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高専七年生

秋田工業高等専門学校専攻科生 藤原裕一

 私は高専の寮に7年間住んでいる。この7年間は、寮にとっても変化の時であった。寮は2年かけて全棟の改修を行ったのは数年前である。寮は新しくなり間取りも変わり,改修前の面影はきれいに塗装された形状だけである。寮の過去を思い出せる者はもはや私と共にこの寮で7年間暮らしてきた同僚だけである。あの時の寮の風景を手繰り寄せることのできる数少ない者に私はなってしまった。改修時、3食すべてが支給された弁当である時もあった。そんな、ほろ苦い時期もあったと知らずに後輩たちはこの快適になった寮で当たり前のように生活を送っている。けれども、あの寮を知っている私にとってこの快適な生活は何よりもありがたいものである。高専に入学した当時に大勢いた同年の同寮たちも片手で足りるくらいになってしまった。そんな私もここに居られるのはあと半年である。
 私は高専の敷地内に7年間住んでいる。それゆえに、通勤および通学とは無縁の生活を続けてきた。それゆえ、通学のために朝早く起きるという習慣を身につけていないのである。就職してからどうなるかとても不安である。私の体内時計は授業開始10分前とセットされてしまっている。社会適合も一苦労であり、時もまた無情である。寮に居ると3食ご飯がでてくる。寮を出てアパート暮らしを始めた元同寮は、ご飯が定時に決まって出てくるとはとてもすぱらしいことだと言う。7年間この寮の飯を食べてきた私は、献立のコンビネーションおよびタイミングを読めるようになった。寮の生活では、雑誌やビデオは買わずともまわってくる。金は天下のまわり物というが、男子寮内では本とビデオは天下のまわり物と言う。このリサイクノレパターンは見事なものである。
 私は気が付くと高専7年生になっていた。これは、小学校よりも長い月日である。私はまだ若輩者ではあるが、私は人生の3分の1をこの学校の敷地内で過ごしてきたと言える。16歳のとき希望と不安を胸に田舎から出てきて、この学校の門をくぐった日がここでの生活の始まりだった。高校、大学において手に入れるべき青春時代を犠牲にして、私はこの場所で過ごしさまざまな知識や経験、そして掟を学習してきた。そう、男だけの教室と寮で私は着々と普通の青春では手に入れることのできない独自の文化と考え方を身につけてきた。私はこんな特殊な生活を送れたこの場所をとても気に入っている。この文化を絶やすことのないようにこれからも精進していきたい。
 最後に、これからも私をここまで立派に成長させてくれた高専での7年間を胸にがんばっていきたい。


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