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たたら製鉄実施の様子

 今年度の実施形態は、3年生を2班に分け、3時間連続授業の課題研究をおよそ6週18時間を授業時数として行った。1週目はたたら製鉄の歴史とその原理などを話し、前年までにつくった鉄(けら:「金ヘンに母」の字。以下ひらがなで表示)を見せる。「なに、これは」といぶかりながらも、説明したばかりの日本刀づくりには欠かせない鉄であることに不思議な顔をする。もちろんこれを鍛造して使える鉄にしてからと説明を続けるが、原料の砂鉄や燃料の木炭を順次見せ、触らせながら興味を持たせるように仕向ける。

  1. 土練り
     今年もそうであったが、余り説明が長いと今の生徒はすぐに飽きだす。そんな頃を見計らって土練りから始めるかと切り出す。炉の材料となるサバ土(真砂土)の捏ね作業である。昔は新築の家ではどこも行っていた壁土づくりであるが、今は目にすることは先ずない。すさ(壁土の補強材)となる稲わらを5cm程度の長さに押し切りという道具を使って切らせるが、これも彼らには経験がない。かつては壁土づくりのほかに牛や馬の飼い葉作りにはやはり欠かせない道具や作業であったが、もちろん知っている生徒はほとんどいない。でもこれが意外におもしろがる。下手をすると指を切り落しかねない道具であるが、ひとこと注意を促し彼らの思い通りにやらせる。
     土練りも今年の生徒はとにかく楽しんでくれた。左官用の舟にサバ土を入れ、水とすさを入れて混ぜて練り込む作業である。やってみるとわかるのだが相当な力作業である。数人で交代しながらの作業分担にするが、ワイワイというよりむしろぎゃーぎゃーはしゃぎながらであった。童心にかえってのどろんこ遊びを思い出したかのようであった。
     こんな具合で第1日目の3時間の授業を終える。こういう状況になれば取りあえずは楽しくやれそうだと先が見えてくる。このあとの詳しい作業状況は文末に記した私のホームページを見て頂ければと思うが、以後簡単に述べれば、2週目は炉づくり、3週目は炉の完成、炭切り、4週目は炭切り、砂鉄の準備、操業準備、5週目に操業、6週目は操業後の炉やできたけらの調査などである。


    土練り

  2. 炉づくり炭切り
     準備段階での主な作業は炉づくり、炭切りである。炉は大野刀匠のたたら炉を継承した高さ1.5mほどのもので、これに台車を載せてある。豊川工業高校時代に当初は実習工場の空き地に炉をつくっていたが雨対策として移動用の炉を考えつき、それ以来この方法をとっている。炉は煉瓦を骨格にしてその内外周を練り土で巻いている。とくに炉の内側の形状が一つの鍵を握るため丁寧に仕上げる。この作業も今はほとんど生徒の手で行っている。煉瓦と煉瓦の間に練り土を入れ、 積み上げていくのだが、はじめのうちはなかなか煉瓦同士がくっついてくれない。「エィ、ヤァ」と練り土の小さな塊を煉瓦にぶつけることによって、また塗り込むように煉瓦に練り土を付けるのがそのコツであることを話したあとは、また面白がって半ば遊び心で築炉が始まる。泥のハネがあちこちに飛び、作業服や相手の顔にも当たることがあり、「いい加減にせよ」と声を張り上げることもあった。
     炭切りによる木炭の大きさは操業に大きな影響を及ぼすため、できるだけ丁寧に指定の3〜5cm程度の大きさに切るようはじめに見本を見せて行わせるが、これはあとでわかることだが鼻や顔が炭で真っ黒になる。もちろん事前にマスクを付けさせているが、こういう作業も彼らには経験がないため、なかなかうまく所定の大きさに切れない。切るときについでに沢山の粉炭をつくってしまう。粉炭を一度に沢山炉に入れると通風を妨げてしまうため、操業には余り使えない。したがってできるだけ粉炭にならないよう鉈の使い方を教えるのだがそうはうまくいかない。粉が出るほどに作業服やマスクはみるみる黒くなっていくが、しばらくやっていると意外に上手に切る生徒も出はじめ、「お前、もっとうまく切れよ」と隣の仲間に小言を言うものも出てくる。
     これらの作業は全員が一緒にするのでなく、土練り、築炉、炭切りなど分担して行っている。その分担では彼らの希望をとって行うようにしているが、次の週も、真っ黒になる炭切りも力仕事の土練りも嫌がらずに同じ作業を希望するものがいつのときもいる。毎回、炭や土で汚れた作業服になるため、洗って来いよと帰り際に言うのだが、彼らは結構無頓着である。


    築炉


    炭切り

  3. たたら製鉄の操業当日
     そして操業当日、この日はさすがに夕方からでは授業時間中に終わらないため、昼頃から出校しての作業となる。仕事やバイトをしているものがほとんどだから無理には出校を言わないが、仕事の休みをもらったりバイト時間を変更したりして何人かが参加してくれる。今年も2回の操業とも約半数の3〜4人の生徒が昼から作業にかかってくれた。
     私はこの操業をできるだけ外部の人にも見てもらおうと、最近はホームページなどで見学可能なことを呼びかけている。毎回何人かの見学者があり、そのうち手伝いたいという人には一緒に作業にも参加してもらっている。参加者には企業の方も沢山おり、ときには生徒に直接指導の声をかけてくれる方もおり、一定の緊張感もあるが、でも大体はいつものようににぎやかに楽しみながらの操業となる。
    炭入れ
     夕闇が濃くなり、授業開始の頃には、炉頂からあがるやや青みを帯びた炎の勢いがくっきりと浮かび上がり、初めて見た人にはすごさを感じるようである。燃料及び還元剤となる木炭を入れ、その直後に原料の砂鉄と溶剤の粉砕した石灰石を入れる作業が延々と続くが、若干粉炭が混じった木炭を入れるたびにその火の粉がパァーと広がっていくため、見た目には迫力ある光景となる。


    炭入れ

    のろ出し
     迫力の点では操業半ばののろ(スラグ)出しのときにも感じるようである。炉底に溜まったのろは羽口を詰まらせてしまうためときどき出してやる必要がある。これを怠ると送風不可能となり操業はそこで中止となってしまう。したがって操業後半からは常に羽口の詰まり具合を見ながらの作業となる。のろ出し口を鉄棒でつついて行うが、流れるようなのろが出れば、「オォー」と歓声も上がり見せ場の一つとなる。見学者には鉄と間違える人も多いからそのあと説明を要することにもなるが、炉底温度が上がっている証拠となり、操業としては順調であることを知らせてくれる。しかし粘ったのろしかでないことがよくあり、その場合は鉄棒で掻き出すようにして、ときには炉が壊れるかと思うほど粘ったのろを出すこともある。


    のろ出し

    けら出し
     そして最終段階は、けら出しである。小規模なたたら製鉄では鉄が溶けるほどの温度にはならないため、けらは炉底に半溶融状態で溜まることにな る。そのためけらを取り出すためには炉を壊さなければならない。量産できないたたら製鉄が高炉の発展とともに廃れていった最大の要因でもあったが、これがたたら製鉄の最大の見せ場ともなる。
     夜8時半頃を目途にけら出しにかかる。上から順に炉をこわし始めるが、真っ赤に燃焼した木炭がまだ炉内にたくさんあるため、その輻射熱が強烈である。炭をかきだし、煉瓦を取り外すなど生徒の作業分担を決めて行う。けら出しの瞬間は炉底のできた赤熱した塊を鉄棒ではつり、スコップ3つほど使ってよいしょと持ち上げて炉から移動させる。目が一斉にそちらに向くと同時にホースで水をかける。ものすごい水蒸気が周囲に広がり一瞬周りが見えなくなるほどである。
     この塊は大部分がのろのため冷えるまで相当の時間がかかる。そのためこの間に道具や炉の片付けを行う。塊が冷めると、今度はけら探しにはいる。けらはのろの塊の中に沈み込むように成長するためハンマでのろ部分をはつりながら行う。取り出されたけら塊は球状になったけらが順次積み上がったような蜂の巣状である。そのため一つの塊にならず小さなけら粒もたくさん見つけることになる。
     このけら出し場面に、ときには1年生が担当教科の先生の配慮で授業の一環として見に来ることもある。今年作業した生徒もじつは1年生のときに見学していた生徒たちで、先輩たちがすごいことをやっている、そんな目で見ていた生徒たちであった。


    けら出し

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