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題目 青春1ページ

鶴岡工業高等専門学校 機械工学科 5年
             本 間  豊

 私の学校生活において、充実感と満足感とでいっぱいな事は何を差し置いても、ラグビー部の事です。はじめ自分達がこの学校(鶴岡高専)に入学した時には、ラグビー部のラの字も聞かずとにかくどこかのクラブに入部の必要性に迫られ、ついつい嫌々ながらも中学でややっていたというだけの理由で、剣道部に入りました。しかし前々から気付いていたことだったが、自分の運動能力は剣道向きではなく何か別の所で活かせるのではと考えていました。そんな所に4年の先輩からラグビー部を作ってみないかと言う誘いが来ました。最初の内はルールが難しくおまけに週に2回しかグランドが使えず全然面白くなくいいかげんな気持ちでやっていました。そんな事をしているうちに1年が過ぎようやく学校側から愛好会という形で認めてもらい、さあやるぞと思った矢先に先輩たちが卒業研究という事で全然部活に出てもらえず何をやっていいのかわからないし数少ない部員もあまり出てこないで、時には自分1人でグランドでボール蹴りをやった日もありました。それでもどこか先輩に頼っていた所があったせいか個人的に勉強をせず何も分からないまま3年になってしまった。それからようやく後輩が入りそこで慌てました。今までと違い頼る側から頼られる側へと代わったからです。自分の知っている知識だけでは限りがありとても下級生には教えられず、それから買ってきた数冊の本を毎日のように繰り返し繰り返し読みビデオも何十回も見ました。それによりどうにか部活のメニューを遣り繰りしていました。そうしているうちコーチもつき、色々な練習方法を教えて貰い『さあこれからだ』と思ったものの始めの数カ月は真面目に来ていた1年生も次第に来なくなりついには自分とキャプテンと後輩の3人とお決りのメンバーが出来上がってしまいました。どうして来なくなったのか自分たちの教え方が下手なのか、試合ができないからか、それともラグビーそのものの魅力がまだ分からないのかとかなり悩んでご飯も食べられなくなった時もありました。そうしているうち1年が過ぎ自分が4年生の春ようやく鶴岡高専ラグビー部の初試合が決りました。それからというもの今まで来なかった部員も来て途端に部が活気付きました。そして遂に試合の日が来ました。その時私は残念ながらも腰痛でドクターストップがかけられ脇で応援することになりました。そして試合が始まり対戦校の圧倒的な強さにガックリと肩を落としました。まずスクラムは押されるしスタミナ切れでとことこ歩いているヤツはいるこんなのでは負けるのは当り前試合前だけ部活に出て一生懸命になって、ごく1部の優れた人間と運で勝てるような半端なスポーツではないことをまざまざと見せ付けられたような気がしました。それからもそんなに直ぐに力が付くはずもなく1点も取れない60対0位のゲームが続いた。そして89年10月10日対秋田高専この試合も前半からトライの山でまた1点も取れずに負けるのかと思いつつも後半最後の数分と言う所で敵のペナルティーからチャンスをつかみ、自分の所にボールが来て敵のスキを突きチーム初トライ。この時恥ずかしいがらも極1部の連中と影ながら嬉し泣きをしました。それから1年大学受験のテスト勉強と卒業研究の合間一生懸命練習をしました。しかしながら今年の東北大会は豪雨の中の試合で惜しくも2トライされ8対0で負けてしまい5年間にわたる高専でのラグビー人生にピリオドが打たれました。この5年間で何度もつぶれかけたり、初トライや初勝利したこと、テスト勉強を捨ててまで練習したこと、皆でおもいっきり悔やし泣きをしたことを二生忘れる事なくこの何もない状態から今の立派なラグビー部を造ったことを誇りに思いこれからの人生の糧としていくだあろう。


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