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吃音症との闘い

東北大学大学院 工学研究科
石川 俊治

 「吃音症」とはいわゆる「どもり」のことであり,特定の言葉が発しにくくなる疾病である.吃音は大きく3種類に分類され連発型・伸発型・無声型があり,原因は解明されておらず完全な治療法はないとされている.
 私と吃音症との闘いが始まったのは中学生の時からだった.私に吃音の症状が出たのは,授業中に指名され解答する時に,頭の中にある解答を言葉として発することが突然できなくなったことがきっかけだった.それ以降,友人や家族との会話の際にも症状が出るようになった.私の吃音は無声型であり,話したいことの一文字目を発声することができず,苦労し時間をかけてなんとか一文字目を発した後はつまることなく話すことができるといったものである.しかし,簡単に一文字目を発声できる場合もあり,普段話す友人でも私が吃音症だと気づかず訝しがったり笑ったりすることが多くあった.そのために,大勢の前で発表することや電話応対が苦手になり,その局面に直面したとき緊張から余計に発声できなくなることもあった.
 大学に入っても吃音症に悩まされていたが,兄に影響されて洋楽を聴くようになってから私にある一つの転機が訪れた.それは,「スキャットマン」との出会いである.初めは曲のリズムを気に入っただけだった.何回か聴く内に不思議とその歌詞が気になって,洋楽を聴くようになってから初めて歌詞とその和訳を調べた.調べる内に,この歌を歌うスキャットマン・ジョンもまた吃音症であり苦悩し続けたこと,自身を苦しめた吃音を使って新しい音楽ジャンルを開拓したこと,彼がインタビューの中で自身の吃音を「自分の後ろをついて歩く大きな象」と例え,必死になって吃音を隠すことは大きな象を隠すことであり馬鹿げていると答えたことを知った.その時,私が高校生の時に,親しい友人に私は吃音を持っていると話した時のことを思い出した.私の吃音を友人は全く気にしていないどころか気付かなかったと答えたが,友人は吃音を気に病んでいる私に気を遣ってくれたと当時の私は考えていた.しかし,友人は本当に気にしていなかったのだと考えを改め,私は憎んでいた吃音を個性のようなものとして少しは認められるような気がした.
 実際はわからないが,私の吃音症は治ってきていると感じる場面が増えてきた.それまで避けていた大勢の前での発表や電話応対も自発的にするようになった.仮に吃音症が出ても,相手は気にしていないし私が話せるまでゆっくりと待っていてくれると考えることができるようになった.私の青春時代の大部分を占めていた吃音症との闘いは,吃音を気にしないようになった私の不戦敗で幕を閉じたのである.




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