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The Compass に途をきく

日本機械学会東北支部長
永井伸樹

 コンパスは羅針盤である.しかし機械工学を学ぶ者には製図のコンパスが先ず頭に浮かぶ.学生時代コンパスで円を描くのが苦手であった.気を静めでゆっくりと描いていっても途中で手が震え.たちまち中心が外れてしまう.半径数ミリの場合はもっと悲惨で満足な形にもならない.線の太さは揃わないし,円と直線の接続もままならない.卒業後も製図をする機会が多かったが,コンパスを吟味し,鉛筆を変えてみても,依然として不器用である.機械屋としてきれいな図を描けないのが残念であった.
 しかし教壇に立って学生に工学を教え,また研究設計で図面と向い合うようになってから,次第に製図に対する考えが変わってきたのを覚えている.試作実験の場合,円をどこに描くか,なぜ3ミリなのか,2ミリでは駄目がなど,考え考えひんぱんに製図しながら実験を繰り返しているうちに,線の不揃いもあまり気にしなくなってしまう.試作の意義と目的そして設計者の個性が明確に図面に表現され,円が実物になることの重要性がはっきり認識されるようになるのである.そして実験が成功したときの喜びは例えようもないほどである.
 自然現象を観察していると,液体だけでなく固体やガス体の形状にも球体が多いことに気がつく.雨滴,飛沫,地球,天体がそれである.球体をグローブという.地球はザ・グローブである.大自然の意志が科学的原理を作り出し,コンパスで大小さまざまな円を描いて,種々の品質の球体を仕上げていったのだろう.この自然の原理を羅針盤にして,われわれは同じように白い紙に製図し,人間の生活を豊にするべくグローブを創造し利用してきた.エンジンの燃料噴霧に,粉体製造にそして多くのすぐれた工業製品にである.
 しかし最近多量のエネルギー消費に伴う地球温暖化や酸性雨が問題視されるに及んで,人類は地球環境の保全を真剣に考えるようになった.グローバルな問題とは地球の問題を意味する言葉になった.コンパスで地球を描き,さらに大気圏を二重三重に同心に描いて環境破壊の現状が説明されている.過去の羅針盤の針はあちこちと方向を変えて見定めにくい状態である.先端技術への挑戦とともに,環境保全は20世紀末に解決しなければならない最大の課題となってしまった.
 創造に参加できる機械技術者としてわれわれは,コンパスを手にしてどんな地球を製図し,また新しい羅針盤をつくろうとしているのだろう.

(東北大学工学部精密工学科 教授)



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