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学生会後輩諸君への備忘録

山形大学大学院 理工学研科
生体センシング機能工学専攻
M2   西田 創

 就職前線が峠をこした7月,リクルートスーツ姿の僕は,旅行代理店にいた.夏休みに予定していた海外旅行をキャンセルするためだ.「こんなはずじゃなかった・・・・・」と強く思った.
 僕が就職活動を始めたのは,3月の下旬からであった.その時点ですでに出遅れを感じていたが「なんとかなる」と軽く考えていた.新聞,雑誌等で”就職超氷河期”という言葉を目にしたが,まったくの他人事であった.理系には関係ないとさえ思っていた.5月に入って第一志望の会社を落ちた時も「運がなかっただけ」と思っていた.しかし,6月に学校推薦で受けた会社も落ち,気がつけば7月になっていた.僕はかなり焦った.決まらないかも・・・・.
 7月,とにかく結果(内定)が欲しくてインターネット等で採用をまだ行っている会社を捜して片っ端から受けた.週の半分以上は,東京で就職活動するという生活が続き,いつの間にか新幹線の売り子のおねーちゃんの声を聞けば顔がわかるくらい米沢ー東京間を往復していた.”やみくもに動いても実りは少ない”そんなことはわかっていたが,動かずにはいられなかった.
 8月に入って,ようやく1社から内定をもらえた.周囲から「おめでとう」と言われてもまったくうれしくなかった.焦りはさらに加速し,新聞の求人欄までチェックする状態に陥っていた.この時期に採用してる会社なんて・・・・と思いながら捜していると,これだと思える会社が見つかった.僕は,もちろん受けることにした.志望動機等もすらすら書けた.1次面接を突破し2次面接へ.その面接も無難に終り,まあまあだったなとすっかり面接慣れしてる僕は思った.帰りの新幹線で読む雑誌を買おうと思い就職の特集をしているアエラを買った.”だからあなたは就職できない”この手の言葉は,就職関係の雑誌でよく目にしていたが,面接直後に見るのとではわけが違った.”あなたは何者で何をしたいのか”この言葉に凍り付いた.僕は,さっきの面接でA,Bどっちの仕事がしたいと聞かれ,いろいろ計算して内定の可能性が高そうなBと答えていた.その瞬間これまで笑顔だった面接官の顔が曇ったのを思い出した.
 結局,その会社からいい返事はもらえず僕の就職活動は終わった.しかし,就職活動で一番大切なこと,最初に考えなくてはいけないことがわかった気がする.”あなたは何者で何をしたいのか”


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