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高専生活を振り返って

福島工業高等専門学校

機械工学科 5年   清水 文彰

 新世紀を迎え喜ぶ暇もなく設計製図や、卒業研究に明け暮れる毎日も残り3ヶ月あまりとなった今日この頃、自分がこれまでに歩んできた高専生活について思い返してみた。
 それは、16歳になったばかりの春のことだった。会津の山奥から出てきた私は、慣れない土地での生活や、厳しい寮生活に耐えながら、当時担任であった根本昌樹先生と出会った。根本先生は陸上競技を専門とする保健体育の先生で、陸上競技部の顧問であった。私は、「陸上部に入れば、学校生活が楽になるよ。過去問とかもらえるし。」という先輩の言葉に誘われて陸上競技部に入部した。私は、大きな体を生かし、砲丸投げや、円盤投げなどを行う投擲ブロックに所属した。しかし、そこは勉強ができて、運動神経抜群の先輩ばかりがおり、自分がいかに頭が悪くて、スポーツおんちであるかが浮き彫りになるような環境であった。そんな自分に対し、幸い先生方や先輩方は勉強のことも部活動のこともやさしく丁寧に教えてくれ、2年生ではテストの成績もクラスで中ほどになり、3年生のころには部活の結果もよくなってきていた。そして、4年生の夏。香川県丸亀市で行われた全国高専体育大会陸上競技円盤投げで私は接戦のすえ優勝をすることができた。前年に逆転され優勝を逃していただけに、このときはとてもうれしかった。
 月日は流れ20歳になったばかりの春、私は就職か進学かの狭間で揺れていた。それは、担任の佐東信司先生が「4年の成績が1桁だったら大学推薦できるよ。」と4年生のときにおっしゃったのにもかかわらず、1桁になることができなかったためである。しかし、先生はそんな自分を見捨てることなく、なんと大学に推薦してくださったのである。そして先生の力を借り、なんとか大学も合格し、今こうして卒業までの日々を送っている。
 なぜ先輩方や先生方は私にいろいろ教えてくれたり、力を貸してくれたりするのだろうか?頼んだわけでも、お金で雇っているわけでもない。なぜ自分のために時間を費やし、苦労するのだろうか?そんなくだらないことを最近よく考える。と同時に、果たして自分は周りの人に対して、同じようなことをできているのだろうか?と疑問に思う。円盤投げで全国優勝できたこと、大学に推薦で入れたこと、ここまで無事に高専生活を送ることができたこと、これら一つ一つについて自分を取り囲む全ての人々の支えがあったからではないかと考える。今まで自分を導いてくれた、たくさんの人々に心から感謝し、これからは機械工学科で学んだことを生かし、福祉器機の開発や改善などの仕事につき、人の役に立つような人生を送って行きたいと思う。




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