目次へ戻る   前のページ   次のページ


就職って?

東北学院大学大学院 工学研究科
機械工学専攻 修士2年 小森 正純

 これを目にする人は,在学する学校は違ってもほぼ同年代の方々だと思う.だから,自分と同じ様な環境であったり,同じ様な事を思っていたり,反対に同年代だからこそ自分とは違った事を思っていたりすると思う.そのようななか,私には自分の考えを述べる機会が滅多にないので「ComPass」の主旨も分からぬままちょっと日頃の研究とは離れたこと,ここでは就職活動で自分が思った事を素直に述べたいと思う.
 私の父は,就職に関して私に以前からこんな事を言っていた.「今の時代,地元企業にこだわらず,むしろチャンスがあれば海外でも働けるような人にならなければだめだ.」就職ということを深く考えていなかった頃の私はこんな父の言葉に対して,真剣に対応すらしなかった.しかし,気がついてみれば修士2年になっていた.我々の大学では大学院に進学した者もほぼ修士2年で就職する.私もその例外ではなかった.本格的に就職活動が始まるという頃,やはり思い出すのは父の言葉である.私は眠りにつく前の布団の中で考え事をする癖がある.ある日も様々な事を考えていた.私は地元の学生ではない.もしかして,父は自分に地元就職して欲しくてこんな事言っていたのか.長男の私が実家にいなかったら両親は将来どうなるんだろう.我々の大学では決して多くない大学院進学に賛成してくれたことに対する答えは,企業で私が活躍することなのだろうか.それとも将来親の側にいてあげることなのだろうか.地元で希望どうりの企業はないだろうか.少なくとも最終的(ある年齢に達した時)に地元に帰れる企業って何処だろうか.果てには,俺は英語もろくに話せないのに海外なんて行くことがあるのかなんて自棄になっていた.更に,こんなことを考えている自分という存在が小さく思えて仕方なくなる。これを読んでいる人のなかにも様々な人がいると思う.地元就職を望む人,そうでない人,やりたいことを素直に最優先にできる人,そうでない人.私の考えに同感する人,そうでない人.
 私は結局地元には帰らないことにした.(結果がそうなっただけなのかもしれない)何処の企業でも同じではあろうが,面接では数々の質問の中,こちらの予想どうり「もし海外に行ってくれと言ったらどうするか?」と問いかけがあった.私は父の言葉を受け売りしただけだった.面接官がそれに対し,「両親は地元でないこと,また,海外に行くかもしれないということに賛成しているのか?」と問いかけてきた.私は,賛成しているという旨を就職活動用の言葉で飾りたてた.そして,私は精密機械の某製造業の会社から内定を頂いた.
 就職活動が既に終わっている今(’97.11.1)でも,これで良かったのかどうか結論すら見えない.様々な葛藤の中で結果として自分はただ流されているだけに過ぎない気がするからである.しかし,私は後ろ向き下向きだから葛藤するのではない.常に前を向き上を向いているから葛藤するのである.そうすることが両親への答えになるかは分からないが,私は今もこれからも自分のベクトルを上向きにしていたい.


目次へ戻る   前のページ   次のページ