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モノ作り

秋田工業高等専門学校

専攻科 生産システム工学専攻 2年  菊地 賢

  私は,ただ単にもの作りが好きで高専に入った.車が好きだとかのジャンルはない.自然のものも好きだが,人工のものには建物にしろ,機械にしろ,農業にしろ,人間の工夫という物が見え,とてもおもしろい.今はTVのドキュメンタリー番組などで,ものを作るまでの行程や,建築物等にある工夫などを紹介しており,見始めると最後まで目が離せなくなってしまう.
  そうしてみていると,昔の人は自然も人工も両立していたように思えた.それは,昔の建物は自然の美しさをより映えさせるための工夫や,自然の猛威とうまく付き合うための工夫が多く見られたからである.しかし,それが社会的に,利益や便利さのみを追求し,自然を忘れ,自然とうまく付き合う「もの作り」から,人間にとってのみの幸福を叶えるためだけの「モノ作り」になってしまった.
  「人間は何か大きな問題が起こらないとこれまでの行いを省みない」これは私の持論である.昔は飢饉や災害といった事態に対する耐性が弱かった.それ故,自然を畏れ敬い,自制してきたのではないだろうか.しかし,現代では先進国では飢饉などは起きず,災害に対しても耐生が強くなっている.それ故,自然を軽視し,自制することを忘れていた.そして今,様々な地球規模の環境問題が発生し,これまで歪みを,必死で無理矢理直そうという感じの動きになっている.その無理矢理さが,必死さが新たな歪みを生み出しそうな気がしてならない.
  私は,私の持論を崩せるような,自分の行いを様々な観点から冷静な目で見られる自分を作りたい.その意識と,様々なことから学ぼうとする意識が技術者にとって,人間にとっての資質というものだと思う.

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