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「笑い」  山形大学 工学部(4年) 齋藤 寛人
私が日々気をつかっているということではないが、心の土台なようなものに「笑い」が含まれている、この「笑い」というものは非常に厄介な存在である。それは、これが減りやすいものであるからである。昔の思い出や未来への希望などの土台なら簡単に減ることはないのだから管理しやすいなぜならその想い自体がその人の中に存在しているからである。しかし、私の中では「笑い」は心の外に存在している。

土台をおろそかにすればきっと私は壊れてしまうであろう。だから私は日々の生活の隙間、隙間に「笑い」をみつけだす努力だけは怠る気はない。幸いにも「笑い」というものは気の持ちようしだいでいくらでも見つけることができ。なぜなら、別に自分や誰かが「笑う」いうことだけが「笑い」というわけではないからである。
これから米沢には長く厳しい冬がやってくる。
そんなとき一杯のコーヒーにさえ「笑い」は存在しているはずである。




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