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高専での思い出

福島工業高等専門学校 機械工学科5年
中村怜央

 私の高専での思い出といえば寮生活と受験勉強の2つが出てくる。
 まず寮生活について、私が1年生のころの福島高専ではとてもユニークな伝統という名の規則があった。例えば、1年生は先輩が少しでも視界に入ったら、出せるだけの大声で「こんにちは」とあいさつをすることや、学校と寮の中に1年生だけが通っていけない「禁止通路」なるものがあった。他にも1年生は学校にスマホを持って行ってはいけないことや寮と学校の自販機で飲み物を買ってはいけないなどもあった。周りの寮生は先輩にばれないだろうとこれらの規則を破っていたが、自分は先輩が怖すぎてすべて守っていた。休み時間は友達のスマホのゲームを眺めたり、事情を分かっている友達に飲み物を買ってきてもらったりした。今はこのような規則がないが、5年になってこういったユニークで理不尽な規則がなぜあったのかわかるような気がする。1年生は風呂掃除や食堂の掃除など最低学年だからこその仕事があるが、自分たちのときより今の1年生は仕事をさぼっていることが目に付く。また共同生活をしている以上、ほかの部屋まで聞こえるような大声で話さないなど当たり前のことができていないように感じる。こういったことを抑制するためにあのような可笑しい規則が作られたのではないかと今は思う。
 次に受験勉強では、高専入学は推薦入試で面接のみであった自分は本気で受験勉強というものをしたことが無かった。そこで推薦ではいけない旧帝大を目指すことにしたが、そこから長く不安な日々が続くことになった。自分が受けた大学は8月末に試験があり、その頃はほかの進学就職がほとんど決まっており、みんな遊び惚けている時期であった。そんな中自分は流されないと勉強していたが、意志が弱い自分は周りに流され勉強に集中できなかった。滑り止めの大学は2つ受けてどちらも合格していたため、その時期は第一志望に落ちてもいいかなと考えだしていた。気づいたら入試になり、試験の出来は壊滅的な結果となり、確実に落ちたと思った。発表までの1週間はもうどうでもいいと開き直り遊び惚けた。発表前日は友達とキャンプをして飲みすぎたため、二日酔いの状態で結果を確認した。自分の番号がパソコンの画面にあったときは、この20年という短い時間の中で過去一うれしかった瞬間であった。番号がなくても仕方がないと諦めていたので、すぐに家族に連絡をした。本当に良かった。
 このほかにも高専ではいろんなことを学んだ。来年からは大学でより専門的に学び、少しでも社会貢献できるよう努力していくつもりだ。中学の時に高専を選んでいなかったら、自分は工業高校を卒業して近くの工場に就職していたことだろう。高専という最高の学校に来て心からよかったと思っている。







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