわけですから,これに携わるお医者さんは大変だと思います.

 そこで,この4時間が8時間に,8時間が16時間に伸びたらどれほどいいだろうかと考えるのはごく自然です.凍結保存の研究の目的の一つはここにあるのですが,残念なことに,凍結保存臓器の移植例はありませんし,ある程度の大きさの臓器を凍結保存できた例もありません.臓器はいろんな種類の細胞から構成されており,凍結による障害が最小限になる最適冷却速度がそれぞれの細胞種によって異なること,そして,臓器に不可欠な血管の内側を覆っている内皮細胞が凍結に対して脆弱であることが主な理由です.数センチ~数十センチある臓器を一様に冷却することが困難であるという伝熱の問題も主な理由の一つです.今後の研究に期待したいところです.

 ところが,アメリカでは人間がまるまる凍結保存されているのです.2002年7月に亡くなったメジャーリーグの往年の名選手Ted Williamsの遺体が凍結保存され,火葬か凍結保存かの論争が遺族間で法廷闘争にまで発展したのでご存知の方も多いでしょう.彼が眠っているのは,アリゾナ州にあるAlcorLife Extension Foundationという財団です.ここでは,2008年1月末の時点で既に78名の人が凍っています.もちろん,タダでは凍れません.凍結してもらうのに15万ドル支払わなければなりません.頭部だけなら8万ドルです.そのほか,生きているうちにメンバーになり,死ぬまで年会費も払い続けなければなりません.では,何のために高額の代金を支払って凍るのでしょう.それは,やがて科学がさらに発達し,十分に期が熟したときに解凍してもらって生き返るためだそうです.現在,842名の会員がいるとのことです.別に異常者の集団ではないようです.しかし….これは,生きている人の保存ではありません.したがって,脳死の死人が生き返る技術が必要です.より重要なのは,既に凍っているのですから,勝負が今の技術で半分以上決まってしまっていることです.臓器の凍結保存ができていない今の技術で….科学技術が非常に進歩した未来,「地球上が人で溢れかえっている中で,いったい誰が金持ちのアメリカ人を解凍するのか?」といったアメリカの教授の言葉を待つまでもなく,結果は見えていると思うのですが….世の中,広いもんです.

 ところで,液体窒素の中に放り込まれて凍った金魚が水槽の中で泳ぎ始めるのを見たことがある方もおられるでしょう.あの場合,残念ながら(?),金魚は中まで凍ってはいません.それどころか,しばらくすると泳いでいた金魚もかわいそうに死んでしまいます.

表面が凍ったダメージのせいで….南無….

(「伝熱」2005年44巻184号27頁コラム原稿を改変)