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 シンタックス・エラー
 − 専門外から学んだこと −

 一関工業高等専門学校機械工学科4年
             佐藤 順子

 平成4年,9月。前期末試験を5日後に控えている、という少し過酷な条件下で、私の所属する地元の素人劇団の、おそらく最初で最後の公演が行われた。
 高専の機械工学科、と言えば、まるで理数人間の集団のように世間様からは思われているようだが、趣味として理数系以外のものを持っ人は割と居る。例えば、私のクラスにはクラシックCDの収集や、哲学や心理学の本を読むこと、楽器の演奏などの趣味を持つ人が居る。私もそんな理数以外の趣味を持つ人間の一人で、演劇は数ある趣味の中で近頃最も縁遠いものだった。今回の公演は、中学3年の文化祭以来、実に4年ぶりになる。
 劇の舞台は、350年前の宮城県北部の荒野。藩主の命令により、この地に堰を掘って田畑を開くことになり、工事一切を任された現場監督の若者が、希望、挫折、圧力に翻弄されつつも、ついには工事を成功させた、という筋書きである。私の役どころは、この若者と恋に落ちる村娘であった。劇中でも一、二の大役である。
 6月には練習が始まった。週に1回であった練習が、月が変わる毎に増え、主役クラスには個々に歌が与えられたので、別にボイストレーニングにも通わねばならなかった。夏休み中は日の出ているうちはアルバイト、日が暮れると10時半過ぎまで練習という毎日だった。さすがに嫌気が差し,段々能率も上がらなくなって来る。頭の片隅には、常に実験レポートのことがある。何度も、くじけそうになった。
 しかし、それを支えてくれたのは、周囲の人々であった。年齢は、小学校低学年から白髪の混じり始めた方まで、様々である。だが、その生まれも育ちも、生活のサイクルすら違う人々が、演劇の成功という一つの目標に向かって突き進む姿は不思議であり、感動的でもあった。
 月日は、あっという間に過ぎ去り、二日間の公演は、初日のラストシーンで私が転んだこと以外は大成功に終わった(しかし,とてもウケた)。千人の客席も立見が出るほどで、1幕だけ観て帰る予定だった県知事が、その後の予定を短縮して最後まで観て行くという、嬉しいハプニングもあった。
 初日の昼食中、私は偶然にも同じ中学出身で一関高専機械工学科を卒業されたスタッフの方と同席した。母校出身の高専生は数少なく、私以前は数年間居ないという状況なので、この30代と思われる大先輩と会うことは奇跡に近い。地元企業に就職して、こうして専門外のところで活躍されている先輩を見て、大変感銘を受けた。勉強以外に熱中することに少なからず罪悪感を持っていた私は、この時、つくづく演劇に参加してよかったと思えた。迷いが、消えて行くのが分かった。
 公演が終わり、定石通り打ち上げがあった。その席で、地元高校の現国教師である監督と話す機会があった。そこで監督は、文系と理数系の考え方の違いについて面白い意見を語って下さった。例えば、「その台詞はもっとボルテージを上げて」という指示に対し、文系は感覚的な反応を示すのに、理数系は先ず、計算するというのである。私には、感覚的な反応というものがどういうものか良く分からなかったが、計算する、というのは分かるような気はする。確かに私は、ボルテージを10段階に分けてツマミで調節するようなことを、本当にしていたのだ。
 こういったことを書いたのは、実は常々、自分の持っている趣味があまりにも学校の勉強と掛け離れているので、「自分は理数向きではないのでは?」などと考えていたからである。監督の話からして、どうやら私は理数の人間であったようだ。その理数人間が専門外の趣味を持ったところで、得にはなるものの決して損にはならないという結論に、私は達するに至った。理屈では簡単に分かりそうなものだが、身を持って知るのはなかなか難しいものである。そして、学校では教えてくれないことを学ぶ、ということの価値も知った。
 きついスケジュールにもめげず、眠い目をこすって頑張った子供たちの笑顔。それに負けない大人たちの真剣な眼差し。客席から,暖かく見守ってくれた人たち(その中には先輩や中学時代の友人も)。1O代最後にふさわしい、大きな宝物を手に入れることが出来た。このことをジャンプ台にして、残り1年半の高専生活を無駄の無いよう過ごして行きたいと思っている。
 そして、劇団「虹郷創人(にじのくにつくりびと)」総勢120名は、1月の宮城県民会館再演を夢みて(目論む、とも言う)、現在もばく進中である。


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