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もったいない

岩手大学大学院工学研究科 機械工学第2専攻
アカス スレング バラタ

 日本に来てからあっと言う間に5年間が過ぎてしまった。日本の生活に慣れたと、どうしても自分は言う自信がないながら、毎日の行動を何気なくやり遂げてきた。
 昨日もそうだった。燃えないゴミを出す日の朝、いつも通り缶などが入った半透明ビニール袋を持って、学校に出た。思えば、インドネシアではゴミを分けて捨てる習慣なんてなかった。しかし、昨日は気惑うことなくそれを淡々とやり済ました。理性に考えれば、何でもないことカ・もしれないが、習慣としてみると、どれだけ自分が変わったのだろうと、つい考えてしまう。
 普段何もないあの電柱の下に、昨日は山の形に積もったゴミが見えた。人間はこんなにゴミを出すのかと、私はつぶやいた。ゴミ袋の間にオーブントスター、電気炊飯器などが目に入った。それを見て、思わず「aah−sayang sekali」(ああー もったいない)と母の口癖をまねした。
 ところで、今現在日本には、「もったいない」という言葉がまだ存在するのだろうか。大量生産、大量消費、大量廃棄を前提とした経済構造を持つ日本の社会には、大量ゴミを覚悟して、当たり前のこととして扱っているかもしれない。この経済構造の下で日本が今、経済的に頂点に立っていることは事実である。展望において、今後の日本は同様の姿勢で21世紀を向かっているであろう。
 しかし、このままでは、犠牲になるものはないだろうか。それは私たちが知っているはずである。
 これからの社会構造には、工学者の立場がさらに重要になってくる。工学者の意志が、将来の社会の動向として大きな決定要因であると言えよう。いかにこれは大きな責任であるかという認識が、私たちに要求されるものであろう。
 国際化の響きの中、現在国という妙な境の定義は徐々に崩れていく。それに伴い、モノの見方も変わる。国より、地球的規模の意識でモノゴトを見ることは、これからの見方であろう。
 様々な分野における生産に関する研究はますますなされており、ゴミ処理技術やリサイクル技術なども、近年重視されるようになってきた。大量生産、大量消費、大量廃棄という経済構造を支えるためには、様々なアイデアが提案された。この雰囲気の中、工学者としてどのような姿勢をとるべきかが、私たちに問われると同時に、今後挑戦するべき課題でもある。私たちの願望や欲が未来社会構造への動機であることは間違いないと思う。そのため自分が振り返ってみて、見直さなければならないものがあるかもしれない。これからの開発が持続可能か否かは、私たち次第であろう。
 「知恵や理屈では人は動かない、愛情こそ人を動かす力である」と研究室の壁の貼り紙に書いてある。それほどきれい事は言えないが、私はただ母の優しい心を表した口癖、「もったいない」を頭に、明日を向かえたいと思う。


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