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私の個人的な趣味について

福島工業高等専門学校 機械工学科5年 佐藤 智彦

 あなたの趣味は何でしょうか。休日の水泳であるかもしれないし、あるいは早朝のジョギングかもしれない。私には計り知れないことであるけれど、何かしら持ち合わせていると思う。一つの趣味だけの人がいれば、いや私は六つの趣味がありますよなんていう人がいるかもしれない。私自身は他人の趣味についてそれほど興味はないけれど、聞かせてもらえるのなら聞いてもいいかなと思う程度である。多くの人は他人の趣味の話なんて聞きたくないと思うのかもしれない、あるいは腰を据えて聞いてみたいと思う人がいるかもしない。私の趣味はあなたの趣味と合うかもしれないので聞いてみてください。合わなかったからといって頭にこないで、世の中にはそういう人間がいると考えてください。

 私の個人的な趣味はいくつか存在する。パッと頭に浮かんでくるものを挙げると読書、音楽・映画鑑賞が主なものである。さらにつけ加えると、茶道という日本的文化芸術活動にも参加していてこれも私の趣味の一部分である。この活動には週に一度参加して貴重な経験をしている。私は文化的なものが好きなのかもしれない。その私のパッとしない趣味の中でも読書が自己紹介の必要に迫られたとしたら、自然と口から漏れ出す最も頻度の高い言葉になるだろう。読書傾向は、日本文学から世界の古典文学にまで至っている。近頃ではバルザック、ディッケンズ、ドストエフスキーなども読書範囲の中に収まっている。ドストエフスキーの「罪と罰」は読み終えるまでに十日くらいかかるのだろうなと覚悟をして読み始めたのだけれど、読み始めると本自身が発散させている雰囲気と違って抵抗が少なく読み終えることができた。私は日本人の作家が嫌いというわけではないのだけれど、日本人の多くの作家の作品には何かが欠落しているような気がする。これはただ私が感じていることであって他の人がどのように感じるかどうかはわからない。少なくとも私はそう感じるだけである。

 ところで、読書をしていると気付くことなのかもしれないけれど、私の周りでは熱心な読書家と呼ぶにふさわしい人がいないのではないかということである。クラスである作家についての話をしていても聞いている相手はどこか遠い太鼓の音を聞いているような聞いていないような様子で聞いている。それだけで読書家がいないとはいえないかもしれないけれど、クラスの空気で私には「オレは読書なんて興味ないよ」というのがヒシヒシと伝わってきて、心の空洞が遠慮なく拡大してカラッポになってしまうのではないかと考える時がある。そのように感じてしまうのは私が機械工学科という団体に所属しているからそのように感じるのか、あるいは福島高専という団体そのものがあまり本を読まないのか、読む時間がないのか、そのような機会を得ることができなかったのかどうか難しい問題である。

 また、社会のある一部では読書離れが著しいといわれている。なぜそのようになったのか私にはわからないけれど、読書というものは人間にとって人間らしさを与えてくれるものであると私は感じているので残念である。



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