後輩へのメッセージ
ノンエリート大学での教育と研究活動の両立に向けての清水先生(いわき明星大)からの辛口アドバイス
清水 信行
いわき明星大学教授
今回は従来と趣旨を変え,首記のテーマについて対談形式でまとめてみました.司会の本部門広報委員,湘南工科大学 西田です.このテーマを選んだ背景はご承知と思いますが,簡単に述べさせていただきます.少子化や学生の理工学離れなどに起因する,いわゆる二流,三流大学への入学生の学力向上は,彼らが今後の日本の産業界の基礎部分を担う主力となるはずであることを考えると,極めて重要な課題であります.一方,この任務を担う教員は,入学生の学力低下を目の当たりにし,この任務のあまりの困難さに立ちすくむとともに,学内での業務,たとえば,改組転換にともなう教育内容の変更,高校訪問やオープンキャンパスなどの大学PRなどの校務に追われ,大学に職を得た際に夢見た’研究’がなおざりになってしまいかねないという問題があります.
そこで,今回はこれらの2つの課題を見事にクリアしていらっしゃいます,いわき明星大学教授 清水信行先生の研究室を訪問し,ディスカッションさせていただいた内容をまとめました.なお,当日は,清水先生の指導学生の博士論文公聴会(テーマはなんと,‘分数階微分を用いた非線形粘弾性有限要素解析’)が開催され,この対談はその終了後に行われたものです.(以下,敬称を略します.)
西田:早速,第1の課題である,ノンエリート学生の学力低下への教員の対処について伺いたいと思いますが,その前に,本日の博士論文のテーマは清水先生がパイオニアとしてリードされてきた分野と理解しております.内容的になかなか理解できないテーマですので,まず,このテーマに清水先生が取り組まれた動機について伺います.
清水:今回,話題に上がった学生は那須野洋(ひろし)君です.彼は北海道からいわき明星大学を選んで入学してきました.平成8 年4 月のことです.それからなんと丸13年が経とうとしています.縁があって,私の研究室に望んで来てくれました.彼は大学の4 年生のときから,10年がかりで粘弾性の動的特性の解明研究に挑戦しています.
このテーマはもちろん私の興味から発生したものです.ここで簡単に述べたいと思います.話を分りやすくするために当時分らなかったことで現在分っていることも織り交ぜて紹介したいと思います.疑問の発端はゴムを振動系に利用した1 自由度系の振動方程式が“複素ばね”で表されるのはなぜか,と言うものでした.この式は一体,時間領域の式なのか,それとも周波数領域の式なのか,と言う単純な疑問が沸きました.時間領域の微分方程式に複素数をもつばねが入るのは,当時,私にはどうしても納得できなかったことを覚えています.この疑問は分数階微分方程式を考えることで解決する,と言うことを後で知りました.分数階微分の勉強をスタートしたのは約20年前のことで,不思議な数学もあるものだと思いました.しかし,この数学は粘弾性のような記憶をもつシステムの動的な挙動を記述するのに最適であることが分りました.記憶は年(時間)とともに薄れていくという効果を数学的に表す本質的な数学,したがって減衰効果の記述に最適な数学,ということが徐々に分ってきました.そのようなことが私の興味を持続させてくれている根本的な理由だと思います.後で分ってきたのですが,材料の記憶効果の発現メカニズムは材料のフラクタル構造からもたらされるものである,と言うことです.微視的な基本キネマテックスのナノ,ミクロ,メゾ,マクロな大きさのフラクタルで自己相似な構造が集合化して分数階微分特性を創出しているようです.このような興味は工学からスタートして科学の世界に入り込んでいくものです.話の本筋から外れますので,これ以上ここでは深入りいたしませんが,面白いテーマです.
一方,材料の減衰は極めて工学的な特性です.これを正確に予測することは振動・衝撃問題を適切に解決する一つの道です.有限要素法をご存知の方は,質量マトリックスの定式化,剛性マトリックスの定式化にあまり疑問を抱かないと思います.材料の物理特性が分ればほぼ完璧と言えるほどに,これらの材料からなる製品の質量,剛性マトリックスを定式化できます.疑う余地のない理論が確立しています.それでは,減衰マトリックスではどうであろうか,と言うことです.ひずみエネルギーに比例するタイプの減衰マトリックスと言うものがありますが,仮定が多すぎます.もう少し材料科学に立脚した減衰マトリックスの定式化が期待されます.そのようなことから有限要素による減衰マトリックスの定式化という課題が持ち上がりました.
西田:本日の那須野君の博士論文の内容を拝見しまして,その内容は,粘弾性材料の特性把握実験,数学的に難解な,分数階微分理論,大変形有限要素理論の展開などの広く深い分野をまとめあげたものであり,今回の対談で対象となるような学生のレベルをはるかに超えていると思いましたが,ここまでまとめあげるまでの過程とご苦労について伺います.
清水:このテーマが線形問題に対してほぼ解決したころ,那須野君は修士の学生でした.次のステップはこの問題を幾何学的な非線形問題に応用することだと思っていましたが,彼はこのテーマに挑戦したいと言い出しました.驚くと共に,私は内心嬉しくなりました.ハードルの高いテーマなので,本当に乗り越えられるのだろうかという不安と解決はできるはずだ,というある種の確信があったことを覚えています.それから約8 年,彼が見事にこのテーマを乗り越えてくれました.この研究により,材料の物理特性(材料試験から得られるデータ)をもとに減衰マトリックスを定式化して,製品の振動時における非線形の減衰挙動が有限要素理論により予測できることになりました.これで,一つの研究の区切りとすることができました.
粘り強い学生にめぐり合えたことが,何よりの幸運でした.彼が研究室に配属されたときは普通のいわき明星大学の学生で,際立って学力が高かったわけではありません.ただ,粘り強い安易な妥協を嫌う学生だったことは間違いありません.それ以降の努力は血のにじむようなもので,傍から見ていても痛々しく思うことが幾度となく続いてきました.どこの大学の学生にも,人間としてのプライドがあると思います.彼は人一倍内に秘めたプライドが高かったのであろうと感じています.これは学生を指導するときに,いや,人と付き合うときに大切にしなければならないことで,相手のプライドを喚起するような付き合い方が大切である,という一つの良い例かもしれません.成長した暁には一流大学の学生並みにしてやりたいと思う願いから,かなり厳しく対応しました.海外の論文発表も機会あるごとにやらせました.幸いなことに挑戦意欲が高く,逃げることがなかったのが私にとっては救いでした.また,多くの研究者仲間にも,彼は可愛がってもらいました.海外発表の時でも海外の研究者と仲良くなり,可愛がってもらいました.そして,人間的にも日々成長してくれました.企業との共同研究の機会にも恵まれ,企業の厳しさも少しずつ身につけていきました.二人三脚で歩んできた,彼にとっても私にとっても充実した,そしてとても楽しく,しんどかった8 年でした.
西田:私も公聴会を聞かせていただいて「指導する方の努力も大変なら,それに応える学生もよくぞ・・・」が率直な感想でした.
さて,本日の対談の主題に戻りまして,第1 の課題である,ノンエリート学生の学力低下への教員の対処について伺いたいと思います.私は会社務めから教員生活に転向してほぼ4 年ですが,この間だけを見ても入学生の顕著な学力低下が感じ取られます.sinやcos,あるいは‘関数’の考え方が理解不十分な学生に,機械工学の基礎である‘工業力学’を教える立場にありますが,学生の授業アンケートは最下位でコメント欄にはボロクソに書かれる上にボーナスは減らされ,学生との信頼関係や教員としての目標の喪失感に襲われる事もあります.清水先生もやはり,最近の学生が最も苦手とする‘基礎数学の教員’として私以上の厳しい立場に立たされていると思い,その立場からのお考えを伺いたいと思います.
まず最初に,いわき明星大学における清水先生の教育に対するこれまでのご経験,学生の学力レベルの変化の状況,それに対する対処法についてお聞かせください.
清水:大変難しいテーマを与えられました.学力低下は,日本全国で続いている憂うべき事柄です.これは事実として受け止めなければなりません.ノンエリート学生とそうでない学生の区分けははっきりしませんが,質問の内容は,私が所属しているような,地方の大学に勤める教員が学生に対しどのように対応していけばよいか,と言うものであると理解します.
そのようなことから,いわき明星大学での教員生活についてまず振り返ってみたいと思います.私は平成元年,いまから21年程前に,横浜からいわきの地に引っ越して参りました.いわき明星大学はこの年に開学しました.人口35万人のいわき市には現在,大学が二つと高専が一つあります.標準的な地方都市と言ってよいでしょう.
平成4 年ごろが国内18歳人口のピークであったと思います.臨時定員増が認められ,クラスもにぎやかな時代でした.それから10年くらいは,人数的にも体制的にも大学は安定していたように思います.18歳人口は漸減でしたが,学内ではそれほど大学の危機が叫ばれてはいませんでした(誤解があるといけませんので補足しておきます.実は心ある教員は非常に憂いていました.しかし,私たち,多くの平凡な教員は手の打ち方をよく知りませんでした.まだ実際に現われていない危機を迎え撃つ強い意志を持てなかったと言うべきかもしれません).しかし確実に18歳人口の減少は進み平成18〜19年には平成4年時のほぼ半分になりました.現実に,学生を定員まで集められない大学が続出してきました.今,これはさらに深刻化しています.
このような人口の減少に連れて,当然のことながら学生の学力も低下してきました.それに追い討ちをかけたのが,ゆとり教育によるカリキュラムの変更です.一つの典型的な例をご紹介いたしましょう.開学当時,微分・積分,線形代数,簡単な複素関数論などを十分に教えることができた数学は,現在ではこれらを教えることはほぼ不可能です.むしろ学生の学力に合わせるとしたら,四則演算,分数式,などといった内容, 1 次式, 2次式の性質やそのグラフの描き方などをしっかり勉強してもらう方が現実的です.これに大変な苦労をしてsin,cos,exp,logなどを勉強してもらう努力に,教員は追われます.20年の間に,この国はどうなってしまったのでしょうか.この大きな学力の低下はいったい何なのでしょうか.自問自答しても,あまりにも問題の根が深く,規模が大きく,自分たちが改革できる答えは見つかりません.ただ,現実を受け入れることが,学生に対して,良い教育をする唯一の道のような気がします.
西田:この問題について,さらに踏み込んで伺いたいと思います.教育の最も重要な事は,学問に対する関心度の低い学生のモチベーションをどうかきたてるかにあると思いますが,そのほかにも,学生の能力の分布があまりに広く,どのレベルに焦点を当てて授業をしたらいいのか,授業の目標をどのレベルに設定するのか,そして何よりも,教員としての使命感を何に求め,どう維持していくか,ということがあげられますが,これらの点についてのご意見を伺わせてください.
清水:いよいよ本題に入ってきました.学力低下が止まらない,地方の私立大学にあって教員はどのように対処すべきか,という重い問いに各先生方が日々苦労しているのは,紛れもない事実です.先生方は誰に聞いても心を痛めています.国の教育システムの枠に組み込まれた各大学にあって選べる手立てはそう多くはないと思います.高い志を持って,一流大学並みの学力まで引っ張り上げるなどということは,無謀以上の何ものでもありません.現実を直視して,できることをする以外にありません.教員は自分の心を無にして学生の状況を正しく把握し,この状況と隔たりなく,偏りなく対話することから始めなければなりません.このような気持ちになるには,私も随分と時間が掛かりました.学生の学力低下が目立ってきたころからです.前年教えられた内容が,今年はどうしても教えきれず積み残しがでました.次の年はさらにこれが増えました.毎年,葛藤の連続でした.ついに,標準的なテキストの内容(これは数学や機械力学の科目の話です)は半分も教えられなくなってしまいました.多分, 4 〜 5 年前のことです.このとき思ったことは,大学の社会的責任とは何なのか,ということでした.大学において,大学らしい授業ができなくなったら社会に残っている資格はないのではないだろうか,という問いでした.
思い直したのは,自分の理想とする大学は,いまのマスプロ教育の中で必要以上に目標を高く揚げ過ぎているのではないかと言うことでした.エリートなどと言う言葉が死語になりつつある(実は厳然と存在するのだが)現代の大衆教育にあって,大学における高等教育を自分自身で見直すことに迫られました.結局,あまり自分を納得させる解答は得られなかったものの,社会が必要とする,すなわち学生から選ばれる大学である以上は社会的に意味があるのだ,と自分に言い聞かせることにしました.それからは自分が教えなければならない科目の内容は固定化せず,学生の出来具合や資質にできるだけ合わせたものにすることに決めました.クラスの上位1/3のレベルに合わせ,しかも下位の生徒にも手当てするという授業は並大抵のことではありません.それでもやらなければなりません.年とともに授業内容の質と量の低下は免れませんが,今のところ何とか辛うじて授業は成立しています.学力のレベルが低いことを認め,どれだけ学生の成長幅を大きくするか,と言うことに力を注ぐことにしています.そのように考え方を切り替えてから,授業に工夫をすることができるようになりました.その一つはまず,授業スタートの数回は動機付けに力を入れています.どうしてこの科目をしなければならないか,この科目を勉強するとどんな良いことがあるのか,ということを具体例を持って説明します.意識の高い学生にはこのようなことはあまり必要がないかもしれませんが,私の教えている学生にはこれが最も大切なことのような気がします.やる気を起こさせるために,さらに学生を褒めることに力をいれています.毎年,学力が低下していく中で,冷静に考えるとそんなことは無理だ,と考えがちです.しかし,ちょっとした教員の言動が学生たちに大きな影響を与えていることを知りました.学生を頭ごなしに怒るより褒めるほうが,クラスの雰囲気をずっと良くすることを知りました.若い学生たちには褒めることが沢山あります.小さなことで十分です.たとえば教室に入っていったとき,大きな声で学生達が“お早うございます”といってくれたら,“元気でいいね,今日は何かいいことがあるよ”とか,普段できない学生が,ほんの少しでも前進したら,“よくできたよ,good!だよ”などと真剣に褒めるのです.いくらでもその機会はあります.そして,さっきより今,昨日より今日がよければ褒めてあげることです.怒り方にもよりますが,“何でこんな問題ができないんだ”と,できないことを怒るのは厳に慎まなければならないと思います.全く逆効果だからです.このようなことが分ってきたのは,恥ずかしい話ですが,最近のことです.人は誰でも褒められれば嬉しいものです.これが人を育てる基本です.ヤフー(Yahoo)の孫正義氏は父親から何をやっても褒められ,やればできると何時も勇気付けられた,と言っています.同じ努力をするのなら,教員は,まず褒めること,これをやると何に役立つかを丁寧に説明すること,そしてできれば夢を語ることです.知識を教えるのはその後からです.これが我々の大学では不可欠になっています.学力が低下していくと,余ほど工夫しないと授業がだんだん成立しなくなっていきます.そのことを知らずして,ただただ授業をするというのは問題があるのです.
つぎに,知識を教えるときには,概念的な話から入らず,個別・具体的な話から入る,場合によっては普遍化などの香り高い学問的手法は諦めることも大切であるということを申し上げたいと思います.もし,このようなことを自分の教育理念として学生に伝授したいと思うなら, 2 倍〜 3 倍の時間と工夫,教えるというより一緒に勉強していくという心構えが必要でしょう.概念を容易に理解する学生が多い教員はとても幸せなことですが,一般にはなかなか望めません.私は,できるだけ多くの卑近な例題を用いることに心がけています.機械力学では運動理解に多くの式を使わず,シミュレーションを用いる,などをしています.幸いなことに,動力学ソフトのよいものがあり,これを使って学生が能動的に機械の運動を視覚的に理解する,というようなことの工夫をしています.マスプロ教育の現状で,如何にして難しい数学を多用しないで,学生と勉強していくか,ということが,我々に課せられた重い辛い課題です.このような方法にはおのずと限界があり,いずれは破綻するかもしれません.大学で学ぶべき最低限のレベルと言うものがあるからです.入ってくる学生の資質がこれ以上低下しないことを願うばかりです.
西田:清水先生が教員になられてからの20年近くの期間,大変なご苦労をされたことがよくわかりました.私はまだ4 年目ということもあるかもしれませんが,いまだに授業が終ると絶望感に襲われ,性格上気持ちがすぐ態度に現れるものですから,教室からの帰り道で会った学生から「先生,元気ないッスヨ!!」と励まされる始末です.特に最近,学生が授業をどのくらい理解しているかが感じられるようになり,自分の教えた事が全く理解されてない,くらいのことはわかるようになると,教えることのフラストレーションは高まるばかりです.良い解決方法は無いでしょうか?
清水:それに関して,大学教育とは別に,自己実現ということを簡単に触れておきたいと思います.特に動力学や制御を教えている若い先生方は自分が学んできた数学を駆使した授業を望むものです.その学問の美しさ,深遠さ,そして不変さなどに酔いしれたいものです.さらには抽象化,概念化へと学問が昇華していくプロセスを教えることができれば,この上ない幸せを感じるものです.それに近い授業ができていると,自分はなんて幸せなんだろうと思う訳です.しかし,残念ながら地方の私立大学ではなかなか思うように自分が学んだ高い知識を披露する機会はありません.先程述べたましたように,学生と教員の大きな乖離が進むからです.これでは良い教育とは言えません.教員が我慢しなければなりません.フラストレーションが溜まって仕方がありません.希望を抱いて,教育に研究に邁進しようと思っていたのに,と日々悶々とするしかありません.私は次に述べるような解決策で自分の精神的安定を保つ努力をしています.すなわち,講習会,会社の社内研修会などをやらせてもらうことです.幸いなことに,多くの大学,企業では我々の専門知識を必要としている人たちが沢山います.日々研鑽することにより自分を高め,これらの方々が必要とする学問・技術に応えられれば,思う存分,学問や知識の伝授の場が与えられるということを理解することが大切です.私はこれまで振動工学,ダンピング技術,マルチボディダイナミクスなどの分野で講習会や研修会の場をいただき,世の中に多少なりとも貢献できていると思っています.さらに,同じ世代の仲間,同じ分野の研究者たちと,学問について,動力学について,独創性について,・・・と議論する機会をもつことができれば,自分の夢が語れます.自分の生きている証が実感できます.これにはもちろん前向きな姿勢と日々の努力が不可欠ですが.
西田:日々の努力ですか,やはりそうですか・・・・・・つぎに,本日の対談の第2の課題である,研究活動の活性化の件について伺います.私は企業で26年間働いて退職した後, 2 年半ほど米国の大学に留学し,帰国後やっと大学の教員になれたときは,「晴れてどうどうと,思う存分,とは行かなくても自由に研究ができるぞ」と思いましたが,先に述べたような厳しい現実の前に,思うように行かないのが現実です.このような意見は同じような立場の教員の方々からもよく伺います.校務に追われ,助成者は無くすべて一人で片付けねばならず,また何よりも,大学のPR活動や改組転換などで落ち着かない状況も研究に集中できない要因と考えます.しかし,清水先生の活発な研究活動,さらには多数のテキストの執筆に係わる著作活動を見ますと,私のこのような考えはexcuseに過ぎないと言わざるを得ません.また,清水先生は,私の知る範囲では,数値積分法,分数階微分の計算法の開発・応用,また,最近ではマルチボディダイナミクスなど,あるテーマに長期間じっくりと取り組んで体系的にまとめあげられております.助成者もなく多忙な環境の中でこのような活発な研究活動を維持するための努力,苦労についてお聞かせください.清水:ご質問の内容に行く前に,大学における研究活動と教員の心がけについて少し述べたいと思います.研究活動の活性化は大学の授業よりもっと難しい問題かもしれません.自分を律して長期的に頑張るということがなければ,ほとんど絶望的です.多くの地方の大学では“専門”と呼ばれる教員はその分野で一人しかいません.せいぜい,多くても二人です.特に努力しなくてもその学校では,第一人者として通用するのです.教員のレベルや活動を判断する人は誰もいません.プレッシャーも掛かりません.最近でこそ,自己評価なるものを他人から押し付けられてやっているのが実情です.さらに悪いことに,これらの評価結果に対して学内でペナルティがありませんから,単なる形式に走っているのが現状です.心ある教員は,このことを憂いつつ粗悪な環境下で頑張っていますが,やはり安易な方へ流されがちです.今から10〜15年前のほうが,まだずっとましだったような気がします.このように安易な方へ流された先生が組織の半分以上を占めるようになると,その組織は転げるように転落していきます.上に立つ教員もこれらの教員たちの総意ですから,研究は第二義となります.厳しさを避け,仲良しクラブが出来上がります.このような人たちは,教育が大切だ,と声高に言います.そして,研究に努力している若手の教員にブレーキを掛け始めます.研究ばかりしていないで,教育,学務にもっと力を入れろ,と.しかし,教育は研究があってこその教育であり,研究なくして教育はあり得ません.片輪がない車輪のようなもので,まともに進みません.周りが,このような人びとに囲まれたらもう,諦めるしかないと思います.心ある人がまだ多くいる私の大学ですが,残念ながら校務に追われ,研究を放棄する教員が増えていることは心痛むことです.教員にとっても,学生にとっても不幸なことです.安易な,ぬるま湯主義が自分達の組織を危うくするのだということを,もう一度認識することが大切です.一方で,研究ばかりやっているのも問題で,周りから支持が得られず少数派になり,物事をやりにくくしてしまいます.カリスマ性のある教員なら別として,迎合ではなくても,教育,研究,などについて上手い妥協点を組織として考えることが大切であると,常日頃から感じています.身の丈の改革から始めることです.そのためには学長,学部長達からのトップダウンの改革号令が必要でしょう.
西田:組織の問題ですね.清水先生も私もそうですが,長い間企業に身をおいた人間が大学に移ると,その’不思議な’組織のあり方に面食らってしまいます.企業では「会議は1 時間以内」,「部下は良いアイデアを出し,上司は決定し責任を取る」などというルールがあります.また,「ほとんどの教員が個室を与えられる」など,それだけでも天国です.大学では,「みんなが社長」ですので,なかなか'change'はできません.このようなやり方に慣れた教員が企業に人を送り込むのですから,学生も面食らうのでしょうか? あるいはアルバイトの場でこの問題は軽くクリアしているかも知れませんね.
さて,組織の問題はこのくらいにして,個々の教員としての研究活動の活性化に向けた心構えについてのお考えを伺います.
清水:地方私立大学の学生のレベルはすでに申し上げましたように,大変な勢いで低下しています.そのような中で,学生と一緒に論文を書くのは次第に無理となってきています.これは私のところでは最近,修士学生にも当てはまってきました.論文にするには教員の手が半分以上入らなければなりません.授業に,学務(学内委員会,高校訪問,AO入試,推薦入試,一般入試,オープンキャンパス,高校への出前講座,高校生に対する一日総合大学,父母会,学部・学科改組・・・などなど)に多忙な教員は,もうお手上げです.
私の場合ここ数年間,修士の学生と連名で論文が出せていません.せいぜい,D & Dの大会で口頭発表するのが関の山です.残念なことです.研究環境があまりにも貧弱なのです.多くの日本の地方私立大学の行く先を物語っているようです.決して,私は努力を怠っているわけではありませんが,論文が出て行かないのです.唯一,すでに述べました博士課程の学生の研究指導を通して学生との連名論文が出ていました.これに加えて同じ大学の同僚との共同研究,他の研究機関の研究者との共同研究などで論文を書いています.このように考えると,私は地方大学の研究者としてはまだ恵まれている方です.若手の教員は論文を書くために寝食を忘れて研究しなければなりません.日々研鑽が求められます.このことから分るとおり,地方私立大学で学会活動をし,ペースが遅くても論文を出し続ける教員は評価されるべきであり,その努力は並大抵ではないと言うことを,皆さんにここで知っておいていただきたいと思います.そのような先生方に対しては是非,勇気づけてあげていただきたいと思います.
西田:そこで質問ですが,上記のような厳しい環境の中で高いレベルの研究活動を持続するためのエネルギー源はなんでしょうか? また,特に地方の私立大学に勤める若手の研究者に向けた助言などもお願いいたします.清水:まず私の研究のエネルギー源ですが,それはやはり私を育てて下さった先生,先輩,同僚,それから私と一緒に研究と勉学を共にして下さっている後輩,すなわち多くの人たちからの刺激です.これらの研究者仲間の叱咤激励が私にとっては日々の糧です.厳しく言われればなにくそと思い,ちょっと褒められればおだてに乗って,もっと頑張ろうと前進します.これが私の研究の一貫したエネルギー源で,負けず嫌いの私にはちょうど良いものです.研究に不器用だったことも,じっくり続けてやれる心を育てることができたのかもしれません.また,地方にいることも流行に流されることなく研究ができた理由の一つです.このことは地方の大学の強みの一つと言って良いでしょう.私は“継続は力”と言う言葉が好きです.静かな落ち着いた自然環境の中で,じっくり自分を信じて進めば,何かしっかりしたものが得られるはずです.喧騒にはない何かが得られるものです.
若手も年配も,一人で研究ができないからと言って悶々とせず,外に出て同じ考えをしている人と触れ合うことです.そして,機会があればこれらの人たちと力を合わせて論文を書くことです.一人ではゼロでも,二人,三人となれば一編の論文は書けるものです.私は図々しく海外まで手を伸ばしています.イギリスの制御の研究者,中国の振動の研究者,スペインのマルチボディダイナミクス研究者,ロシアの理論物理学者,ベトナムのダイナミクスの研究者と論文を出したり,教育教材開発プロジェクトを進めたり,新しいテーマに挑戦したりしています.自分の置かれた厳しい環境を冷静に分析して,どのようにすれば論文一編が書けるかを考えることです.弾みがつけば,あとは続いてくるものです.諦めはいけません.教員のやる気のなさと質の低下が最も憂うべきことだ,と指摘させるようなことは絶対避けるべきです.
最後に,一番大切なことは,学問が好きであるということです.研究しているときが一番幸せなときである,と実感できれば,それがすべてのエネルギー源になるでしょう.
西田:ここで次の話題に移ります.清水先生の活動に大きなウェイトを占めているように見えます,‘活発な著作活動’について伺います.清水先生はどのくらい本を書かれているのでしょうか? 私などには,本を書くなどということは膨大な時間の消耗と思われ,とても考えられませんが,清水先生にとっての著作活動の意味,教育・研究活動との関連性などについて伺いたいと思います.
清水:著作活動についてはことのほか思い入れがあります.私が大学に着任した時に自分の授業は自分の書いた本でやりたい,と強く願っていました.これは研究者・教育者なら誰しも思うことです.自己実現の一つであると私は考えています.研究論文を10編と本を一冊では,本を書くほうが大変であると言われています.私もこの言葉には一理あると実感しています.もちろん本を書けたからと言って,論文が沢山書けるとは限りません.論文には論文を書くだけの環境と研究に対するセンスが必要だからです.逆に,論文が沢山書けたからと言って,本を書くことができるとは限りません.本は自分の時間のみによって書けるのです.学生と一緒に進められる研究とはここが違います.本というのは掛け値なしに,その先生の“労力と想い入れ”の結果なのです.これに対して,論文は学生をどれだけ動員できるかという要素が加味され,客観的な評価は難しいものです.
いわき明星大学は21年前に新設された大学で,開学時に着任しました.当時は1 年生の授業だけで,学務も少なく,テニスを良くやったことを覚えています.時間が十分にありました.私の願いを実現する,またとない機会が与えられたと夢中になって振動工学の本を書いたことを覚えています.当時,戸川隼人先生に共立出版社を紹介していただき,解析に特徴を置いた振動解析をテーマとする本を書くことが決まりました.ちょうど私の研究分野の一つである計算力学を振動工学の教育に生かすことができることになったのです.大学では,当時,振動工学は3 年生の科目として配置されていました.振動工学者はあまり数値積分法にこだわっていませんでしたので,特徴を出すべく振動のシミュレーションに力を入れて書くようにしました.共立出版鰍ゥら1988年に出版されました.とても嬉しく,遣り甲斐のある仕事だと感じました.これは,予想以上に実務の方々に受け入れられました.日本能率協会で講習会を設置して下さり,随分と講習会の講師をさせていただいたことを覚えています.この本では,BASICの言語でプログラムを書いて,提供しました.この本は1997年に内容を追加,修正してプログラムをMathematicaに変更して改定出版しました.数式処理が流行りだしたころで,数式処理の簡便さを理論展開に応用する試みでした.必ずしもシミュレーション解析にこの言語が向いていると言うわけではありませんので,最も適していると考えられるMATLABへの移植を近い将来実現したいと思っています.
西田:最後に,この対談のまとめとして,最近清水先生が精力的に取り組んでおられるテーマ’マルチボディダイナミクスへの思い入れ’を含め,今後の研究,教育活動に関する抱負をお願いいたします.
清水:すでにマルチボディダイナミクスについて簡単に紹介いたしましたが,ここで少し述べさせていただき,著書との関係を紹介いたします.大学の動力学,機械力学を教える立場に立って,多くの人たちが書かれている本を調べたことは既に述べましたが,その時感じたことは,繰り返しになりますが,振動に極めて偏っていると言うことでした.本来,機械力学はどうあるべきか,動力学はどうあるべきかについて,着任当初から数年間は悩みに悩みました.そして気がついたことはマルチボディダイナミクス(多体動力学)の勉強の必要性です.それから現在まで,ほぼ20年間,マルチボディダイナミクスを学び研究してきています.日本では比較的研究者が少なかったこともあり,この方面のリーダーの一人にさせていただいておりますが,まだまだ勉強することは多く,さらに研究にいたっては一層の日々研鑽が求められます.当然,日本にはマルチボディダイナミクスに関する良い本がなかったので,怖さ知らずで,本を書くことにしました.「マルチボディダイナミクス(1)−基礎理論−コロナ社( 2006)」です.今西博士(神戸製鋼所梶jと共著で書きました.引き続き応用編として「マルチボディダイナミクス(2)−数値解析と実際−コロナ社(2007)」を曽我部(上智大),椎葉(明治大),井上(名古屋大),竹原(首都大),高橋(いわき明星大),曄道(上智大),藤川(芦屋大),小金沢(東海大)の各先生方と書く機会に恵まれました.多くの先生方と議論しながら執筆を進められたことは私の喜びであり,財産です.これらの複雑な非線形動力学問題を扱うには,解析的な方法では到底太刀打ちできません.このときに必須となるのが数値積分法です.会社勤めをしていたころから,いつかはきちんとした数値積分法の本を書かなければならないと,ある種の義務感を感じていました.学会活動を通して藤川猛先生と交流を持たせていただくことができました.これは私の幸運でした.藤川先生はこの分野の第一人者です.すでに述べましたマルチボディダイナミクスのシリーズ本として,これらの本が出版される前,2003年に数値積分法の本は出版され好評を博しました.話が前後しますが,私の念願であった機械力学のテキストを書く機会にも恵まれました.1998年に共立出版鰍ゥら出版されました.このときにも,沢登(当時,山梨大),曽我部(上智大),高田(横浜国大),野波(千葉大)の各先生方と共著で完成させることができました.振動論偏重から剛体力学,回転体の力学,往復機関の力学,振動,振動制御,マルチボディダイナミクス入門などへと内容を思い切って変え,私たちがイメージした機械力学を著わすことができました.完成の時には,大変幸せに思いました.
これらの著書を著わすには随分辛抱のときもありましたが,これを乗り越えて形にできたときは,とても満足感のあるものでした.その後も,多くの仲間に,この満足感を味わっていただこうと,できるだけ新しい企画には声を掛けさせていただいています.
今後は,振動解析の本にMATLABプログラムを入れて書くこと,Fractional Differentiation(分数階微分)に関する本を書くこと,を著作の目標にしています.なお,折角の機会ですので,私の主な著書をここで紹介させていただきます.
パソコンによる振動解析 清水信行著,共立出版(1988 ), 1-314 .
機械振動の解析と計算 D.E.Newland 著,清水信行訳,オーム社( 1992),1-632 .
パソコンによるランダム信号処理 清水信行・千葉利晃著,共立出版( 1994),1-388 .
Mathematicaによる 振動解析 清水信行著,共立出版( 1997),1-286 .
振動のダンピング技術 日本機械学会編,共著,養賢堂( 1998),1-232 .
機械力学 清水信行・澤登健・曽我部潔・高田一・野波健蔵著,共立出版( 1998),1-235 .
数値積分法の基礎と応用 清水信行・藤川猛・曽我部潔・井上喜雄・今西悦二朗著,コロナ社(2003), 1-223.
マルチボディダイナミクス( 1)−基礎理論− 清水信行・今西悦二朗著,コロナ社(2006),1-305.
マルチボディダイナミクス(2)−数値解析と実際−清水信行・曽我部潔・椎葉太一・井上剛志・竹原昭一郎・高橋義考・曄道佳明・藤川猛・小金沢鋼一著,コロナ社(2007),1-258.
【対談を終えて】 対談終了後に先生の著書をいただき,裏表紙に先生のモットーである「日々研鑽(これを書くのに辞書を必要としたのはちょっと残念であったが)」の言葉を書き添えていただき,「これだけでもいわきまで来た元がとれたろ」とニヤ,と笑われたところは20年以上の昔から変わりなく,うれしかった.学生の日々の向上を目的とし,研究生活も自己の日々向上が不可欠,というのが今度の対談で私が得た教訓であった.“日々研鑽!!!”