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「祖母の言葉」

鶴岡工業高等専門学校

機械工学科 5年 笠原 太郎

  年末年始の親戚まわりを終え、列車の窓から眺める夜の鶴岡に雪はなかった。父の仕事の都合で引っ越してきた頃は積もっていた記憶があるが、最近はめっきり少なくなった。気がつけば私も成人となった。そのせいか私の周りの人々は私に色々なことを教えてくれるようになった。
  祖母と2人きりになったとき、祖母は私に話してくれた。祖母は戦争の時に満州で過ごし、生きる為に故郷が同じ地方だったという理由で、祖父と家庭を築いたそうだ。そんな祖母がつぶやく。
  「いつ死ぬか分かれば、それまでに身の周りと気持ちを整理して死ねるのになぁ。でもわからないんだよなぁ。」「1年増しに体が動かなくなる。切ないなぁ。周りの人に迷惑ばかりかけて、でも爺さまの世話する人いないから。人間わぁいいもんじゃないなぁ。」「爺さんみたいな短気は嫌だな。一時我慢すればそれで済むのに。いつでも我慢しなくちゃ駄目だよ。」
  私は叔父と骨折した祖父の見舞いに病院へ行った。ちょうど食事の時間だったらしく、祖父は粥を啜るように食べていた。歯が3本しか残っていない為に、頬が窪んでいる。震える手が口に付いた米をぬぐおうとするがうまく出来ないので、私はそれを取ってやった。祖父はそれを私の指から食べる。祖父の唇は温く、私を安心させてくれた。
  歳相応に成長した私の顔が列車の窓に映る。少年時代を終え、人間は衰えるという実感が老いの予感へと変わってきた今日この頃。祖母の言葉に将来の不安を感じるが、私は自分なりに生きてみるしかない。お祖母ちゃんにお爺ちゃん、孫は頑張って生きるよ!

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