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連絡員

秋田大学鉱山学部
 機械工学科 4年 澤田憲一

 東北学生会の顧問教官の先生から ComPass の原稿を依頼されてから一ヶ月…。朝晩はめっきり寒くなり、冬の到来ももうすぐの今日このころ、と思っているまに依頼された原稿の締め切りが明日(11/7)にまで追っている。と、いう訳で筆をとっている次第です。この原稿のテーマは特に指定されていないということなので、今回は日本機械学会東北学生会の連絡員の役割、仕事、義務、などについて少々触れてみたいと思います。
 今年度の始め、東北学生会の顧問教官の先生から研究室に内線で連絡が入りました。その内容は東北学生会の連絡員をやってもらいたいというものでした。断る理由のない私はそれを引き受けることにし、連絡員がどのようなものか全く知らなかった私は、先生に連絡員にどのような仕事があるのかを尋ねると、6月7日に一関高専で行われる日本機械学会東北学生会の幹事校会に出席することと、研究室対抗の球技大会の幹事を務めることなどが主な仕事だということでした。そのくらいのことならばたやすいことだと判断した私には、連絡員が実は大変な役だとはこのときは予想すらできなかったのです。
 最初の仕事となった東北学生会の幹事校会は特に苦もなく終わり、この分なら連絡員の仕事はそれほど大変なものではないと思っていたのです。しかし、2つめの仕事、つまり研究室対抗の球技大会、これがやっかいなものだったのです。秋田大学には伝統の野球大会があり、この幹事を務めることを私はあまく見すぎていたのです。野球大会の予定としていた日まで残り約一ヶ月となったある日、昨年の幹事のところへ相談に行くと、『遅すぎる』と言われたのです。何と、残り一ヶ月ではやりきれない、というよりも、その仕事をこなすには時間的に無理があったのでれその仕事というのは、野球大会への参加を促すお知らせと参加申し込み書の作成、そしてそれによる参加人数の把握、その多少に関わる懇親会の会場と飲食物の予約、準備、もちろん野球場をとること、そして雨が降った場合に行われるドッジボール、そのためには体育館を借りなければならず、その体育館を借りるための手続き、これが大変なものなのだそうです。昨年の幹事が言うには、その事務的な手続きの前に、体育館をつかう各クラブの代表者を説得して許可を得なければならず、その代表者にはかなりのヤッカイものがいるそうなのです。あまりにショックを受けた私はその足でもう一人の連絡員、即ち、もう一人の幹事のところへ相談に行き、いろいろと話し合ったのです。その結果、今年度の野球大会を中止し、ボーリング大会に変更することを考え、それを先生に相談に行くと、しっかりできるのであればそれでも構わないというお墨付きを得て、ボーリング大会に決定したのです。が、各研究室の反応は良くなく、昨年の野球大会に比べて参加人数を大幅に減少させてしまったのです。それでも行われたボーリング大会は一応成功に終わったと思っているのですが、野球大会を楽しみにしていた方には、大変ご迷惑をかけてしまい非常に申し訳ないと思っています。この場を借りてお詫びしたいと思います。どうもすいませんでした。
 また、球技大会の後にも一関で行われた東北学生研修会にも誰か希望者が参加する予定で、もし希望者がいなければ私が参加するようにと顧問教官の先生からいわれていたのです。そして、その参加申し込みの期限が過ぎたある日、先生から研究室に内線で連絡が入り、呼び出されました。そして、東北学生研修会のことを忘れていた私に研修会に参加してほしいと言われたのです。これも連絡員の義務なんだなと思い参加したのですが、これはいろいろな意味で勉強になったと思っています。
 さて、球技大会やその他の仕事も終わったことだし、連絡員の仕事も終わったものだと思っていたところに、顧問教官の先生から研究室に内線で連絡が入ったのです。終わったと思っていたのは勘違いであったことにこのとき知らされました。その仕事が今、私が筆をとっているこの原稿の依頼だったのです。文章を書くことが非常に苦手な私にとってはとてもつらい仕事なのですが、この文章も終わりに近づき、今ではもう安心していますが、いつまた次の電話連絡が入るかと思うと、不安でなりません。


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