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5年間の高専生活を振り返って

鶴岡工業高等専門学校

機械電気システム工学専攻 1年 阿部 健太

  私は、平成19年の4月に地元鶴岡にある高専に入学しました。入学する前は「ここに入学して、最先端の 技術を学んで社会に羽ばたいていくのだ」という思いを胸に抱いていました。住まいは三川だったのですが、程よ い運動にもなるという理由で、寮には入らず自転車で通学を始めました。

 私が入った機械工学科は、全校の中でも珍しく男子しかいないクラスでした。半分は地元庄内の人間とは いえ、それでもそこかしこから聞こえてくる聞きなれない方言にはそこはかとない違和感を覚え、しかしそれは それで楽しいと感じながら最初の一年を過ごしました。

 年が明けるころにはそんな違和感も無くなり、皆とある程度交流も深めることができました。最初は余所余 所しかったところもありましたが、話してみればそれぞれ個性溢れており、頼もしい者もいれば一緒にいてとに かく楽しい者など、まとまっていて面白いメンバーだなあ、その中に居ることができて自分は幸せだな、と思い ながら過ごしておりました。

 3年になると原付で通学することが許されるようになっていたので、その頃から自分の行動範囲がグンと広が りました。同じく原付で通っている友人らと放課後の時間に遊びに行ったり、ハンドボール部の夜練習の後敷地 内で原付を代わる代わる乗ってみたりとこの頃が一番勉強もしながら良く遊んでいた記憶があります。

 4年に進むと製図が大きな壁として皆の前に立ちはだかりました。この課題は一人だけで進めるには難しすぎ る部分があり、皆で協力して教え合い、わからないところは話し合って作業を進めていきました。最も忙しかっ たときなどは、夜遅くまでみんなで残り、合間にカップ麺をすすったりしながら必死で製図を書き進めていたの が今でも昨日のように目に浮かぶものです。

 5年になると、各自研究室に配属され、就職、進学活動にそれぞれ励むようになりました。私は専攻科への進学 を決め、他の皆もそれぞれ自分の進路を決め、5年間共に過ごした学び舎を旅立っていきました。卒業式の後、泣 きはしませんでしたが「この気の合う仲間たちともお別れか…」と考えると、胸に熱いものがこみ上げてきて切な くなったものです。しかし意外にも、いや意外ではないやもしれませんが、今でも何人かの友人とはよく会い、話 すことが多くあります。それは盆休みであったり、はたまた普通の土日休みであったり。彼らの中には関東など遠 くへ就職した人も多くいますが、それでも隙を見てよく地元へ帰ってくるものも多く、毎回嬉しい気持ちになるも のです。

 5年間、高専生活で培ったもの。それはもちろん機械にまつわる基礎的な知識や、技術などもそうですが、一番 はこの仲間たちとの出会いだと思っています。自分より先に社会に出た彼らは、これから大きな羽ばたきをしてみ せることでしょう。そんな友人たちに負けることのないよう、私もまた努力し、より良い道を進んで行きたいと 思います。

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