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野 球

鶴岡工業高等専門学校

機械電気システム専攻 1年 佐藤 健夫

  私は小学校三年から高専の五年までの十二年間、野球を続けました。しかし、昔は野球が好きという気持ちに体がついていってない状態でした。
  小学生の私は同学年の友人に比べ足が遅かったり力が弱かったりしたので、全くレギュラーになれませんでした。センスがなく、努力も足りなかったのかもしれません。中学でも同様で、レギュラーになれないまま卒業。普通はここで野球を辞めたりするのでしょう。しかし、続けていれば次こそはレギュラーを勝ち取れるのではないかという思いもあって高専に進学しても野球を続けることにしました。
  ここまではチームの中心になんてとてもなれないような野球人生でしたが、高専に入ったことで野球人生に変化が訪れました。私のポジションでもある外野手が多かったのですが、辞めていく学生も多く、外野手歴が長く、まじめに練習に参加していた私が先輩に混じって時々試合に出られるようになりました。それまで対外試合の経験がほとんどなかったので大変緊張しましたが、試合に出られることをとても楽しいと思いました。その後二年生の夏が過ぎて自分たちの代となってからは、副キャプテンに指名され、外野手のまとめとしてセンターのポジションを頂きました。学業との両立や、キャプテンに代わってチームを引っ張ったりなど、とても大変でしたが周りの助けもあり、なんとか副キャプテンとしてチームの役に立てたと思います。その年の甲子園予選では一回戦で負けてしまい、初めて野球で泣きました。
  その後も製図にレポートにと、忙しい学生生活の傍ら高専五年間野球を続けました。そして2008年7月6日、東北地区高専大会決勝、対一関高専戦。そこで負けて私の学生野球は終わりを告げました。
  高専での野球人生を終えて思ったのは、今までで一番野球が楽しく充実していたことです。鶴岡高専は強豪と呼べるほど強くありません。でもチームの一員として試合に出て勝利のために貢献することができることがとてもうれしく、いい経験にもなりました。そう思うと、特に目立つこともなかった小中で終わらずに、高専でも野球を続けてよかったと思っています。

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