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自分が本当に好きなもの

福島高専 機会工学科4年
       清水 正彦

 僕は気が移りやすい性格をしている。と、自分でも思っている。他人から見ても、「まったくその通りだ。」と言われるような気がする。だから、「将来、何をやりたいの?」とか「これからどうするの。」などと言われると、「さあ、どうしましょ。」となってしまう。もう半年もすれば、とうとう5年になってしまう。そうなってしまうと、進学にせよ、就職こせよ、「さあ、どうしましょ。」では済まされなくなってしまう。
 この世の中に「自分が本当になりたいもの」になり、「自分が本当に好きなもの」のそぱで生きている人は、本当にどれくらいなのだろうか。
 僕の場合、本当に好きなものが何なのかさえつかめずにいる。たとえば、ただなんとなく好きなものならぱ、「如雨露(じょうろ)という漢字」や、「夏場、熱くなったコンクリートの上に雨が降ったときの夏を感じさせる匂い」や、「氷をク口に含んだときに溶けて喉に流れ込む冷たい感触」など、挙げれぱきりがないものぱかりだ。しかもそういうものが好きでも、自己満足だけで、就職、進学には何の関係もないかも知れないものぱかりだ。かと言ってどうすることもできないでいる自分に苛立つことのできない自分がなんかつまらない人間に思えてきたりする。
 だからといって、「じゃあ、ああしよう。」なんて思えるわけもない。
 だから僕は、できるだけたくさんの本を読むようにしている。それは、推理小説でもよかったし、詩集でも、恋愛小説でも、登場人物が努でも、女でも、動物でも何でもよかった。そこには、僕の知らないもう一人の僕がいたから。そして、僕は僕らを忘れない。その中の僕には、「本当に好きなもの」をもう持っていた僕もいたし、つかんだ僕もいた。そして僕も、「本当に好きなもの」を見つけることができるだろうか。
 そしてそれを見つけたときには、「本当の自分」になれるのだろうか。
 そんなことを言いつつも、僕は進学を希望している(受かるかどうかは別としてだけれども)。そして僕の今の目標は、”本の中の自分”ではなく、”今ここに生きている一分”が「本当に好きなもの」を見つけることだ。
 僕は今、進学や就職について自分が多少わがまま言ったり、自分勝手言ったりしても、自分が思っているほど周りに迷惑は掛からないと知ることができたので、「本当に好きなもの」を自分に正直に探したいと思う。


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