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インド旅行記

岩手大学大学院
機械工学専攻 修士1年 大隅 仁

 私が行ったのは、ガンジス川流域を中心とした北インドだった。初めに着いた都市はニューデリーで、空港の出口には、日本語を話せる現地係員が迎えに来てくれていた。英語に全く自信が無かったので心強かった。ホテルまでタクシーを使って送ってくれた。タクシーの中で係員が、「お金とパスポートと帰りの航空券だけは手放すな」、「生水や生野菜は口にするな」、「インドはそんなに悪くない国だから、あまり恐がらずにリラックスしろ」と色々アドバイスしてくれた。
 次の日の朝、ホテルをチェックアウトして外に出た。すると、オートリクシャー(屋根付き3輪バイクのようなもので、後ろに3人位乗れる。)の運転手が待ち構えていた。そのうちの1人の男が近づいてきて、「乗らないか?」と誘ってきた。私は、帰りの航空券の予約再確認をしたかったので、航空会社(Air India)の名前を言らで値段を聞いた。「2Rs(ルピー:1Rs=約3円)」だと言うので乗ることにした。運転手の友達だという男も加わって、航空会社の事務所に向かった。走り出した途端に、「その事務所はまだ開いていないし、もっと安く手続きしてくれる所に連れて行く」と言われた。怪しいと思ったので、断ったが結局遵れて行かれた。オートリクシャーから降りると、5〜6人に囲まれて中に入るように勧められた。足が震えてきたが、負けてはならないと思い、オートリクシャーの運転手達に向かって、「You go Air India office,I pay money!」と精一杯の大声で叫んだ。すると相手も驚いたようで、なんとか無事に連れて行ってくれた。手続きを済ませて外に出ると、連れて来てくれた運転手達が待っていた。「次はどこへ行きたいんだ?」と聞いてきたので、今度は騙さないだろうと思い、政府観光局まで乗せてもらうことにした。着いてみると、確かに看板には「Goverment Office」と書いてあったが、中に入ってみると怪しい雰囲気だった。結局騙された。外に出ると、また同じ運転手が待っていた。今度は「無料で市内を案内してやる」と言ってきた。私には、もう彼らのことを信じることはできなかった。
 前もって予定を立てていなかった私は、歩いて政府観光局を探すことにした。しかし、照りつける日差しと貴重品を入れるために身に付'けていた腹巻きによる暑さ、リュックの重さ、そして空腹のために途方にくれていた。すると、後ろから政府観光局で話しかけてきて、連れて行ってくれるというので、その人について行った。親切そうな人だったので最初は信じていた。やはり、看板には「Government」と書いてあったが、私の行きたいと思っていた政府観光局ではなかった。どうやらそこは、個人経営の旅行会社のようなものだった。そこでは、私の日程に合わせてプランを作ってくれた。夜まで値段のことについて交渉して、その旅行会社を信じることにしてお金を払った。
 ニューデリーから飛行機でカシミール地方(ニューデリーから北に約800km)のシュリナーガルという都市に向かった。旅行会社の人が案内してくれ、その人の両親が経営しているハウスボード(湖上にあるホテル)に滞在することになった。とても涼しくて静かなところだった。時々、みやげ物を売りに来る人がいて退屈しなかった。食事は、おばあさんの手料理で味付けはカレーだった。米が主食ということで食事には困らなかった。
 手漕ぎの小舟に乗って、2泊3日でウォータートレッキングした。案内してくれたのは、現地のガイド(26才)と漕ぎ手(17才)だった。ガイドは、2人の女性と結婚していて、一夫多妻が認められているようだった。ガイドが食事を作ってくれたが、あまり深く考えずに口に入れた。川では子供達が泳いだり、私に向かって笑顔で手を振ってくれたりして、とっても純粋に感じられた。
 ニューデリーまでバスで帰ることになったので、おばあさんに作ってもらった弁当を持って、おじいさんにバス停まで送ってもらった。乗るはずのバスが来なく、臨時バスに乗って出発した。バスで隣に座った青年がお菓子をくれたり、色々と面倒をみてくれた。ニューデリーに着くと、バスが遅れたにも関わらず旅行会社の人がバス停で待っていてくれた。その時、やっと旅行会社の人を信じることができた。
 初めての海外旅行だったので、不安なことばかりだった。でも、実際行ってみると周囲の人達が親切たりしたこともあったが、みんな生活するために一生懸命頑張っているということが、徐々に理解できたので、悪気は全く感じられなかった。今度は、少なくとも3ヵ月位かけてゆっくりとインドを旅行してみたいと思った。


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