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大学とキャンパスと私

山形大学機械システム工学科 3年
  機械設計コース  鈴木 歩

1.初めに・・・、
 私はこの夏、たまたま私の製図の授業を担当していた俳優の段田安則に似ている顧問の小沢田先生の紹介で東北学生研修会へ参加してきた。そこでは仙台ニコンの最深部まで見せていただいて大変実りのある体験をさせていただき、夜の懇親会では様々な大学、高専の学生の方々といろいろな語をして交友を深めることができた。そこで私が感じたのは、それぞれの学校の名前は知っていてもそれがどんな場所にありどんな学校生活なのかは知らないということであった。そこで、この機会に我が山形大工学部とはどの様なところなのかを皆さんに知っていただこうと思う。

2.工学部は米沢にある。
 山大工学部と聞いて、「あぁ、山形はそばが名産だなぁ」と考えるあなたは残念ながら山形にはシロウトである。なんと、工学部のキャンパスは米沢にあるのである。しかも、名物はそばではなく米沢ラーメンである。喜多方が近いためだろうか。そのほかの名産としては米沢牛、米沢織、こい、笹野の一刀彫りなど素晴らしいものばかりだが、盆地という生活しにくい土地がらのせいか米沢は大都会とはなれなかった。「歴史のある町」であり観光客は大型バスときれいなバスガイドをつれて団体でやってくるが、住んでみるとけっこう不便である。町のメインストリートが通称「1OOm商店街」といい本当に100mしかないのも事実だが、そこにある5階建てのデパートが撤退してしまったのにとりこわすわけでもなく、別のデパートになるわけでもなく何年もほったらかしにされているのも事実だ。夜の9時を過ぎると町中の電気が消えたように真っ暗になるし、雪落としのために側溝のふたが至る所で開いているので酔っぱらってふらふら歩けば自分が落ちてしまう危険性がある。セブンイレブンが無いとか、ファミレスが1軒しかないというのも本当だし、最後まで残っていた映画館がついに肉屋に変わってしまったというのもまた隠しようのない事実だ。

3.山大生ってどんなやつ?
 地元の人々には申し訳ないが、いくら米沢が田舎だといってもそこにいる山大生は普通の国立大生である。実験レポートや製図の設計書作成に汗を流し、1ミリの寸法誤差に涙を流し、1グラムウン万円の試薬をこぼして教官に涙を旅させるほど元気の良い若者たちなのである。その若者達の出身は東北のみならず全国各地に及び、さらに私のクラスの留学生たちはマレーシアからはるばるやって来ていて教室の中は個性の集まりである。その個性派集団に講義をして下さる豪華教授陣には実に熱心な方々が多く、実験レポートや製図の再提出などはザラである。その熱心さに答えてか大学院へ進学する学生は年々増える傾向があり、先生方はうれしい悲鳴を上げている。機械系は2クラスしかなくキャンパスもそれほど広大というわけではないので、学科を越えた交友もさかんである。各科の建物は通路でだいたいつながっていて雪の日でも寒い思いをしなくてすみ、機械系の建物はキャンパスのまん中の6階建ての6号館と呼ばれる建物である。小さなエレベーターがあるが、休み期間中は停止してしまうので少々不便である。大学正面には、旧米沢高等工業学校の本館があり、これは重要文化財となっている。

4.米沢はいいぞぉ〜
 前に述べたように、都会の便利すぎる生活に慣れた若者にとって米沢は不便だと感じるかもしれない。しかし、慣れてしまえばこっちのもので住めば都とはこのことではないかと私は感じるようになってきた。市内を流れる松川の河原に横になって、風に吹かれながら土手の桜並木の花見をすればそこは絶景である。ちょっと南へ足をのばせばそこは裏磐梯だし、日本海へも太平洋へも同じくらいの距離である。秋には紅葉がみごとで果物も豊富、芋煮も絶品、冬には大雪が降るが天元台、栗子などのスキー場もすぐである。そして厳しい冬を乗り切った後の春を迎える喜びは格別である。雪がとけたら水になるのは科学の常識であるが、ここ米沢では雪がとけたら春になるのである。


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