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私の大学生活

日本大学大学院 工学研究科
機械工学専攻 修士2年 五十嵐 慎也

1.はじめに
 現在私は、郡山市にある日本大学工学研究科機械工学専攻に在籍している。機械工学専攻では、大別すると材料、工作、設計、熱機関、流体、メカトロニクスの6分野で研究を行っており、さらにその中でいくつかに分かれて各研究室が構成されている。自分は材料研究室に所属し、FRP(繊維強化プラスチック)の疲労強度に関する研究を行っており、来年2月の修士論文発表に向けて、ラストスパートをかけようという段階である。
 以下、今年で学生生活も終了するので、大学生活を総括して現在までに印象に残っていることを述べることにする。

2.私と日本機械学会
 私が日本機械学会に入会し、学生会員となったのは今年の5月のことである。出初の入会目的は、9月12日の日本機械学会東北支部いわき地方講演会での発表を申し込むにあたり、「登壇者は会員であることが望ましい(申し込み要項)。」とのことで入会したという単純な理由であった(連名の指導教官が正会員であるので申し込み自体に支障はない)。しかし、入会してからは学内の学生会員の定例会や、スポーツ大会を通じて他の研究室や他の学年の人たちと知り合うことができたので、非常に有意義な集まりであったと思う。

3.私と研究
 現在白分はFRPの疲労強度についての研究を行っていることは既に述べたが、ここでは研究を進める中で苦労した点について述べたい。自分がFRPを研究テーマとしたのは大学院に進学してからであるが、最初は、前年から継続されていた「FRPの衝撃疲労について(紫外線暴露)」と平行して、自分のオリジナルテーマとして「損傷を有するFRPの疲労強度」について取り組んでいたが、新たに引張疲労についても同様の研究をすべく昨年の6月頃から、試験片取り付け治具の製作に取りかかった。しかし、最初に製作した取り付け治具は、数回の改良も空しく取り付け方法自体が良くないことを認識する結果に終わってしまった。そして、今年の初めから再度設計に着手し、ようやくまともに試験の出来る治具が完成したのである。今振り返ると、自分の研究の中で引張疲労強度の研究は、実験方法の確立にずいぶんと時間を費やしてしまったものだと思う。まさに研究の原点である“トライ・アンド・エラー”の連続であった。

4.私とサッカー
 自分の大学生活で一番印象に残っているのはサッカーである。思えば4年前(大学2年)、1993年といえば、5月にJリーグが発足し、9月にはワールドカップアジア地区最終予選を迎え、日本サッカー界は空前の盛り上がりを見せた年であった。当時ワールドカップ本戦初出場の期待を背負ってアジア地区最終予選を戦っていた日本代表が、最終試合1点リードで迎えた後半のロスタイム突入後、ショートコーナーからのセンタリングをヘディングでゴールされて引き分け、得失点差で3位となりワールドカップ出場を逃したあの「ドーハの悲劇」から早くも4年が過ぎた。多くのサッカーファンは「今度こそは」との思いを胸に日本代表チームの躍進を信じてきた。しかし、今年9月に予選に突入した日本代表の戦績は芳しくなく、予選途中で監督が交代するほど事態は深刻になっていた。ところが、予選も終盤になると日本と予選B組2位争いをしていたUAEがカザフスタンに敗戦するという予想外の展開となり日本に自力2位の可能性が復活した。しかし、その後UAEとの直接対決で引き分け再度自力2位が消滅し、11月1日の韓国戦に勝ち再度復活するという、最後まで目の離せない展開が続いている。紆余曲折を経てここまできた日本代表だが、残る11月8日のカザフスタン戦に勝てばUAEの韓国戦の結果を待たずにB組2位が確定する。また、UAEが引き分ければ日本が勝ちか引き分けで確定、負けでも得失点差で確定の可能性大、UAEが負けの場合には、日本が敗戦でも確定する。日本代表が無事B組2位を確保したならば、11月16日にA組2位の国とアジア地区第3代表決定戦に臨むことになる。機械学会東北支部学生会の皆さんが、このComPass第9号を読む頃にはとっくに結果が分かっていると思うが、日本代表がワールドカップ初出場を決め自分の修士課程修了に花を添えてくれることを願っている。

5.おわりに
 以上、大学生活を振り返ってみたが、時間の流れは本当に早いものだと思う。大学・大学院在学中に4年に1度のサッカーワールドカップ予選が2度行われ、同じく4年に1度のオリンピックは、大学に入学した年にバルセロナで行われたと思ったら、卒業の頃にはアトランタ目前だった。まさに光陰矢の如してある。よく考えると、勉強以外はくだらないことばかりしていたと思う。しかし、「現在のような生活は2度と来ないのであろう」と思うと少し寂しい気もするが、残り少ない学生生活を有意義に過ごし、来年4月からの社会人生活をスタートさせたいと思う。最後になったが、今後ますます機械学会学生会が発展することを祈念する。


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